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No.8 22/01/05 15:42
匿名さん0
あ+あ-

狭い隠れ家で8人が暮らす窮屈さ、絶対に物音を立ててはいけない、最深の注意を払った行動を要求される暮らし、外に出られない、いわば閉じ込められた中での生活は想像以上のストレスであった。

しかし、最初は自分たちの存在に気付かれぬよう注意を払っていた住人達も、2年間という隠れ家生活の中で徐々に慣れが出ていた。事務所の人たちが帰社した後、また、会社が休みとなる土日には、住人たちは階下に降りて行水をしたり、息抜きをするのだが、気配を悟られぬ為の後始末が雑になり、倉庫番の男性職員が月曜に出社すると、その異変(人の気配)に気付いたりと、住人たちに緩みが出ていたのは否めなかった。

回転本棚は隠れ家側から金具を掛けて固定し、外側からは動かせないようになっていた。しかし、ドイツ警察がアンネたちを捕らえに来た日、回転本棚の金具はきちんと掛かっていなかったそうだ。

私が隠れ家で生活する事となったらどうであっただろう。家族だけでも色々と衝突は起こるのに、ましてや他人と狭い部屋の中で、一歩も外に出られず、プライベートも、娯楽もなく、いつ秘密警察に見付かって強制収容所送りになるかも分からない生活などとても耐えられなかっただろうと思う。まぁ、耐えられないといった所で、生き延びるにはそれしか道が無いのだから、耐える以外に無いのだが…。

午後1時頃、護送用のトラックが到着し、隠れ家の住人8人と、協力者(クーフレルとクレイマン)の2人を乗せ、オイテルペ通りにあったドイツ秘密警察局に連れ去って行った。
ミープとベップは逮捕を間逃れた。
協力者のクーフレルとクレイマンは短い尋問を受け、ドイツ軍によってアムステルフェーンゼヴェフの拘置所連行され、1944年9月7日まで拘留された。その後、市内の別の拘置所で4日間すごした後に、アメルスフォールド通過収容所に送られるが、胃潰瘍を患うクレイマンは収容所で出血が酷くなり、このため9月18日に釈放された。
クーフレルは9月末に厳しい強制労働が待つツヴォレ収容所に送られ、さらにヴァーヘニンヘン収容所でも重労働を課された。その後、ドイツ送りの部隊に選ばれた際、ドイツ国境近くでイギリス軍の攻撃を受けるが、その混乱の隙に脱走する。

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