私ってなんだろう

レス49 HIT数 6879 あ+ あ-


2015/10/02 23:13(更新日時)

モラハラ、男尊女卑の毒親

荒んだ生活
  
嘘などいろんな思いをなんとなくここに書きます。   

最初に断っておきますが、私は超性格最悪です。

ドス黒いしかなりの愚か者です。 

不快な表現や卑猥な言葉も出てくるかもしれません。 

あと、精神的病があるので文章もよみずらく、更新も不定期です。

墓に持っていく前に誰かに聞いて欲しくて、、

スレたてました。


No.2242723 (スレ作成日時)

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No.1

見てます待ってます

No.2

私が産まれた転は、祖父の度重なる借金で家計は火の車だったらしい。

さらに、病気で倒れた祖母がボケだしたらしい。

親父はあんまり危機感感じてなくてまともに仕事しなかったらしい。


その頃、行かず後家の親父の妹(要は叔母)もいて一つ屋根の下、母親だけが狂気に見舞われていたそうだ。

No.3

私は上野家の次女として産まれた

、、というかデキちゃったわけだ

長女とは一年しか差がない。

姉も私も同じ8月生まれだ。
       
母親が姉を出産して次の生理が来るか来ないかわからないうちに私を妊娠してたそうだ。
  
うぇ➰気持ち悪い  
   
ヤリたいからってヤッたらデキちゃったなんて最悪じゃ

No.4

物心ついたら、婆ちゃんはボケてて家族から邪険にされ 

一向に減らない借金のことで親父と祖父は怒鳴りあいの喧嘩ばかりしていた。

しょっちゅう罵声怒号が飛びかっていた。

母親はストレスで神経がやられ、もはや子育て出来る状態ではなく、  

私と姉は放置された。

口の中は虫歯だらけ。  

冬になると手があかぎれだらけになり、
   
保育園の担任は私の手を見てみっともないと言った。

No.5

母親のネグレクトは激しくなり、 


当時私は4歳くらいだったが、

ご飯が作れず菓子パンだけか、ご飯そのものが無い

保育園のジャージを洗えず何日も食べこぼしで汚れたのを着回しした。

その当時の担任からは、私がトロくてボーっとしていたこともあり、とにかく嫌われた。


私を裸にして放置したり、

百合子!今日○○できなかったら飯抜きだからな!と言われた。

No.6

保育園で嫌われて、

泣きながら登園したという理由で半日立たされたり

私の作った折り紙を捨てられたりした。

いつも百合子と呼び捨てで呼ばれ私だけ他の園児と扱いが全く違った。

母親が来るとコロッと変わり急にいい保育園の先生を演じるので母親は今でもその当時の担任を良い先生だと思っている。

No.8

ボケた義母との同居、義父の借金、気に入らないことがあると殴る親父、嫁にいかない義妹、家事、育児 
と母親にのしかかり、母親の体がおかしくなった。

神経がやられたらしい。
 
自律神経失調症みたくなり、感覚をコントロールできなくなり寝たきりになった。

しばらく母親は実家に帰ることになった。

No.9

最初は実家に母親だけで帰ったが、私が母親を恋しがったらしく、私も母親の実家に連れて行かれた。

姉とはしばらく離ればなれになった。

半年くらいだっただろうか。

保育園も休み、母親の実家で過ごしたが何をしていたかほとんど記憶がない。

母親の実家は長兄が継いでいたが、軽い知的障害があり、その奥さんもまた軽い知的障害者だった。

昔の田舎だから、似た者同士で無理やり結婚させたんだろう。

みんなで何も出来ない嫁だ!と奥さんを苛めているのを見て可哀想、、、と思った。

No.10

しばらくして母親と実家に戻りまた元の暮らしが始まった。

わたしが5歳になった時、母親が再び妊娠した

と、いうより孕んだのだ。   

わたしがデキた時点で妊娠しやすい体質だから避妊しようなんて学習能力ないのか?

だらしなく股を開いて本能と快楽に溺れる親を想像すると本当に気持ち悪い

3人めは次こそ男が産まれるかもしれないと、

男児の名前を親父が考えていたが、また女のこが産まれた。

保育園であるお母さんにどっちが産まれた?と聞かれ  
女の子。と答えたらププって笑われた。

sex下手だねってことなんだろう

No.11

妹が産まれてから、母親のヒステリーが更に酷くなった 

妹も寝つきが悪くよく泣いた。

先に述べたように家の借金や嫁に行かない小姑、ボケた婆ちゃんの問題が解決したわけではないのに赤子が1人増えただけだから、重荷には変わりなかった。 

いつもイライラカリカリする母親に少しでも反抗しようものなら即ビンタが飛んできた。

叱る、教え諭すということを出来ない、カーっとなったら怒りに任せて子どもを叩くことしか出来ない母親になっていた。

No.12

母親だけでは、育児ができず、ボケた婆ちゃんも妹の面倒を見るようになった。

色ボケしていて、アミタイツにフリフリのスカート真っ赤な口紅の異様な老婆が赤子の面倒、、

花柄やレースの服や下着を見ると誰のものでも構わず自分のタンスにしまい、家族の誰かの物だった花柄のパンツを履いた婆ちゃん

あの頃は介護用リハビリパンツなんてなかったから家の中でも外出先でもどこでも漏らした。
   
漏らした後の始末は母親がやることになった。

ボケて金持って無いのにパーマを書けてきたり道が分からなくなって警察の世話になったり
  
近所の家で漏らした時もあって文句を言われた。

そんな婆ちゃんに頼らなきゃならないほど家の中はめちゃくちゃだった。

No.13

婆ちゃんが妹の面倒を見ている最中、

母親はけったるいと言って寝ていた。

いつもけったるい、けったるいと言っていて 

今でもしょっちゅうけったるいと言っている。

もちろん私と姉は放置されたままだ。

ボケた婆ちゃんが赤子の面倒を見ると言っても

たかが知れていて、面倒を見ているかと思いきや婆ちゃんが行方知れずになっていて妹が道路で遊んでいたり、

婆ちゃんのうんこを転がして遊んでいた。

それに気づいた母親がめちゃくちゃキレていた。

だったら寝てないで自分で見ろよと思った。

No.14

親父は家事育児は女の仕事と思っているので、
一切手を貸さなかった。

婆ちゃんも母親も親父を何も出来ない人間にしてしまったので今でも箸すら自分で出せない。

老後独りきりになったらどうやって生きていくつもりだろう? 

たびたび婆ちゃんと母親が衝突し、

今度は祖父と母親が喧嘩し、

そうかと思うと母親と親父が喧嘩をし母親はよく殴られていた。


  

No.15

いつしか親父と母親は私を特異な子どもという目で見るようになった。

私だけ何かが違う。

普通の子と比べて知恵が遅れている、劣っているといい始めた。

それから、何かを言ったり行動したりするたび
 
呪いのように

バカだなあ、お前は。と言われるようになった。

私は家族の中の汚点らしい。

バカ、バカと親父と母親から毎日言われた。

姉も真似をして私のことをバカというようになった。

保育園の中で一番バカだ、と親から言われるようになり、

私はみんなと違うんだ、バカなんだ、
 
と自分を責めるようになった。

No.16

母親はあーあ!何でこんなバカが産まれちゃったんだろう!と言って私の頭を3回げんこつで殴った。 

バカだから殴られるんだ。

だから我慢しようと思って泣かなかった。
 

No.17

親父はしょっちゅう母親の顔をブスだ、ブスだと責めた。
 
お前の顔がブスでなければ子どもたちももっと顔が良かったはずだ。

お前みたいなブスと結婚するんじゃなかった。

母親はブスだ、ブスだと言われ、人の外見の陰口を言うようになった。

○○さんは化粧落とすと誰だかわからない笑

と人の欠点ばかりを見つけるようになった。

親父は母親の実家をさんざんバカにし、母親方の親族は下らないヘドの集まりだと卑下し、おまえの親は屑で田舎の百姓だと母親をこれでもかとバカにした。

No.18

ゴタゴタの中、私は小学生に上がった。

けれど、放置には変わりなく、私は宿題を一切やらなかった。 

母親は私の連絡帳にも全く興味がなく、保護者印が押して無いとよく注意された

宿題をやらない理由を調子が悪かったと毎回嘘をついた。

時間割りも全くやらなかったので、ランドセル、机の中はめちゃめちゃ、ぐちゃぐちゃ、 

教科書の忘れ物が半端なくしょっちゅうゲンコツをもらった。

担任から私の忘れ物が半端なく多いと母親に話しがいったようだが、私への興味の無さは変わらなかった。

姉がいい成績をとっていれば良いのだ。

まゆみ(姉)は、まゆみは、
と姉のことばかり母親も親父も気にして私には何の興味もない。

いつしか、用事があるときは姉の名前だけ呼ばれて、私は一切呼ばれなくなった。
  

No.19

母親による放置はずっと続いた。

放置というより、母親は限界を越していて子育てどころではなかったのだ。
  
祖父の借金、ボケた祖母、嫁に行かない小姑、モラハラ親父にブスブス言われ実家を貶され
 
さらには、お前がバカだから百合子(私)もバカなんだ!と母親を責めるようになった。


親父は私をますます、汚点という目で見るようになった。
 
私は親父にとって邪魔な子どもだった。

おまえは顔もブスだし、頭もバカだし、性格も悪いし良いところがない。 

生きていけるか心配だ、としょっちゅう言われるようになった。

姉と妹ばかりちやほやされて、可愛がられて私は忌み嫌われるようになった。


No.20

この頃、ふと、何か思いついたように性器いじりが始まった。

何となくクリトリスを触ったら、あ。。気持ちいい。。と思いしょっちゅう性器を触っていた。
 
いけないことだと思わなかったので、いつものように性器を触っていたら母親に見つかり怒鳴られた。
 
なぜ、自慰をしてはいけないのか理解できなかったのでしょっちゅう性器を触り怒鳴られた 

なので、見つからないように布団の中に隠れてするようになった。

このころ、夢遊病もひどく、朝起きたら全裸で寝ていたこともあった。

後で脱いだパジャマを探したが、どこを探しても見つからなかった。 

寝ていた部屋は2階だったが、階段を登ったり降りたりを繰り返したりもしたらしい。

記憶は無いのに階段を踏み外さないのが不思議だ。

No.21

小学3年生の時に婆ちゃんが死んだ。
 
悲しいという感情はなかった。

あー、死んじゃったんだ。としか思わなかった。 

マザコンだった親父は号泣していたが、  

ふ~ん。としか思わなかった。

葬儀もつつがなく終わりまた悪の日常が戻った。

No.22

その頃、バブルの時期で景気が良く、しょっちゅう外食をしていた。 

外食をするのは私にとって苦痛だった。

姉が残した物を私が食べなきゃいけないし、外食の最中親父は私をブス、バカと罵ったからだ。

姉は残しても怒られないが、私はそういかなかった。 

反抗すると、後でネチネチと顔の事や頭が悪い事、出来損ないの人間だと言う事を責められ棒で叩かれたり殴られるのだ。
 
吐きそうになりながら、完食し、トイレで吐いた。

外食先で知人にあったらしく、その家族に私を指差して、あいつが家のバカです。と言った。

笑われたし、笑うしかなかった。

No.23

毎日、意味も無く親父に叩かれた。

人間は顔か、頭が良くなきゃダメなんだ。

お前はどっちもダメだ。

と嫌と言うほど言われた。

妹にも私見たいになるなと言った。

私はブスだし、頭も悪い。
 
けど、ここまで親父に嫌われる理由がわからない。  

産まれて来なきゃ良かったのか?

No.24

小学4年生の時 

朝から親父と祖父が怒鳴りあいの喧嘩をしていた。  

だいぶ長い間怒鳴りあっていた。 

急に祖父が横になった。

そうかと思ったら、いきなり、生イビキをかき始めた。

頭の血管がキレたのだ。

急いで救急車を呼んだ。

怒鳴りあっていたことを説明するのかと思ったら

レスキュー隊員に、 
 
祖父が突然倒れた。と平気で嘘をついた。

母親もなぜこんなクズ親父をかばう?
 
なぜ、本当の事を言わない??

嘘をついて、その番納めた親父と母親。。

卑怯じゃないのか?幼心にすごく疑問を抱いた。

とにかく、祖父は目の前で死んでしまったのだ。

死人に口無しとはこの事で、その後駆けつけた親族にも、祖父は朝起きていきなり倒れたと話していた。

No.25

思春期を迎えた頃、姉に、

ねえ、万引きしない?と誘われた。

特にためらいも無く、

いいよ。と返事をし、週末街中へ繰り出しては文房具を万引きした。

悪い事をしている感覚は全くなく、簡単にものが手に入ることへの面白さを感じゲーム感覚でしょっちゅう万引きをした。 

万引きしたものを友達に売ったりもした。

No.26

祖父と祖母が立て続けになくなった事を親父は

母親のせいにした。

お前が殺した!と母親を責め続けた。   

全く意味がわからないが母親が殺したことになっている。

死んじゃったものは仕方ないじゃないか。

それに、祖父が死んだのは親父にも原因があるのに。
 
呪いのようにお前が殺した!と責めては母親をよく殴った。 

No.27

しょっちゅう喧嘩をし、殴られて泣いていたのに、母親がまた妊娠をした。


そんなにヤル事がないのか?

子どもは放置でけったるいと言って寝てばかりい
るのにsexだけは出来るなんて獣としか思えない
 
思春期に入り多感な頃に母親の妊娠に気付き気持ち悪いと思った。

No.28

母親が孕んでどんどん腹が大きくなって行くが、親父は一切家事育児を手伝わないどころか、

親はお前がいなければもっと長生きできた。と相変わらずしつこく母親のせいにしていた。


母親が臨月に入ったある夜、いつもの様に喧嘩が始まりなかなかおさまらなかった。

それどころか、親父は母親を外へ引きずりだし往復ビンタをし始めた。

子どもながらに何とかしなきゃっと思ってとっ差にティッシュの箱を投げ親父の顔に当たった。 

ギロっと私を睨んだ。
 
顔に傷ができたと言われた。
  
笑える。ティッシュの箱でどうしたら傷が出来るん?    

自分がDV人間だということを自覚せず、ちゃんとした理由があるからやっていると言い訳し、
自分がヤられたら大騒ぎ。

親に物を投げるなんて、俺は一生忘れないからな!と捨てゼリフを吐いた。
 
いつしか、こんなクズ親父早く死ねばいいのにと思うようになった。

No.29

親父に殴られてから4~5日して母親は出産をした。

また女の子だった。
   

近所の年寄りは下手だねぇと言って笑った。

女4人姉妹になった。
 

No.30

女四人姉妹は珍しく学校でイジられることになった。

私が6年になった時、三番めの妹が1年に上がり、4月だけ保護者同伴で登下校する決まりになっていた。

一番下の妹をばってん紐で背負って亀の甲羅みたいな格好をした田舎くさい母親を見て

うわー、、恥ずかしい、、と心底思った。

No.31

中学に入り更に多感な年頃になった。

四人姉妹というのが汚点で嫌で仕方なかった。

学校で同じ小学校だった奴等が、

上野の家は四人姉妹なんだぜ!と吹聴し、

あはははwwお前の親は何回やったんだ?笑っ
 
と笑われた。
 
本当に嫌で仕方なかった。

No.32

中学に入ってから生意気な行動をするようになった。

ピアスを開け、不良の女番長らしき人から目をつけられた。 

不良の真似をするのが格好いいと思っていた。

上野は生意気だと言われるたび喜んでいた。

付き合う友達も不良が多くなり周りから浮いていった。

不良友達に気に入らない奴をイジメようと言われ、一緒に嫌がらせをした。
  
授業中に悪口を書いた紙を回したり、文房具を隠したりした。

イジメているとか、人を傷つけているという認識は一切なかった。

不良友達と一緒に部活をサボり、街中へいっては万引きをした。
 
万引きしたものを売ったりもした。

全く罪の意識はなかった。

No.33

私が生意気な行動をすればするほど、年子の姉も注目されることになり、姉からしょっちゅう怒られた。

カンニングがバレて教師からも目をつけられるようになった。

大人なんて汚い生き物だと思っていたから目をつけられても構わなかった。

勉強しろと親はうるさく言ったが、勉強なんて小学3年くらいからわからなくなっていたからどうにもしようがなかった。

やったって無駄だし、勉強の仕方がわからない。

理解できない。


No.34

この頃から異性への意識も強くなり、

クラスメイトの男子Aと性の関係を持つようになった。

Aは女好きで可愛いこを見つけては声をかけていたし、彼女もいた。

私にも好きな人はいたが、Aと性的関係になった。

学校のトイレでキスをしたり、胸を触られたり、Aのアレを舐めた。

Aからしてみれば、私はただのセフレで自分の性欲を満たしたいだけの道具だった。

誰にも言うなよ!と言われたが、私は口が軽いのでキスしたことやフェ○したことをペラペラしゃべった。
 
私はモテている、私に魅力があるからだと勘違いしていた。

かなり痛いが当時はそう思って騙されていることに気づかなかった。

私がしゃべった事はすぐ噂になり、Aの彼女の耳にも入り、私の悪口を女子連中がいい始めたが、

私に魅力があるんだからしょうがないじゃん、バーカ、何が悪いの?と開き直った。

次第にヤりマンと噂されるようになった。

No.35

悪友と付き合っているのは親も知っていて、
さんざん付き合うな!と言われたが付き合いをやめず、親父から何度も殴られた。 

お前の教育が悪いからだ!と親父は母親に怒鳴った。

こんな時だけ親のふりするんじゃねーよ

いつもは放置のくせに。

ある日、家の金がなくなり、真っ先に私が疑われた

なんのことかわからない。と答え学校へ行っている間、母親が私の机の中を漁った。

絶対に私が盗んだはずだと決めつけたのだ。

机の中に入れておいた悪友へ宛てた手紙を母親が読んでしまった。

Aとの性的関係や万引きのことなど書いてあった。

私が学校から帰るなり母親が血相変えて詰め寄った。

そして手紙を母親は親父に見せた。

憤慨した親父に散々殴られた。 
  
顔面を繰り返し殴られた。
 
出てけ!と言われ外へ放り出された。

何が起きたのか頭の中で理解できなかった。
 
とにかくバレてしまったことにはかわりない。

親父は私を殴った後、仕事に出かけていった。

どうしたらよいのかわからなかった。

No.36

親父は仕事から帰ってきてまた私を殴った。

いい加減にしてくれないかな。と思い、

泣いて茶番の演技をした。 

私が悪いんです、ごめんなさいと涙を流し謝る演技をした。

 
親たちは万引きをしたこと、性的関係を持っていたことに相当ショックを受けたらしい。
 
だから?
 
てか、私が金を盗んだ犯人だと決めつけ勝手に友達に書いた手紙を読んだ母親には心は絶対開かないと決めた。

それから、万引きはやめたが、Aとの関係は続いた。

No.37

学校へは、勉強でなく遊びに行っていた。

勉強にはついていけなくなっていたが、学校は嫌いではなかった。 

受験生になり、私よりも親の方が必死だった。


模擬テストの結果が悪いと、

良い学校行けないなら行かなくていいと言われた。

親は、私を○○第一高校に入れようと必死だった。

○○第一高校くらい入れなきゃみっともない。と自分たちの見栄のためだ。

姉が私立へ行ったから、私は県立しか金が出せないと言われていた。

個人面談では○○第一高校は内申点が足りない、
無理に近いと担任から言われていた。 

私は別に○○第一高校が無理なら、違う⬜宮高校でもいいと思っていた。

県立ならどこでもいいと思っているのは私だけだった。

個人面談で母親は担任に何とかして○○第一高校に入学させたいと言ったが担任は難色を示していた。

⬜宮高校に行きたいと行ったら母親は金切り声でヒステリックに私をどなり、
 
○○第一くらい行けなくてどうするんだ!!と怒鳴りつけた。

親の言う事はCOACHのバッグじゃなくてCHANELのバッグが欲しいとブランドを欲しがってるのになんら変わりないと思うが、 

結局私は⬜宮高校を受けさせてもらえず,
 
無理やり○○第一高校を受験させられ、
 
結果、不合格。

あーあ、しょうがないか。と思ったのは私だけで、親父はショックで寝込んだ。 

所詮、子どもは自分等をよく見せるための道具だから欲しいブランドが手に入らなくておもしろくないんだろう。

結局、私は私立の滑り止めに行くことになった。

No.38

高校は女子クラスだった。

男子とは校舎も別でほとんど女子高のようなものだった。

同じ中学の子は1人もいなくて、つまらない毎日だった。

私立行かせる金が無いって言うからだから家のこと考えて⬜宮高校へ行きたいって行ったのに、、

高校に落ちてから、更にバカバカ言われるようになった

滑り止めの私立は偏差値も低く、親父と母親にしょっちゅうバカな学校だと言われた。

この頃には、必要最低限のことしか親とは話さなかった。

こんな親には絶対心を開かないと決めた。

何も喋ろうとしない私を母親は精神異常者じゃないかと、いろんな知人にべらべら相談していた。

No.39

バカな学校と言われ、高校受験に失敗したことを攻められて、摂食障害になった。

食べては吐くを繰り返した。

学校でもやった
  
家では一切喋らない私を母親が私の頭は可笑しい、オカシイといっていた  

苦しくて保健の先生に相談したが、親に話すと言われたので、それだけはやめてください!と御願いした。

あんな親に話したところで、また頭がオカシイと言われるだけだし私の苦しみはわからないだろう。

高校の3年間バカバカ言われたが、

今は、私の行きたかった⬜宮高校が甲子園出場し、競争率が上がり、学校のレベルもかなり上がったらしい。、一方で○○第一高校は今では誰でも行ける学校になっているそうだ。

あんなにバカバカ言われて精神を病んだのは何だったんだろう? 

本当にバカを見ただけだった。

No.40

高校では、友達という名の僕を作った。

嫌なところがあったら無視をして省いていく。

仲間ではなく自分よりも下に見ていた。

CDやマンガ本を借りパクした。

返す気など最初から無かった。

返してと言われても返さなかった。

友達の大事さ、人の心の痛みがわからない人間になっていた。

私から去っていったのならそれまでの関係と思った。

No.41

高校の数学が半端なく理解できなくなった。

テストが迫っていたが、小学校の算数からして理解できていないので今さら勉強しても無駄だと諦めていた。

そうだ、カンニングしよう。 

紙に小さく答えを書いた。

が、範囲が広すぎてカンペ以外の問題ばかりだった。

カンニングも虚しく0点をとった。

夏休み補修決定。

遊ぶ余裕なく早起きして学校へ行くはめになった。

No.42

クラスで一緒につるんでいたMちゃんという子が、
いじめられるようになった。

休み時間になると、いじめっ子から胸ぐらを掴まれたりビンタをされるようになった。

しかし、私はMちゃんがいじめられても助ける気は無かった。

自分がいじめのターゲットにならなければ、それでいいのだ。

いじめられてるのを見て、あははは(笑)と笑っていた。

No.43

女子クラスなので、男子との接点は無く、このまま彼氏できずに高校生活が終わるのかと不安に思っていた。

駅やショッピングモールで同中の奴らに出会うたび、彼氏、彼女の話になった。

ずっと彼氏いないなんてカッコ悪いから、

本当は誰とも付き合ったことないのに、

今は彼氏はいない。という設定にして適当に作り話を盛っていた。

No.44

大学生のベル友と会う約束をして、駅で待ち合わせをして会った。

想像してた以上にカッコ良かった。

緊張して全然話せ無かった。

彼の方は、私がイメージと違ったらしく

次の日からメッセージが極端に減った。
  
何でベルの返事返してくれないのだろう?と胸が苦しくなった。

何日かして、彼女ができた。と言われた。

失恋して、ベル友の関係が終わった。

No.45

友達のベル友と成り行きで私が会うことになった。

ベル友とは電車で1時間の距離で、田舎で会ってもしょうがないから私が電車に乗って会いに行った。  

待たせてごめん、と言ってベル友が現れた。

と、同時に生乾きの雑巾の臭いがした。

何、この体臭、、くっさー!!

心の中でそう叫び、
 
全然待ってないよ(^_-)

何くわぬ顔で返事した。

ベル友は自分の事をミスチルの桜井似だと言ったが、どうみてもダチョウ倶楽部の肥後だった。

その日は肥後の体臭に驚きながら平静を装い適当に会話して終わった。

No.47

何日かして、肥後からツキアッテとメッセージがあり

肥後のことは全く好きでなかったが、男女交際とは何かを知るために興味本意で付き合うことにした。 


肥後は私とお揃いのアクセが欲しいとか、記念になるものが欲しいとかキスしてるプリクラとりたいとかウザかった。 

しょうがないから適当に合わせてやった。

それから手紙を送って来るようになった。

由里子のこと一生守ってみせるとか
    
お前だけだとかクサイポエムみたいなのもあって腹を抱えて笑えた。 
 
一生なんて絶対があるかよバーか   
 
手紙を送るとレター送ったから。とメッセージが来た。
 
プププ、レターだって(笑)(笑)

No.48

肥後は自意識過剰ナルシストだった。

自分の高い身長は女にモテる要素だと思ってるらしく
 
今の体操の部活は背が高いと不利なんだと会うたび言ってきた。
 
学校が私立で修学旅行がハワイだったことも毎回聞かされた。

はっきり言ってどうでもいい。

お試しで付き合ってるだけなんだから。

肥後が一方的に私に惚れ、1時間かけて電車に乗り平日なのに勝手に駅で待ち伏せしてるのがウザキモだった。

げっ、いるよ。。汗

うわー、、と思いながらテンション下がりまくりの私に気ずかず会えた喜びに舞い上がる肥後

5分だけでもいいから会いたいと言うから仕方なく付き合ったのに、5分たっても帰らず2時間くらい肥後に付き合わなきゃならなかった。

好きじゃないから
メッセージの内容もオハヨウとタダイマくらいしか送らなかった。

肥後はハートマークが送られて来ないことに不満と不安を感じたようだ。
 
私からは4~5日メッセージを放置したこともあった。

由里子からベル来ない、サミシイと共通の友達にメッセージを送り、友達からメッセージ送りなよと言われた

肥後のそういう周りを巻き混み、女々しいところがうざかった

No.49

進路を決める話になり


姉は下宿させ私立の四大に行かせているけど、 

私は就職だと決められていた。
 
学校に求人の案内が多数来たことを親父に話したら  

どうでもいい。と言われた。

私の将来なんかどうでもいいんだったら自分で決めようと思って美容師の見習いの仕事を選んだ。

明日、職場体験だという時に、親父がこの事を知り大激怒した。
 
ふざけるな!お前が美容師なんかになれるか!
 
お前は人の下で働くようにもうできてるんだよ!

第一、お前の学校は社会に相手にされる学校じゃねぇだろうが!!

親父は怒鳴った。

私は高校受験に失敗し、偏差値の低い学校に行ったことで親からしたら負け組なのだった。

私の就職なんかどうでもいいんじゃなかったのかよ。 

これからは看護師の時代が来るから看護師になれと強引に言われた。 

看護師なんて絶対なりたくない仕事だったから人生終わったと思った

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