私と通り過ぎた男たち
★ ゚* ☆
☆*゚・ +. 。・+
* 。 ★・゚ *
空を見上げて
+ ★ .* ☆゚
. ゚ 。
一人でいつも●●
思い出す●二人の●
● コト ●
●●●
Λ🎀Λ。O
(´・ω・)
(∩∩)
写真のように
.∧🎀∧
(´・ω・)
(つ📷と)
`∪ ̄∪
┌─────┐
|☀☁・。 ☁|
| ∧🎭∧ |
|(♥^皿^)|
| (✌✌) |
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また笑ッてよ...
15/03/17 01:42 追記
※ プロでは無いので 誤字 脱字 があります
ROMしにくい方 不快に感じた方はスルーして下さい
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タイトルの内容は 可愛いAA
とても エロい話を 書くような内容には見えないなぁ (笑)
そもそも なんでこんな事を書こうと思ったか
そうだなぁ
昨日 お水に働いていた話をつぶやいていた時に
こちらの板に書いた方が良いかなって
二つのスレを同時に 書くのは大変になったら どちらか閉鎖するかも
エロい話しを書きたくなったら こちらで 呟く
新しい試み 頑張ろう
いきなり男性遍歴を書いても おかしいかと
自叙伝風に書いて見ようかと
40代に書いた 自叙伝とは また違うかな
あの時はまだ ミクルに大人スレは無かったし どこか隠してる部分もあったような …
『オナニー』
私が初めてオナニーをしたのは中学生位
今の時代
中学生で妊娠したとか Hしたとか 当たり前のように聞くが
昭和の時代
中学生の時だと思う
お父さんが持っていた 女性の裸体が沢山載っていた手の平サイズの本
ただ 女性の裸体写真集
えげつない裸体だったのかは覚えてないが
写真が沢山載っていたのは覚えてる
女性の裸体でオナニーが出来たのも不思議
ただオナニーはいけないもの
人には見せてはいけないもの と 本能的には解っていた
裸体の写真だけで 興奮していたのは今でも覚えてる
両親に虐待されて 廊下の畳み一条の片隅で生活を強いたぎられていた時
そんな精神的に追い込まれていても
親の目を盗んでオナニーしていた
床に仰向けに寝て 片手に写真集を持ち 下着に手を入れて ……
終わると下着も背中も ぐっしょり濡れていた
終わると言っても
当時はエクスタシーを感じた訳ではなく
いけない事をしてる
見つかったら 怒られる そんな思いがあったんだろう
ある程度 満足すると その本をこっそり返していた
結婚して なんでオナニーをするのか
それは夫婦の営みが減ったから
旦那とは一回り離れていたし 子供が生まれて営みをするタイミングが上手く行かなかったり
例え 営みがあったとしても 自己チューな旦那では 満足出来てないから 欲求不満になり またオナニーが始まった
昼間の時間帯にオナニーを 何を思い浮かべてオナニーをしていたのかは浮かんで来ない
ただ写真集を見て 悶えていた時とは違う
妄想したり 雑誌だったりしたのだろう
誰とのセックスを妄想していたのだろう
雑誌とは嫌らしい写真なのか エロ漫画なのか
思い出した
結婚する前に同棲していた時がある
その時に一緒にいた男のオナニー光景を見た事がある 暗い部屋でアダルトビデオを見ながら 男はオナっていた
真っ暗な部屋でテレビの光りが眩しかった
白い光り その中で…
う~ん 困った
オナニーに関する 話しを書いているが
一先ず 此処で一回 オナニー話しを終わりにする
オナニーの回数が増えたのは SMの話しの時に再度 話そうかと
話しの構想が しっかりできている訳ではないので
『』のタイトルから外れてしまう事がある
読んでいて 不快に感じるならスルーしてください
あれは 私が高校生の頃
盲学校のスキー教室で長野へ二泊三日泊まりに行った時に遭遇した出来事
自由時間になり 下の学年の堀江君に呼び出されて
お風呂場で 下着を取られて 押し倒されて固い物を入れられた
血が 白いタイルを染めた
別に堀江君が好きで ノコノコついて行った訳では無かった
体格の良い大きな男だったのは覚えている
一瞬の出来事
暴漢されてそうなったのかさだかではないが
その時に血が流れていたのは覚えてる
その堀江くんは 他にも年下の女の子 同級生の年上の女性と付き合っていたのが学校にばれて退学になった
大人になり 風の噂で看護師さんと結婚したと聞いた
現在の盲学校がどうなっているかは私には解らないが
当時、私が途中入学した盲学校には 年齢が様々な人達が 一学年にまとめられて勉強していた
生れつき目が見えない盲学生
中途失明して入学した者
同じクラスでも 歳が五つ上だったりする人が三人いた
一学年 八人体制
専攻科と言われるクラスは殆ど 中途失明者に
はり きゅう アンマを教えてる
二年勉強して 国家試験に受かれば卒業
留年はあったのかな?
普通の年齢の人 年上の人と同じ学生になる
男性遍歴って言っても
実際に付き合っていたのは旦那入れて六人位
後は一元さんだったり 馴染みのお客さん
そもそも左も右も解らない小娘がキャバレーで働きだしたのが ポケットティッシュを貰って電話して 採用になった
正直に家出してきたと話したかどうかは記憶にない
ただ住む部屋が与えられて食べ物が食べれたから
何度 家出しても 連れ戻されて 暴力を震わされて またあの冷たい廊下の隅に座って一日を過ごす
きょうだいからは下に見られ 学校にも戻れず 一生このままなら……
逃げたい 逃げたい
そんな思いで 二階から飛び出して 野宿して やっと落ち着ける場所を見つけた
もう 両親も探すのを諦めていたし 学校も…
日本橋に勤めていた叔父さん
当時18歳の私には30歳位でも叔父さんに見えた
この叔父さんが最初の相手 好きとか嫌いでは無かったと思う
ただ処女を無くしたかった
当時は高校の時にただ入れられただけで
本当の男と女が交わる行為が処女を無くす事だと思っていた私
叔父さんとして 痛かったのと あそこに何か変な物が入って 終わっても異物が体に残っている感覚
がに股で いつまでも異物が残っていた
気持ちが良いとか言う感覚は無かった
ただ股に異物感が残り いつまでも消えなかったのは覚えてる
この似たような感覚は大人になり 暫くセックスなしで 久しぶりに相手を受け入れた時に 同じ感覚に襲われる
現在 男経ちして 三年以上
あそこは蜘蛛の巣状態
きっと いま男性を受け入れたら 似たような状態を味わえるだろう
まさにトンネル掃除
お客さんが言っていた
「たまには トンネル掃除 しないと 蜘蛛の巣が張るよ」と
確かにご無沙汰して 久しぶりにあそこにチ○コをいれると 2~3日はがに股歩きしてる感覚になる
大きいチ○コなら大きい程 異物感が残る
『添い寝』
呼び方は可愛いい響きだが 遣ってる事は日々 男宅に通う行動
淋しいから 通っていたのか セックスしたいから通っていたのか解らない
毎週 週三日
あしげに通った家が何件かある
最初は十代の頃
六畳一間の古びたアパート
どこで知り合ったのか こちらから誘ったのか定かではないが
多分 キャバレーで知り合った男だろう
そこに行くといつも泊めてくれて 男の方が先に出かけていき 私は後から帰る
真っ白なシーツが いつもヨレヨレになり 濡れていた
男は痩せ型で いつでも受け入れてくれる
気持ちが良かったから 通っていたのか
セックスし始めた頃の出来事
お風呂に入りながら 浮かんで来たのは
『噛む男』 『オナラをする男』
オナラ男に関しては多分 一夜かぎりの男だったと思う
もちろん お客さんだと
この彼の家に行き エッチを済ませた後に
男がオナラをこいて 注意したら 逆に「俺はリズムかるに へがだせる」とおならをしだした
布団の中はおなら臭く
コイツとは もう遣らないと一夜かぎりだった
『噛む男』
この人はタクシーの運転手
お水の仕事をしていた時によくタクシーを利用していて 親しくなった運転手さん
最初は何気なしに車の中で襲われそうになり…
次は彼の家で
私の家で セックスをしてる時にいきなり体中を噛みだした
当時はそんな変態は私には相手出来ないと逃げ出した事がある
肩をかじられたり 胸だったり かじり方も痛く とても気持ち良さよりは 痛いだけ
その日を境に私は避ける事にした
数カ月して 私はこのかじり男を東京から新潟に呼んだのか 追い掛けてきたのか 一度だけ 新潟に来た事がある
しかし 会わずに帰した
だってとても一緒には遣っていけない セックスする度に噛み付かれるのは堪えられない
彼が新潟に会いに来た時 居留守を使い 彼を東京に帰した
それから数十年の歳月が流れて 私が結婚して 子供を持って 乳母車を押していた時に 偶然に声をかけられた事があった
あの時の…
私は違いますと逃げるように立ち去った
彼は 道路工事の警備員になっていた
十代の時に遊んで追い掛けられた男に再会するとは
世の中は狭い
その時の出会いは驚きでしかなかった
キャバレーで働きだした時は寮生活だったので 相手の内に通える範囲で付き合っていた
付き合っていたというよりは夜ばいかな(笑)
キャバレーも半年位で辞めて都心に
キャバレーで知り合ったミキちゃんに誘われて 新宿 池袋と 店を変えたが肌に会わずに埼玉の赤羽に落ち着いた
ミキちゃんとは池袋で別れた
赤羽に何故来たのかは定かではないが
赤羽駅の近くのピンクキャバレーで
駅から歩いて5分
地下に店がある
面接の時に食べたチョコと生クリーム付きのトーストは忘れられない
後仕事に行く前に毎日寄っていたお食事どこ
ウインナー炒め とか 玉子焼き 美味しかった
この赤羽の裏には小さい店から大きな店まで立ち並び 私の働く店の近くには ハリウッドがあった
この店で 同伴するには寝る事も必要だと言う事を学んだ
またホステスとボーイさんが付き合っていると言う事も初めて知る
最初働いていたお店でも同伴はあったと思うが当初は回りも見えていなかったし お客様にビールを注いだり 煙草にライターで火を付ける作業をするのがせいっぱいで…回りは見えてなかった
キャバレー初心者でお客様の対応の ノウハウを学ぶのに一生懸命だったので 同伴とか全く知らなかった
何せ お給料を店長に預けていて使い込みされた位 うぶだった私
気付いたのも二~三ヶ月して…家出娘で世間に出たのは初めてだから 仕方ない
キャバレーの葬式?
初めて葬式にも出た
偉い人が亡くなったのか 一回だけ出た事がある
バブルの時代の保証って一日一万とかだったから
指名が二千円だったかな
キャバレーとかサロンは 指名されたり 延長すると保証金にプラスされて 飲み物とかツマミは店の儲けだった
要するに沢山稼ぎたいなら指名を取り 指名がないなら延期して稼ぐ
私が働いて時代は そんなにノルマとか
うるさく言われなかった
又はうるさい店では働かなかった
保証期間は一ヶ月~三ヶ月位だったり 店に寄って色々
保証金稼ぎのホステスも中にはいた
保証期間過ぎたら辞めて次の店
でも 近辺だと 噂は広がるから難しい
だって入って直ぐにはお客様は付かないだろうし 流行ってる店なら 一日何人もお客様に会えるが 暇な店なら 一回も付かずに帰ったり ヘルプで終わったりして……
ヘルプも難しい
女の縄張りみたいな 取った取られたと女の争い
初めて働いたキャバレーの時は
「はじめまして 18歳で初心者なのでよろしくお願いします」とボーイさんに紹介されて 席に着く
初めての時は個人のお客様には着かせて貰えず
先輩とか 良さそうなお客様を店が選び 隣に座らせて貰う感じ
ビールの注ぎ方 持ち方
おしぼりの渡し方
煙草の火の付けるタイミング 付け方
昔はライターよりもマッチが多かったから マッチの付け方
灰皿の下げ方を 一通り学び
初めて接客する
家出したての私には会話なんて まだ出来ないし無理
ホステス仲間に慕われたら かばってもくれるしホローもしてくれる
私は静ちゃん レモンちゃんと 売れてるホステスに可愛がって貰ったから だいぶ助かった
意地悪をするホステスもいたけど 逃げ出す事もなく 三ヶ月近くは働いていた
私はホステス時代のホステスの名前は以外と覚えているだな
顔とか迄はうっすらとしか浮かばないけど
可愛がってくれたり よくしてくれたり 印象的なホステスさんの名前
もちろん芸名だけど 覚えてる
お客さんの名前は忘れちゃうけど(笑)
不思議
赤羽のお店はビーナスだったような…
池袋 新宿と美紀ちゃんと一緒だったんだけど
こじんまりした店で ブラックライトがやに眩しくって…
お店側に寮がなかったのと18歳の私にも怖さを感じて働いて直ぐに辞めた
赤羽の店内は薄暗く広さは中位
このお店のお客さんと寝たのは二回だけ
一回は同伴の為
二回目は忘れた😅
赤羽にいた時は店から30分位離れた場所に寮があった
先輩のホステスさんの家に泊めて貰った事がある
11PMのエンディングの曲が流れていた
千恵さん宅に泊まった時に 川の字に寝ていて お子さんもいるのに
旦那さんが触って来た
でも 千恵さんが気付き 旦那さんと場所を代わってくれた
千恵さんの旦那さんだけじゃなく 美紀ちゃんの友達もそうだった
どうして男って 友達の女の子に手をだそうとするのだろう?
当時の私は彼女達を信用して遊びに行き泊めて貰う
たまたま部屋が狭く 川の字で寝ていても 手を伸ばしてくる
美紀ちゃん 千恵さんの二人とも気付き
私には気付かれないように 相手の彼氏 旦那さんを 注意していた
あいう時って私自身 声を出す事も出来ない
いまなら 「なにするのよ」と言えるだろうが
当時は 声すら出せずに震えていた
赤羽のお店にいたのは一~二ヶ月位
そこで働いていたボーイさんだったか店長に
「新しいお店だすから…」と言われて
隣の西川口に移る
西川口にいた時は最初は寮に住んでいたけど 一間のアパートを借りた
この時は ピンクレディとか清水健太郎とか流行っていたかな
ピンクレディがデビューした年だったような
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