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No.10 22/01/06 00:35
匿名さん0
あ+あ-

エーディト・フランクとその2人の娘は、同じ列車でアウシュヴィッツに到着した他の女性たちとともに、最初の数日間を入所の為の準備期間として過ごした。その後、大半の女たちが野外での重労働を行うグループに配属され、エーディトとマルゴーとアンネもこのグループに含まれていたと思われる。1944年10月末、多数の女たちが上シレジア地方のリーバウ強制労働収容所に移送されたが、エーディトは病を患っていた2人の娘とともにアウシュヴィッツに残る。その数日後、再び収容者の選別が行われ、マルゴーとアンネはベルゼン収容所に送られる事となり、ついに2人の娘に別れを告げる時がきた。数週間後、エーディトは別のバラックに移されたが、病気で高熱があった為、病棟に移される。冬には気温がマイナス40度まで下がるアウシュヴッツ、医療手当てなど皆無の中、エーディト・フランクはこの世を去った。44歳だった。

母親と離れ、ベルゼン収容所に着いたマルゴーとアンネ。駅から何キロも歩かされて辿り着いたベルゼン収容所は、アウシュヴィッツから人が送られてくる前から満員状態で、劣悪な環境の中で疫病が大流行していた。マルゴーとアンネが到着した当初はテントでの起臥を強いられる。最初のうち、2人は悪臭を放っていたテントの中で寝るのを嫌がっていた。しかし1944年11月にこの地方を猛烈な嵐が襲い、テントは全て崩壊。この為、2人は別のバラックに移される。バラックでアンネ達と一緒だった生還者の女性の証言がある。

「私はアンネとマルゴーにバラックの中で再会しました。あまりに髪を短く刈られていたので、すぐには分かりませんでした。それにみんなと同じように寒さに震えていました。冬のさなかだというのに、それらしい衣類は全く与えられなかった。アンネとマルゴーは開け閉めの激しいドアのすぐ隣りという最悪の場所を与えられて、だから2人はいつも『ドアを閉めて!ドアを閉めて!』と叫んでいました。でも、その叫びが日を追うごとに弱くなっていって、2人の命のともしびが消えつつあるのが手に取るように分かりました」

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