子供の頃の話
「バイブ届きました」の主・高木亜紀の子供の頃の話を書いていきたいと思います。
※いじめ、犯罪行為、精神疾患、性的なシーン等ありますので苦手と思われる方にはスルー推奨させて頂きます。
※日記「バイブ届きました」の内容と重複するレスがありますのでご注意下さい。
18/04/04 01:58 追記
※人物名、地名、建物名等を除いてほぼノンフィクションです。
- 投稿制限
- 参加者締め切り
★
真ん中に加藤さんを置いて右側に町田さんが。
左側に私が着いて並び、三人で歩き出した。
「今日で春休み終わりだね~」
「…………」
「もう明日っからシンニュウセイカンゲイカイのじゅんびだね」
「……まっちゃん、さっきの話の続きでさ」
私の声を無視して加藤さんは町田さんの方に顔を向ける。
(うはは(笑)、ムシされた)
それだけ加藤さんは町田さんに愚痴を聞いて欲しくて堪らなかったのだろう。
私を無視して自分にだけ話し始めた彼女に驚いた表情の町田さんが私をちらりと見る。
私側に顔を向けていない加藤さんに気付かれないよう、町田さんに左手でOKサインを作って小さく微笑みを返した。
それを見た町田さんは階段でと同じく小さく頷いた。
「でね、あの社会の沢井(さわい)ってヤツが春休み前にさ…………」
加藤さんは堰の切れたダムの様に口から愚痴を吐き続ける。
並んで歩きながら町田さんに話している内容は、どうやら社会科担当の沢井先生の事らしかった。
と言っても私は男の先生という以外に沢井先生がどんな人か分からなかった。
10組まであるクラスは1組から5組と、6組から10組までで教科担当の先生が違っていたからだ。
加藤さんは1組で町田さんは3組だった。
私は9組で、勿論加藤さんと町田さんの組を考えた上での作戦でもあったが、ここまで上手く行くとはさすがに思ってはいなかった。
けれどまだこれで完璧とは言えない。
あともう少し。
もうちょっとだ。
★
春休み中は部活の時間が終わったら校舎から早く出て帰宅するように、と学校側から言われていた。
普段の部活終わりのように部室に残ってのお喋りは禁止されていたが、私達1年生は休み中の部活後も下駄箱から一階に続く階段に座って色んな事を話した。
春休みに入ってからは階段でのお喋り大会に加藤さんは参加せずに、部活が終わるとさっさとひとりで帰ってしまっていた。
春休み最後の部活が終わり、部室である図書室の鍵を閉めて
「私ら先帰るからねー。今日で休み最後だからみんな早く帰んなよー」
と2年生の西山先輩に言われて1年生皆が
『はい!』
と声を揃える。
下駄箱で上履きから外履きの靴に履き替えた私達1年生は
「今日はおしゃべりダメだね~」
と言いながら階段を降りた。
私達の中には加藤さんがまだいる。
町田さんを見ると目が合った。
私が小さく首を動かすと町田さんも同じく頷く。
早く帰らなきゃね、と言いながらも階段下で明日の始業式が、とか新入生歓迎会の舞台の話を始めた私達を横目に、加藤さんが何も言わずに歩き出した。
「まっちゃん」
私は町田さんに声を懸け、
「みんな、私らちょい先かえるわ」
と他の部員皆に言って町田さんと一緒に加藤さんを追いかける。
数十メートル先まで歩いていってしまった加藤さんに小走りで追い付き、
「かとーさーん、いっしょ帰ろ?」
と言うと、加藤さんは私と町田さんをちらりと見て
「……あぁ……うん、いいよ」
と答えてくれた。
★
「みんなー!そろそろ午後の部活始めるよー」
藤田部長が休み時間の終わりを告げた。
それを聞いて皆が水筒やお弁当箱を片付けだす。
加藤さんは部長の声やまわりに気付かない様子で
「でさ、この前なんかさ…」
と愚痴を吐き続けていたが
「そこ、1年生ー!おしゃべり止めー!」
そう藤田部長に指摘されると、苛立たしそうに加藤さんが黙った。
「かとーさん、コップしまうからそれいいかな?」
「ん?あ、うん」
白のコップを受け取って私も水筒の蓋を閉める。
まだ愚痴を言い足りなさそうな加藤さんは、噛み砕く氷も無くなって余計にイライラが募ったみたいだ。
(よしよし、いいかんじだ♪時間もぴったし)
「じゃあ発声するよー、ベランダ出てー」
午前午後、部活始まりはベランダに出て発声練習をするのがパターンになっている。
ぞろぞろとベランダに出ていく皆の後を面倒くさそうに加藤さんも着いてきた。
発声練習の間何度か加藤さんをちらりと見る。
加藤さんは眉間にシワを寄せて嫌々とした感じで小声で発声をしていた。
一通りベランダでの発声が終わりまた皆が部室に入る。
部室中央まで来た加藤さんは何か考えている感じで席には着かず立ったままだ。
「おーい、かとーさーん」
ちょいちょい、と『こっち』と手を振ると加藤さんは少し間を置いて私達のいる部室前方にやって来た。
また町田さんと私の隣の席に着く。
午後の部活のあいだ中、加藤さんは何度か町田さんにやはり小声で愚痴の続きを話していたがその度に先輩に注意を受けていた。
話したくて話したくて堪らなさそうな加藤さん。
そのまま春休み最後の部活が終わった。
★
イスに座った加藤さんに
「かとーさん、もっと氷どぞ~♪」
と彼女に渡した白いコップに氷と麦茶を入れる。
「……ありがと」
麦茶を飲む加藤さんに町田さんが聞いた。
「加藤さん部活つまんない?」
「…………部活がつまんない、って言うか……」
「ん?」
「…………この学校ってさ」
「うん?」
「……やたらと自由だ、とか教師が言ってるけど全然自由じゃないよね」
「あー、そういうとこあるかもね」
と答えた町田さんに加藤さんは話を続ける。
「みんなやってる事とか小学校の時とおんなじだし」
コップの氷は麦茶の水分で噛み砕き易くなっている。
口に含んだ氷をガリガリと噛みながら加藤さんの愚痴は止まらない。
「自由だなんだって言ってもあれするなコレするなってさ、ちょっと周りと違う事すると教師って怒るじゃん。それのどこがどう自由なんだってさ」
「うーん」
「あと上下関係うるさいし」
「うちの部はそうかもねー」
「そういうのも全然自由じゃないし。結局自由だ責任だって全部嘘じゃん、この学校って嘘ばっかりだよ」
氷がなくなるタイミングを見計らって
「かとーさん、氷どんどん食べて~」
と私は彼女の空のコップに氷を足す。
今は私はホステス代わりだがそれでいい。
「うん」
足された氷をまたガリガリと噛む加藤さん。
「私のクラスの奴らだってさ、同じことしかしないし。それの何が自由だっていうんだかわからないよ。みんな同じにしないとすぐハブったりさ」
「そっか、だからイライラしちゃう?」
町田さんの問いに
「もう本当にみんな馬鹿みたい」
そう答えた加藤さんのコップにまた氷を入れる。
愚痴に夢中な加藤さんは苛立たしそうな顔で、足された氷を噛み砕き続ける。
ちらりと柱に掛かった時計を見る。
お昼休み終わりまで後5分を切っていた。
「なんだろ、むじゅん?って言うの?そんなのばっかだよ、この学校の教師も生徒も」
「そっかあ、加藤さんそう思ってたんだねー」
町田さんがそう言うとほぼ同時に
「みんなー!そろそろ午後の部活始めるよー」
と藤田部長が休み時間の終わりを告げた。
★
「…………今だけだから。行くの」
「うん、それでもいいよ♪きてきて♪」
あえて加藤さんの方は見ず、1年生の皆が固まって話をしている部室前方へ向かう。
皆の席の端にいつも町田さんは座っていて、にこにことしながらお喋りに夢中になっている1年生達を見ている感じだ。
「まっちゃ~ん、きたよー♪ハイ、かとーさんここ、ここ」
近くのイスをガタガタと二脚引っぱって町田さんの席の側に置いた。
「ほい、すわってすわって♪」
「……………」
無言でイスに座る加藤さんに町田さんが声をかけた。
「加藤さんいらっしゃーい」
「……………うん」
誰とも目を合わせないままだったが少し間を置いて加藤さんは町田さんに答えた。
元々座っていた席に置いてある水筒を取って加藤さんの側のイスに私も着く。
「はい、かとーさん氷まだあるよ~」
そう言って加藤さんの手の中のコップにまた氷を落とした。
今度は麦茶も一緒に注ぐ。
「………あり、がと」
「へへっ♪」
コップに口を付ける加藤さんに町田さんが話す。
「真ん中暑かったでしょ?ここすずしくていいよね」
「……そんなでも、なかったけど」
「そう?でも加藤さん来てくれてうれしいなー」
「……ん……」
「前は私らよく話してたね、なんか久しぶりだねー」
「………そう、だね」
麦茶をすする加藤さんを見ながら
(やっぱまっちゃんでセイカイだったな)
と考える。
昨日の帰り道、私は町田さんに
「かとーさんの話を聞いてあげてほしい」
と頼んでいた。
町田さんも快諾してくれたので加藤さんさえ来てくれたなら後はスムーズに事が進みそうだ。
★
一個だけ氷を入れたコップを手にして加藤さんの所へ向かった。
「かとーさん」
加藤さんは返事はしてくれなかったがそのまま続けて話し掛ける。
「コレ、氷また持ってきたんだー。あげる♪」
そう言って加藤さんの座っている席の机にコップを置いた。
「…………ありがと」
やっと加藤さんが声を出してくれた。
「かとーさん、ちょっと前すわっていい?」
コップに口を付ける加藤さんの答えを待たずにイスに座った。
「昨日もあつかったけど今日もすんごくあついねー」
「…………うん」
「ここ、よけいあついっしょ」
「……………」
氷を口に含んだ加藤さんは少し下を向いて何かを言いたげにしている。
「ね、前こない?」
直球どストレートに加藤さんに言った。
「かとーさんさ、なにか思ってることたくさんあるんじゃない?私きくよー。それにまっちゃんもいるしさ、私らんとこおいでよ」
「……………」
「もし私にはなすのイヤならまっちゃんならきいてくれると思うよ。色々かとーさんたまってるでしょ」
口に含んだ氷を噛み砕いて飲み込んだ加藤さんは
「………まっちゃんか………」
と呟く。
「まっちゃんさ、優しいよねー」
「…………うん」
「ね、氷もっといらない?むこうにまだあるし、まっちゃんとこ行ってさ、一緒にちょっと話しよーよ。ね?」
「………………」
何か考えている加藤さんに
「ねっ?まっちゃんとこいこ?」
と言って立ち上がった。
「ね、かとーさん、いこ?」
無言のまま加藤さんもゆっくりと立ち上がる。
(よっしゃ!キタ!)
「…………今だけだから。行くの」
「うん、それでもいいよ♪きてきて♪」
チラリと柱に掛かっている時計を見る。
12時40分を少し過ぎていた。
(ちょうどいいかな)
お昼休み終わりまで後少しだ。
★
春休み最後の日の朝。
昨日と同じく水筒に麦茶を仕込む。
同じくとは言っても今日は氷は昨日の様にみっしりとは入れず、その分麦茶は多め。
それでも十分誰かに分けられるほどの氷の量だ。
一応家を出る前にまた天気予報をチェックしてから学校へ向かった。
午前中、いつもと変わらず発声練習から始まりエチュードを繰り返す。
その間も加藤さんは部活中央、ベランダ側に寄せたイスに座り発声練習とエチュード中以外はひとりのままだった。
12時になってお昼休み。
加藤さんを除く私達1年生はまた部室前方の席に集まり、それぞれ暑い暑いと言いながら水筒とお弁当を取り出す。
1年生の一人、黒山(くろやま)さんが
「あのね、昨日アッキーが氷くれたじゃん?私、マネして氷入れてきちゃったー」
そう言うと他の何人かも
「あー!私も入れてきたー」「えっ?みんなも?私も氷入りにしちゃったぁ」
と笑う。
集まっている内の7人中、私を含めて5人が氷入りのお茶を持ってきていた。
「あはは♪今日もあついしね~。氷サイコーだよね♪」
私もそう言って笑った。
お昼ごはんを食べながらおしゃべりをする。
その間、私はチラチラと廊下側の壁の柱にかかっている時計を見ていた。
(25分…じゃちょっとはやいかな。35分くらいか)
時計は12時20分を指している。
(あと15分したらいくか)
時計の長針が35分を指す前に昨日と同じ様にプラスチックのコップに氷を入れる。
昨日は3個入れたが今日は1個。
時間を確認して立ち上がり、コップを手にして加藤さんの所へ一人で向かった。
★
加藤さんにコップを渡して(今日はこれでよし)と思った。
少しして加藤さんが部室の扉から廊下へ出ていくのが私の視界の端に入ってきた。
部室として使っている図書室の扉は、他の一般教室と同じく前と後ろに扉がある。
夏場や今日の様な暑い日は風通しを良くする為、引き戸になっている扉を部室前後とも開けていた。
前側の扉から出て行った加藤さんは、しばらくするとまた部室へ戻って来た。
前扉の先には手洗い場がある。
「アッキー」
私達1年生の座っている部室前方に加藤さんが来て、談笑していた皆が一斉に彼女を見る。
一瞬、皆の視線にたじろいだ様子の加藤さんだったが、すぐにまた元の他を突き放す様な顔つきと声に戻り
「…これ、ありがと」
そう言ってプラスチックのコップを私に差し出してきた。
「あぁ、かとーさんわざわざ洗ってきてくれたん?ありがとー♪」
「…………うん」
「ん??」
返して貰ったコップを手にしたまま私は首を傾げて笑顔を作り、何か思っている風の加藤さんを見る。
数秒目を合わせていたが加藤さんの方から目線を反らして
「……じゃあ」
と元いた真ん中の席に戻って行った。
1年生皆黙っている。
「ねっ♪みんなさー、まだ氷ある?もちっと残ってるけど、いるー?」
私が皆にそう言うと
「あっ!欲しいー」「私もも少し欲しいな」「いるいるっ」
とまた賑やかになった。
お昼休みが終わり午後練習が始まった。
いつもと同じく短めのエチュードを部員全員がそれぞれ一通り終わらせ、その日の部活は終わり。
やはりひとりで加藤さんは帰って行く。
町田さんと二人で話をしながら私も家に帰った。
家に着いてすぐに冷凍庫の製氷皿から氷を取り出し、また水を張る。
母に
「あしたも氷いるからなるべく使わないで」
と言って自分の部屋に入った。
★
水筒から少し溶けた氷をプラスチックのコップに入れ立ち上がった。
加藤さんの所へ…は行かず、談笑をしている皆の端に座っている女子の元へ向かう。
「まっちゃん、ちょっといい?」
町田(まちだ)さんに声を掛けた。
「ん?なあに?」
「うん、あのね、いっしょにかとーさんとこ来てくんないかな」
「??加藤さん?うん、いいよ~」
立ち上がった町田さんと加藤さんのいる部室中央ベランダ側の席に向かった。
「かとーさん」
加藤さんはチ一瞬チラリとこちらを見るとまた目を反らす。
「今日もあっついねー。これさ、よかったら氷あげる~」
私は手にしたコップを加藤さんの机に置いた。
「アッキー氷みんなにくれたんだよー。おいしいよー」
と町田さん。
机の上に置いたコップをじっ…と見た加藤さんは少しの間無言でいたが、喉の渇きには勝てなかったらしい。
「……ありがと」
「ううん♪コップ返すのいつでもいいからね~」
「……うん」
「ねえ、加藤さん」
町田さんが声を掛ける。
「よかったらさ、みんなのとここない?ここ暑いでしょ。向こう涼しいよ?」
「………うるさいの嫌いなの」
(ああ、やっぱりな)
そうだと思っていた私は
「まぁさ、とりあえず氷たべたら?で、気がむいたらこっちおいでよ。まっちゃんもいるしさ、ね?」
そう言って加藤さんの席から離れまた皆の元に戻った。
町田さんを連れていったのには理由があった。
町田さんと私と加藤さんは同じ小学校の卒業生だ。
加藤さんがひとりで行動する様になるまでは私と町田さんと加藤さんは部活帰りは一瞬に帰っていた。
加藤さんと町田さんの身長は同じ位の高さで二人とも目線の高さがだいたい同じ。
どことなく町田さんも加藤さんと似たような雰囲気だが、町田さんは物腰が柔らかく優しい。
部内でも背の高い加藤さんと町田さんの相性は私から見ても合っている気がしていた。
とりあえず加藤さんにコップを渡して
(今日はこれでよし)
と思った。
勝負は明日だ。
★
口を半開きにしている加藤さんを見て
(よし!いけそうだな)
と思った。
加藤さんは何故かいつもお弁当も水筒も持って来ない。
喉が乾くと加藤さんは部室前の手洗い場の水道水を飲んでいるのは前から知っていた。
お腹が弱いとか体が悪いなど聞いた事は無かったし、春休み前の給食は普通に食べていた様だから何か問題がある訳ではなさそうだった。
「高木さんありがとねー」
2年生の先輩方がそう言いながら部室後方の席にぞろぞろと戻っていく。
前の席はまた私達1年生のみになった。
1年生皆の顔は氷のおかげか明るい。
加藤さんをまた横目でちらりと見る。
やはり手で顔を扇ぎながら口をうっすらと開けて、どこを見ているのでも無いが何か思っている風な顔をしていた。
(……だいぶこっちイシキしてるな)
私の使っていた水筒は今の様なコンパクトな物ではなく、30㎝はある大きな水筒だった。
外蓋になっているコップともうひとつ、付属の白いプラスチックのコップが中に仕込まれているタイプだ。
みんながお喋りに夢中なのを見ながら、プラスチックのコップに少し溶けた氷を3個落とし入れてイスから立ち上がった。
★
(そろそろかな)
「ねぇ、みんなちょっといい?」
皆の話に一段落着いた所を見計らって声を掛けた。
「??なにー?」
1年生の中で一番小柄な橋下(はしもと)さんが答える。
「うん。ねっ、みまさんそのコップちょい出して」
「???」
水筒を強目に叩く。
三間坂さんが差し出したコップに水筒からガランと氷を数個落とした。
「えっ!?あ!わー、氷ぃ!?」
「へへへ♪みんなもいる?」
「いるっ!!」「欲しいっ!」「私も欲しい!!」
それまでおしゃべりで騒がしかったのが余計にうるさくなった。
差し出されたコップにどんどん氷を落としていく。
音が立たない位みっちりと氷を詰めて来たので、その場の1年生皆に配っても残りの氷はまだまだ沢山残っていた。
「ひゃー!おいっしい!」「アッキーありがとー!」「ごぞーろっぷにしみわたるー!!」
最後のセリフは三間坂さん。
「まだいっぱいあるよー♪ほしかったら言ってー♪」
水筒を振りながらそう言った時に部室後方から
「1年生どしたのー?」
という西山先輩の大きな声が聞こえた。
「あっ、すみません!ちょっといま氷みんなにあげててー」
と私も大声で答えた。
「えっ!?氷っ!?」
「あ、ハイ。たくさん入れてきたんで先輩方もいりますかー?」
「いるぅー!!そっち行くから待って!!」
2年生の先輩方が何人も集まって来た。
先輩方のコップにも次々と氷を落としていく。
「ん゛ー!おいひー!」「うわー、生き返るわー」「高木さんありがとー!」
「いえいえ♪どういたしまして」
人だかりのすき間からちらりと加藤さんの様子をうかがうと、口を半開きにしてこちらを見ている。
(よし!いけそうだな)
★
演劇部の部活開始時間は9時。
その日も発声練習やエチュードなどで午前中が終わった。
12時から1時間のお昼休みだ。
窓は全開にしていたが11時を過ぎる頃には部室内は十分過ぎるほど暑くなっていた。
「じゃあお昼休み1時間ねー」
部長の藤田先輩が皆に伝える。
「ひゃー!今日あっついー!」
「飲み物飲み物!!」
と1年生も2年生の先輩方も騒ぎだした。
私も机に向かいリュックサックからタオルと水筒を取り出す。
額に滲んだ汗をゴシゴシと拭いて
「ふぃー!あっちぃー!」
とイスに勢い良く座った。
だらしない体勢で窓枠に頭を乗せる。
私は窓枠に頭を乗せたまま机に置いた水筒を軽く振ってみた。
音はしなかった。
(よし、だいじょぶみたいだな)
「やっと麦茶飲めるぅ~」
三間坂さんが体格に見合わない弱々しい声をあげながら私の左隣のイスに座った。
(よっしゃ、みまさんナイス!)
左隣に座ってくれたおかげで三間坂さんに話し掛けるのに加藤さんのいる方を私が見ても違和感は無くなった。
「あ゛ー!麦茶う゛まいっ!!」
コップに注いだ麦茶を飲み干した三間坂さんが今度は野太い声で言う。
「ははっ」
笑って三間坂さんの方を向くと加藤さんが見えた。
やはり加藤さんは昨日と同じく、ひとり真ん中の席に座って手をうちわ替わりにして顔を扇いでいる。
加藤さんを除く1年生が部室前方に全員集まった。
皆、お茶を飲みお弁当を取り出す。
朝の内にコンビニで買ってきたおにぎりを皆とおしゃべりをしながら私も食べた。
「もー、今日暑すぎないー?」
「なんだろね、まだ4月だよね?」
「麦茶なくなっちゃう~」
おにぎりを頬張りながら1年生のひとりの女子の顔を見る。
誰が良いかは最初から決めていたし、この子なら間違いは無いはずだ。
12時30分を回って皆お弁当を平らげ、後の時間はやっぱりおしゃべりタイムだ。
暑いので皆コップを手の中に握ったまま。
加藤さんがこちらに来る様子は無い。
★
春休み明けまであと2日。
西山先輩の言う所の「民族大移動」は昨日の内に終わった。
正直、私は大分焦っていた。
(あと2日のうちにうまくやらないと)
この機会を逃したら次の解決のチャンスはいつになるか分からない。
そうなってしまうのは加藤さん、私達他の部員、両方の為にも避けた方がいい。
今以上に溝が出来てしまうと加藤さんは部活を辞めてしまうかも知れない。
朝、部活に行く前に新聞を確認する。
いつも新聞は読んでいたのでわざわざ見なくても1週間の天気予報は頭に入っていた。
が、やはり不安だったのでテレビの天気予報もチェックする事にした。
テレビでは
今日明日は晴れで気温も上がり5月中頃の陽気。
ただし、この陽気は明日まで。
明後日からは天気が崩れて冷々とした寒空になる。
と新聞と同じ予報を流していた。
学校へ向かう。
朝の8時30分だったが晴れで日差しは既に強かった。
部室の扉を開けるとまだ加藤さんはいなかった。
「おはよーございまーす」
入口で大きな声で挨拶をするのが部での決まりだ。
「アッキーおはよー」「おはよう」
と先に来ていた1年生数人と2年生の先輩達が挨拶を返してくれる。
昨日移動した部室前方の席に荷物を置いて窓の外を見る。
グラウンド横の校舎に続く舗道を加藤さんがひとりで歩いているのが見えた。
(部活やめる気なさそうでよかった)
ホッ、と息を吐く。
(当たれよー、てんきよほう)
>> 205
★
ひとつめの作戦は荒川先輩のおかげで上手く行った。
部室後方の席は2年生の先輩方で埋まっている。
(……で、たぶん次は……)
部室の扉がカラッと音を立てて開き加藤さんが戻ってきた。
ベランダ側の窓にもたれて気付かれないように加藤さんを見る。
加藤さんは扉前でびっくりした顔で部室後方を見ている。
数秒加藤さんはそのままだったが、暫くすると頭を少し傾げて眉を寄せると2年生の先輩方の所へ向かっていった。
私は聞き耳を立てたが加藤さんの声は聞こえず、その代わり西山先輩の
「私らこっち座る事にしたからー。荷物そっち動かしちゃったよー」
と言う大きな声が聞こえた。
(よし。これでかとーさんこっちくればそれはそれでオーケー。……でもたぶんこないだろ)
思った通り、加藤さんは部室真ん中、ベランダ側の机に荷物を置くとそのまま席に着いた。
(やっぱりな。そうなると思った)
その日の部活は席替え以外いつも通りに終わった。
ひとりで帰っていく加藤さんを見て
(次シッパイしたらさいごかもだけどたぶんうまくいくはず)
と他の1年生の皆とおしゃべりをしながら考える。
春休み開けまで残り2日。
★
「確かにそーだわ。ここの方が照明とか使いやすいもんね」
と、西山先輩。
「そうだね、1年生やりやすくなるか」
それまで机に座り足をぶらつかせながら側で聞いていた伊東(いとう)先輩も同意してくれた。
「みんなー。1年生とこの場所代わったげよ」
西山先輩がまた大きな声で先輩方に言う。
「えー、でも真ん中暑くない?ここ涼しくていいのになー」
同じく2年生の野崎(のざき)先輩が不満げな声を出した。
ちらりと荒川先輩を見ると目が合った。
「……じゃあ後ろは?今、加藤さんいるとこ。加藤さんにはどいてもらって」
荒川先輩が助け船を出してくれた。
(荒川センパイ、やっぱ私の考えわかってくれてるっぽい!)
「あぁ、後ろなら涼しいか。カーテンあるもんね、日もあんまり当たんないし」
野崎先輩も荒川先輩の話を聞いて納得してくれた様だ。
「じゃあ今から民族大移動しよっか。高木さん、1年生らここ来ていいよー」
西山先輩がそう言うと2年生の先輩方が皆立ち上がる。
「あ、ありがとうございます!」
ぞろぞろと部室の後ろへ移動していく先輩方を見ていると、また荒川先輩と目が合った。
目を合わせたまま私は先輩に小さくお辞儀をした。
荒川先輩も私を見て頷く。
加藤さんはまだ部室に戻って来ていない。
先輩方が部室の後ろの席についたのを見て1年生が固まって喋っている所に戻る。
1年生皆に先輩方に話した音響や照明の事を同じく言って、部室前方にすぐに移動した。
(よし!ひとつめセイコウ!……で、たぶん次は……)
★
「高木さん」
それまで黙って見ていた荒川先輩が私の名前を呼んだ。
訝しげな顔の西山先輩と違い、荒川先輩の顔つきはいつもと変わらず落ち着いた感じだ。
けれど整った顔の荒川先輩の表情は少し冷たく見えるのがいつもの事で、その時もその表情が私はやはり怖かった。
何となく返事が出来ずにいたが荒川先輩が続けて話す。
「なんかさっき照明や音響がどうとか言ってたけど、どういうこと?何かあるの?」
「あ!はい!……あ、えと、そうなんです、ちょっとカンケイあって」
私がそう答えると今度はまた西山先輩が
「関係??」
と、首を傾げる。
他にもその場にいた先輩方皆が私を見ていた。
やっと本題に入る事が出来そうになってホッとした。
新入生歓迎会での勧誘を兼ねた劇は、文化祭や演劇大会とは違い上演時間が短い。
その為に劇の出演者も少なくなり、先輩方から優先的に役に付くのが慣習だと顧問の花巻先生から既に聞かされていた。
新入生歓迎会の舞台の脚本は部室にある脚本集の中から候補が3本出されていて、春休み明けすぐに1本に絞る予定になっている。
候補になっている3本の脚本はやはりどれも短めで登場人物も少ないものだった。
今の1年生は殆どが裏方に回るのは確実だ。
先輩方が今いる場所、つまり部室前方には舞台稽古で使うラジカセとスタンドタイプの照明機具が置いてある。
しどろもどろになりながら、現状を掻い摘まむ感じで何とか話し
「……というワケでですね、あの、前の方だと音響とか…色々つかうのが1年生になるので…………場所を………その」
「あー!!なんだ、そういうことー?」
西山先輩が大きな声をあげた。
★
その日の内に出来る事はしようと思い、部活の休み時間に2年生の先輩方の所へひとりで向かった。
いつも劇や発声練習等の為に、部活が始まる前に教室内の机をベランダ側に寄せる決まりだ。
なので先輩方が座っているのはやはりベランダ側で、部室の前方だった。
「……あの…センパイ、ちょっといいですか?」
お喋りをしている先輩方に声を掛ける。
その先輩方の中に荒川先輩がいるのは勿論確認済みだ。
そして加藤さんが部室にいない事も。
「?どしたの??」
副部長の西山(にしやま)先輩が答えてくれた。
「あの、ソウダンがあるんですけど……」
「??」
「えっと、春休み終わったら『新入生カンゲイ会』の練習はじまりますよね?」
「?」
「したら、えっと、たぶん私たち今の1年生がオンキョウとかショウメイとか中心になってやるようになりませんか??」
「あー、そうだね。新歓のは多分1年生ほとんど舞台出れないだろうし、そうなるかな」
(よし!)と心の中で小さく思う。
「高木さん、相談って新歓の舞台の事?」
西山先輩が首を傾げた。
「あ、えと…ソウダンというかお願いになっちゃうかもなんですけど……センパイ方のこの場所、私達に、あの…くれませんか?」
「へっ??」
私と西山先輩とのやり取りを他の先輩方も何人かが聞いていた。
荒川先輩もこちらを黙って見ている。
「え?私らにここから移れって??」
西山先輩が訝しげに言う。
「あの、うつれとかっていうか…あの……」
黙って見ていた荒川先輩が
「高木さん」
と私の名前を呼んだ。
★
加藤さんは窓の外に顔を向けてはいたが何も見ていなかった。
私はそれに気付くまでは、加藤さんはグラウンドで動く人でも見ているのだろうと思っていた。
が、それは違った。
何故なら窓の外には手すり付きのベランダがあるのだが、丁度彼女の席横は鉄の格子手すり部分ではなく、コンクリートの手すり壁だったからだ。
ただただ、加藤さんは灰色のコンクリートの壁を見ているだけだった。
(これは……色々キョウリョクしてもらわないとダメかな……)
「かとーさん、ごめんねジャマしちゃって。むこー行くね」
イスから立ち上がってそう言ったが、加藤さんは返事はしてくれなかった。
1年生の固まって座っている場所は部室のベランダ側、真ん中だった。
普通の教室より広く作られている図書室は窓も大きく、私達1年生のいる所は陽当たりがとても良い。
日によってはまだ春だと言うのに暑く感じる程だ。
因みに「図書室」と言っても極端に本は少なく、教室の後ろの小さな書架に図鑑が何冊か置かれているだけだった。
一応「本の保護の為」なのか、「図書室」のカーテンは分厚い。
はじに寄せられているカーテンのおかげでか、「部室」の両端は陽当たりもなく涼しかった。
1年生が固まっている場所に戻って考える。
(まずは場所からだな)
春休みが終わるまで、残り3日。
★
小学生の頃、私と加藤さんの家は割りと近かった為よく遊んでいた。
私が幼稚園児の時にひとりで入り込んで遊んでいた、あの公民館のすぐ目の前が加藤さんの家だった。
公民館の駐車場は広くて、私の通っていた小学校の児童達の格好の遊び場になっていた。
加藤さんとふたりで遊ぶ様になったのも、その公民館の駐車場で知り合って意気投合したからだ。
加藤さんは平凡な感じの家の一人っ子だ。
お父さんはサラリーマン、お母さんは専業主婦。
こじんまりとした一軒家に住んでおり、時おり加藤さんの家で遊ばせて貰った事もあった。
少し陽当たりの悪い加藤さんの家の中は、外が日が照っていてもいつも薄暗かった。
加藤さんのお母さんは余り騒がしいのが得意ではなかった様だ。
家にあがらせて貰った時は少し小さめの声で話すのが約束事になっていた。
加藤さんのお父さんが帰宅したら遊ぶのは終わり、というのも何となくの決まりだった。
お父さん子だった加藤さんは、お父さんが帰ってくるとそれまでとは別人の様に笑って大きな声で話していた。
普段小声で話す加藤さんが、お父さんの前とでは全然違うのに驚く程だった。
静かな少し暗い家で小声で話すのがいつも。
矢鱈と陽当たりが良く部員の話し声で騒がしい部室は、そういう家で育った加藤さんにとっては居心地が悪かったのだろう。
けれど、かと言って加藤さんは大人しい子だった訳ではなかったし、人と話すのも嫌いだったというのでもなかった。
私と仲良くなってくれて、外ではいたずらをしたり走り回っていた彼女だ。
人や楽しい事が好きでちょっとだけ寂しがり屋だった。
そんな加藤さんについて気付いたもうひとつの事。
部室の一番後ろの席で窓の外に顔を向けてはいたが、加藤さんは何も見ていなかった。
★
「どうかな。加藤さんとみんなが前みたいに仲良くなれるように出来ない?」
「……………あの」
「うん?」
「………あの…や、ってみます。ただ……、うまく出来なかったらすみません………」
「……うん。お願いね」
荒川先輩からの話を請け、部活が終わり家に帰ってから色々と考えてみた。
…が、考えてみた所で加藤さんの気持ちが解る訳でもない。
今までだって加藤さんの気持ちが解らなかったから何も出来ずにこうなっているのだ。
(考えてわかんないなら……)
翌日。
部活始まりの15分前、私は部室になっている図書室の後ろの方の席にひとりで座って窓の外を見ている加藤さんの元へ向かった。
「かとーさん」
声を掛けた私を気だるそうにチラリと見て加藤さんは
「何?」
とだけ答えたが、またすぐに窓の外に目を向けた。
「うん、ここ、すわってもいーい?」
加藤さんが着いている前の席を指差す。
「…………別に用ないでしょ。あっち行ってなよ」
「んー、用とかじゃないんだけど、だめ?」
「………………」
加藤さんは答えない。
「たまにはしずかなのもいーかなーって思って。ちょっとだけ。ね?」
「好きにすれば」
「うん」
加藤さんの前の席に座る。
「…………………」
「…………………」
加藤さんも私もお互い何も話さない。
加藤さんは黙って窓の外を見たまま。
私はイスの背もたれにだらしない感じで体を預けて辺りをゆっくり見回す。
(…………ふーん…………この場所って……)
私の座っている席からは部室内がよく見えるのに気付いた。
それまでは割りと広いと思っていた部室だったが、今いる位置からだと案外と部屋は狭く感じる。
いつも気にせず普通に話をしているつもりだったが、他の部員の皆の声は結構大きくて話の内容まで解るほどだった。
(………あー………これはちょっとなー………)
加藤さんが好きな雰囲気ではないな、と思った。
後、もうひとつ気付いた事があった。
★
部活が始まってすぐに荒川先輩に
「高木さん、ちょっと廊下来て」
と言われビクビクしながら先輩の後について廊下へ出た。
(なんだろ…私なんかしたかな…)
春休み終わり間近の校舎は人気も殆ど無く矢鱈と静かで、その静けさが余計に私を不安にさせる。
何を言われるのか怖くて下を向いている私を荒川先輩はじっ…と見つめていたが、暫くして口を開いた。
「あのさぁ、高木さんさ」
「…………はい…………」
「高木さんてさ、1年生の中でリーダーみたいな感じだよね?」
「………?………あ、いえ、そんなでも……」
(……あー……ヤバい、私目立っちゃってたんだ……。それで先輩怒って……)
「……高木さん、加藤さんの事どう思ってる?」
「……………??」
「最近加藤さんひとりでいるよね?気付いてる?」
「あ………はい……なんでか加藤さん私達からなんか……離れていっちゃってて……」
「そういうのさ、良くないよね?」
「……はい……」
「うん。でさ、高木さんなら加藤さんの事何とか出来ないかな」
「??」
「高木さん、ムードメーカー?みたいな所あるしリーダーっぽいとこもあるよね」
「…………」
「私ね、高木さんなら加藤さんの事何とか出来ると思ってるのね。これ2年生みんな同じ考えなの。このままだと加藤さんにも1年生みんなにとっても良くないよね?」
何か怒られるのだとばかり思っていた私は荒川先輩の話にびっくりした。
何より先輩方が私達1年生の事をよく見てくれていたのにも驚いたし嬉しかった。
「どうかな、加藤さんとみんなが前みたいに仲良くなれる様に出来ない?」
★
卒業式に咲いていた桜も散って春休み。
部活では特にする事もなく、私達1年生にも気持ちに少し余裕が出てきた頃だった。
1年生の部員は私を含めて8人だったが、その中のひとりである加藤(かとう)さんが部内で問題になってしまった。
加藤さんは私と同じ小学校出身で、小学生の頃は私と加藤さんの家が近かったのもあり、たまに二人で遊んだ事もあった子だ。
3年生を送る会までは加藤さんも他の1年生も皆仲が良く、部活の時間はほとんど8人で揃って一緒に行動していた。
が、春休みに入ってから加藤さんが私達と距離を置く様になった。
理由は分からなかった。
加藤さんは部室の後ろの席にひとりで座り、私達の方を見る事も余り無かった。
私も他の1年生も加藤さんを気にはしていたが、離れていく理由も分からないし、どう話し掛けていいか考えあぐねている所もあった。
2年生の先輩方が加藤さんを心配している様子なのも何となく伝わって来ていた。
時おり先輩方の私達や加藤さんへ向ける視線に気付いたが、誰も何も言わないまま時間だけが過ぎて行った。
もうすぐ春休みも終わり新年度になるという頃、私は2年生の荒川(あらかわ)先輩に廊下に呼び出された。
私ひとりが呼び出されたので
(なにか目ぇつけられるよーなことしたのかも)
とびくびくしていた。
荒川先輩は美人で声の綺麗な人だった。
けれど学校内では不良だと噂されていて、部活でも少し浮いた感じの存在の先輩だった。
まだ中学生だというのに荒川先輩はお化粧をし、長いスカートにはよく見るとタバコの火で開いたらしい穴が幾つもあった。
そんな荒川先輩に二人きりで話があると言われ怖くて堪らなかった。
★
無事に3年生を送る会も終わり、あっという間に卒業式を迎えた。
式の日の朝から三間坂さんはずっとしょんぼりとしていて、式が終わり解散の時間になると私の元へ来て顔をぐしゃぐしゃにして泣いていた。
どうやら三間坂さんは3年生のサッカー部だった男の先輩に片想いをしていたらしい。
「…もうセンパイ見れないよ~、うあ~ん」
とボロボロと涙を溢して鼻をすすりながら、その先輩への贈り物らしい手作りクッキーの包みを胸元に押し当てていた。
「うぅ…センパイこれうけとってくれるかな……ううっ……」
ずびっ、ずびっと何度も鼻水をすすりながら
「……わだしてくる~。うぅう……」
と言って三間坂さんは片想いの先輩の所へ駆けていった。
その年は桜の開花が早く式の日には花はすでに満開だった。
グラウンド横の歩道脇に何本も植えられている桜の木からは、強い風に煽られてたくさんの花びらが散っていた。
花びらの中を駆けていく三間坂さんの姿を見ながら、私は昇降口の階段下で一人でボーッとしていた。
なんだか複雑な気持ちだった。
幼稚園の頃は卒園の意味もまだ分からなかったし、小学校の時は顔ぶれも特に変わらないのだから、と卒業には何の感慨も沸かなかった。
なのに今、ピンク色に染まった景色の中で笑ったり泣いたりしている人達を見ていると、不思議と私の目にも涙が浮かんだ。
(……卒業って)
こんなにも寂しくて、こんなにも綺麗なんだな、と初めて思った。
(センパイ達がしあわせになれますように)
心からそう願った。
そして三間坂さんは見事に先輩にフラレた。
★
遠藤先生が話す。
「前からもね、あの用務員さん色々揉め事あってね。うーん……、女の人をね、下に見たりする所とかがあってね」
「………」
「で、高木さんさ。今回用務員さんに言われた事も言った事も忘れていいから」
「え?」
「あの用務員さん、今年度いっぱいで辞めるの前から決まってたからね。忘れていいよ。で、明日から僕も一緒に灯油取りに行くから」
「え、あ…」
「高木さんは普通にしてたらいいから。何かあったら僕が話すから」
遠藤先生は私をまっすぐ見ていて、話に嘘が無いのが何となく分かった。
「……ハイ……、あの、でもなんか……すいません」
「だけど口の悪いのは程々にしなきゃ駄目だよ?」
「……ハイ」
私が答えると先生はニコッと笑った。
「じゃあもういいからね。あ、あさって3年生を送る会だね。演劇部頑張ってね」
翌朝から本当に遠藤先生は倉庫まで着いて来てくれる様になった。
栗原さんという用務員さんの日に倉庫に行くと物凄い顔つきで睨まれたが何も言われなかった。
一度だけ栗原さんと廊下ですれ違った時に
「………ガキが」
と目も合わせずに言われたが、それは先生には話さなかった。
★
翌日のお昼休みに遠藤先生に廊下へ呼び出された。
どうせ用務員さんの事だろうと思ったらやはりそうだった。
けれどてっきり怒られるのかと思いきやなんだか先生の話は違っていた。
「高木さん、用務員のおじさんと喧嘩したでしょ?」
「ケンカっていうか…なんか色々言われてムカっときて」
「ジジイとか言った?」
「あー……ハイ……きのう……」
「………うーん、あの用務員さんね。昔、警察官だったんだよ。だから少し頭がね。固い所があるみたいでね」
「??……ハア」
「なんか用務員さんも良くない事言ったでしょ?」
「………オンナ子どもは、とかなんか……」
遠藤先生が腕組みをして天井を見上げた。
「うーん……良くないねー」
「……あの、ジジイはちょっとまずかったと思いますけど、イラっとして」
ふぅ、とため息を吐いてから先生は言う。
「もう一人の用務員さんにね、高木さんの事聞いたんだよ。そうしたら高木さんすごくいい子だって言ってたんだよね」
「??」
「いつも挨拶もちゃんとしてるらしいし、倉庫整理たまに手伝ってるんでしょ?先生は知らなかったけど」
「あー……いや、手伝うってか……灯油重いし、大変そうだったし……」
「うん。だからね、栗原(くりはら)さ…、あ、高木さんと喧嘩した用務員さんがね、すごく怒って結構酷い事言ってたからね」
「……ハア……」
「用務員さんの方が問題になっちゃったんだよね」
「……??」
★
翌朝、倉庫に灯油を取りに行くと、仲の良い用務員さんがいたのでまたいつもの様に少し話をした。
翌々日は怒り顔の用務員さんだったが、用務員さんが背を向けている時にサッとポリタンクを持って倉庫を出た。
朝のホームルームで担任の遠藤(えんどう)先生が出欠席をとった後、私をじっ…と見つめてきた。
何となくだが
(ジジイのことだな)
と思ったが、遠藤先生は何も言わなかった。
お昼休みになって部活の顧問の花巻(はなまき)先生に用事があったので、三間坂さんと一緒に職員室に向かった。
私達1年生の教室は校舎の4階、職員室は2階にある。
昇降口(げた箱)前を通って職員室に向かう途中で、昇降口の入口にあの怒り顔の用務員さんがいるのがちらりと見えた。
職員室で用事を済まし昇降口前を通るとまだ用務員さんがいた。
三間坂さんに小声で
「……ジジイいるわ」
と言うと三間坂さんも用務員さんに気付いて、やはり小声で
「……はやくいこ。きらい、アイツ」
と答える。
一昨日の事も、担任の先生に告げ口をした(だろう)事もムカついていた私は大きな声で
「せんべージジー!!」
と叫んだ。
びっくりした顔の三間坂さんに
「はしれっ!!」
と言って二人とも走り出した。
階段を駆け上がって踊り場で息をつく。
用務員さんが追いかけて来ないのを確かめてから三間坂さんと顔を合わせて笑った。
(あんなジジイになに言われたってしるかっつの!)
朝からずっとそう思っていたのでスッキリした。
★
「ガキにガキって言って何がおかしい!!」
「おかしいのわかんないんですか!?だいたいいっつもなんなんですか、どなりゃいいってもんじゃ」
「黙れ!!口答えするな!」
「口ごたえもしたくなるでしょ!?いつもどなるしメイレイするし、もうちょっと言いかたってあるでしょーが!」
唾を飛ばしながら怒鳴る用務員さんを睨みながら答えた。
「怒鳴って何が悪い!!お前らガキがだらだら残ってるのが悪いんだろうが!部活だかなんだか知らんがガキが一丁前にこんな時間までいやがって!」
「ガキガキ言うの止めてもらえません!?それに学校がこの時間までいていいって決めてんですよ!?なのにいつも」
「うるさい!!ガキはガキだ!大体な!女子供は学校なんて来る必要無いんだ!家で大人しくしてろ!!」
「はぁ!?女子供!?来るヒツヨウない!?何言ってんですか、いつのジダイですか!?おじさんおかしいですよ!?」
「うるさい!!」
また唾を飛ばす。
「おじさん、とりあえずツバとばすのやめてくださいよ、センベイくさい…」
そう私が言うと用務員さんは近くにあったイスを蹴り飛ばした。
「きゃあっ!」
回りで見ていた部員の誰かが悲鳴を上げる。
「ちょっとっ!あぶないでしょ!?ものに当たんないで下さいよっ!!」
そう言ったが用務員さんは聞く耳も持たず
「お前の顔覚えたからな!?ガキが!!」
と言って部室から出て言った。
「なんだありゃ?頭おかしいんじゃねーか??」
「………ア、アッキー………」
「ん?あ、ごめんねみんな。ケガとかしてない?イスとんだっしょ」
私が振り返るとすぐ近くにいた三間坂さんが言う。
「…………アッキー、なんかアッキーこわかった………」
「え?こわいってなんで??」
「なんか……キカンジュウ?みたいだった、バババって話して……」
「へっ?そう??ま、いーや。ジジイまた来たらメンドウだからさ、みんな帰ろ」
固まっている皆にそう言って部室を出た。
★
2月も下旬になりあと数日で「3年生を送る会」での演劇部の舞台本番だ。
練習も大詰めを向かえ部員の皆が下校時間ギリギリまで部室に残り、帰り間際に衣装や道具、音響などのチェックをする。
本番も近いのでチェックをするだけでも気は抜けない。
その日も一通りチェックが済み、2年生の先輩方がいつもの様に私達に
「じゃあカギ閉めお願いねー」
と言って先に帰っていった。
3年生の先輩方が部を引退してからは、部室のカギを閉めるのは私達1年生の役割になっていた。
先輩方が帰ってから残った私達は部室で少しお喋りをしてから帰るのがいつもで、よく見回りに来る用務員さんに
「お前ら早く帰れ!」
と言われていた。
そんな風に『お前ら』呼ばわりするのは決まって二人いる内の一人の用務員さんで、いつも素っ気なく怒り顔のあの用務員さんだった。
「そろそろ帰んないとね」
暗くなりかけの窓の外を見て1年生の誰かが言った時だった。
急に部室の扉が開き
「お前ら!まだ残ってるのか!早く帰れ!!」
と怒鳴られた。
怒り顔の用務員さんだ。
(……またかよ、いっつもうるせージジイだな)
ついイラっとしてしまった。
「わかってますよー。帰ります帰りますー」
そう私が答えると
「なんだ!!その言い方は!!」
と、いつもなら入って来ない用務員さんがズカズカと部室に入り込んで来た。
「お前か!今生意気な口利いたのは!!」
私の目の前に立ち、唾を飛ばしながら用務員さんが怒鳴る。
「はい?なんですか?ナマイキ?」
「お前!!何年生だ!何組の奴だ!!」
「はぁ?それ聞いてどーすんです?てかナマイキってなんですか?」
「黙れガキが!!いいから何年の何組だ!」
「ガキ!?そういうよび方ないでしょ!?」
口論になってしまった。
★
私はクラスのストーブ係だった。
朝は早く登校して用務員さんのいる倉庫にポリタンクを取りに行く。
ストーブに灯油を入れてスイッチを押し、火を着けるまでが私の仕事だった。
面倒だなとは思いつつも毎朝仕事をこなした。
用務員さんは二人いて、その内の一人の用務員さんに私は何故だか覚えが良かったようだ。
ポリタンクを受け取る時には用務員さんと他愛もないお喋りをしたり、私が寒くて鼻をすすっていると風邪薬をくれた事もあった。
もう一人の用務員さんはなんだかいつも怒った様な顔をしていて、挨拶をしても素っ気ない感じだった。
日替りで勤務していたらしく、怒り顔の用務員さんの日には倉庫に行くのが少し嫌だった。
ストーブを着けてもすぐには暖まらない。
倉庫から帰ってきて冷えた体を震わせながら、まだかまだかとストーブの前で火が大きくなるのを待った。
ストーブの位置は廊下側の扉前、イチの席の目の前だ。
イチが朝練を終えて教室に入ってくる。
「お、イチおはよ」
「はよ」
席に着くイチと挨拶を交わす。
「今日もさむいねー」
「そお?走ってたからわかんね」
「そりゃあんたはそうだろけどさ」
「あ、それよりオバサン、こないだの本だけど」
そんな風にイチと話す時間は短かったが、私には大事に思えた。
段々と暖かくなるストーブの前で、気心の知れた誰かと一緒にいると気持ちまで温まっていく気がした。
★
「アッキー、部活いこー?」
「うああっ!?」
急に声を掛けられておかしな声を出してしまった。
同じ演劇部で一緒のクラスの井上さんがいつの間にか私の席の横に立っていた。
「??アッキーどしたの?」
「あ、わ、あ、いや、なんも……」
「早くいこーよ、おくれちゃうよ?」
「………あ、あー………い、いのっち!!」
「???」
「あ、あのさ!こないだのチョコ、どうだった?あじ……」
「チョコ?あー、くれたやつ?おいしかったよ」
「ほんと?……じゃ、じゃあさ、まだあるんだけどたべないっ!?」
カバンからチョコレートの入った箱を取り出す。
「おおく作っちゃってさ、たっ、たべない?」
「えっ?いいのー?食べる食べる!」
ガサガサとリボンと包装紙を外して井上さんに箱を差し出した。
「わー、ちゃんとハコに入ってるんだぁ。いただきまーす♪」
「どーぞどーぞ!わ、私もたべよかな……」
結局チョコレートはイチには渡せず、井上さんと私の腹の中に収まってしまった。
(ダメだな……私……)
それから数日ずっと落ち込んだ。
(イチにあげらんなかった……)
箱やリボンも揃えたのに、と自分にガッカリした。
★
16日にもイチの分のチョコレートを学校に持っていった。
今日こそ放課後に渡そうと思っていた。
何だかドキドキして、そうでなくてもいつも聞いていない授業が余計に聞こえない。
(イチにわたすだけなのに!!)
頭の中でイチに
『ほらよ、あげる』
と何度も渡す時のシミュレーションを繰り返す。
そんな風に考え続けていたら授業も終わり、あっという間に放課後になった。
イチは休み時間や放課後はよく廊下側の教室の壁に背を付けて、机に向かわず横向きに座っていた。
イチの席は教室の廊下側、一番前だったので横を向いて座ると教室全体を見渡せる形になる。
何故だか昨日から休み時間になるとイチがこちらを見ている気がしていた。
その日も放課後になってやはり私の方を見ている。
チョコレートの入ったカバンを机の上に置いて横目でイチの方を窺うと、やはりこちらをチラチラと気にしているようだ。
(なんだよ、早く部活のじゅんびしろよ…!)
イチが立ち上がったら後を追いかけて、さっと渡してしまおうと思っていたのでなかなか席を立たないのにイラついた。
教室にはまだ沢山の生徒がいる。
(ムリムリ!教室でとかじゃムリ!!)
そう思ってもイチは立ち上がる様子もなくただこちらを見ている(気がする)。
「アッキー、部活いこー?」
「うああっ!?」
急に声を掛けられて変な声が出た。
★
バレンタイン当日は部活の先輩方や同じ一年生の部員の皆にチョコレートを渡した。
イチゴのチョコソースがけという簡単なものだったが、部の人達には概ね好評だった。
なんとなく勘違いをされても困ると思い、クラスの仲の良い男子達には翌日の15日に渡そうと決めた。
仲が良いと言ってもイチを含めて3人だけだ。
中村くんの分は用意しなかった。
15日になって給食後のお昼休み、二人の男子に
「ギリだけどこれあげるよ」
とこれまた簡単にラッピングしたチョコを渡す。
イチ繋がりで仲良くなったその男子二人にはあっさりとチョコをあげる事が出来たが、問題はイチ本人だった。
バレンタイン数日前までは
(イチにはせわになってるし)
と他の人に渡すものよりも二つチョコを増やし、少し豪華めのラッピングで渡そうと決めていた。
が、15日になっていざイチに……とお昼休みに渡そうとしたが急に恥ずかしくなってしまった。
(イチにだけごうかにとかしなきゃよかった……)
数日前の自分の考えを後悔した。
目立つのだ、凄く。
たった二つ多いだけのチョコレートは思っていたよりも嵩が増し、箱も大きくなってしまった。
離れたイチの席に持って行くにはあまりにも目立つ。
何より他の男子二人に渡したものと違うのがバレたら、また回りから何を言われるか大体想像がついた。
結局その日はイチにチョコレートを渡す事が出来なかった。
(もー!何やってんだ私!!)
★
麻生さんが八木さんに聞く。
「八木ちゃん、ほんとにアッキーに言っちゃっていいの?」
「うん、アッキーは小学校いっしょだったし。アッキーなら」
「そっか。あのね、アッキー、ほかの人にはぜったい言っちゃだめだからね?八木ちゃんね、二学期の時に中村にコクハクしたのね」
私は八木さんの顔も麻生さんの顔も見れずにいた。
「……あ、…………あー………」
「中村もね、ねっ、八木ちゃん」
「アッキー、聞いてくれる?………中村にね、前にコクハクしたんだ……。で、中村もね……すきだって………」
「そうなんだよ、りょう思いなんだよ八木ちゃんたち。なのにさー、中村がなんかハッキリしないらしくて」
「うん……。ハッキリとかっていうか……ふたりでどこか行ったこととかもないし……」
「でもさぁ、ちゃんと八木ちゃんのことすきっていってたんだからさ、チョコぜったい受けとるよね?」
「………でもコクハクしてからけっこう時間たってるし……」
「だいじょうぶだってば!てゆーか中村、あいつ男なんだからさ、すきならさぁ……」
それ以上は八木さんや麻生さんが何を言っているか頭に入って来なかった。
家に帰ってチョコ作りを始めた。
黙々と作業する。
出来上がったチョコレートをひとつ食べてみた。
(…………おいしい…………)
でもそれ以上食べたいとは何故か思えなかった。
★
「ちょっ!アッキー、今の聞いてた!?」
「………あー、えっと……もしかしてバレンタインの……」
「アッキー!!しー!!」
麻生さんが慌てて私が喋るのを止めた。
「八木ちゃん、ごめんっ!アッキーに……」
謝る麻生さんに八木さんが言う。
「アッキーなら聞かれてもだいじょうぶかな……」
「えっ?いいの?なんだぁ、良かった~」
麻生さんはホッとした様子だった。
「??どしたん?」
私が聞くと麻生さんが話しはじめた。
「うん。あのね、八木ちゃんが中村にチョコあげるかどうしようかってまよってるんだって」
「……………そ、うなん………?」
こくりと八木さんが頷いた。
更に麻生さんが言う。
「まようことないのにさぁ。どうしよう、どうしようって。だって八木ちゃん、中村にコクハクしたんだもん。ねっ」
心臓がバクバクと鳴り出した。
「……………あ……う、ん…、そうなんだ………」
(……いま私変な顔してるかも……)
★
クラスの女子達が何だかそわそわしはじめた。
2月といえばバレンタインだ。
私も小学校の頃は仲の良い女子とチョコレートを交換し合ったりしていたが、今年はどうしようかと考える。
演劇部の先輩方や同じ一年の部員の子達には勿論、中村くんや他の少し仲の良い男子達にも『義理』として渡そうかと思った。
一応、イチにも友だちとして。
それまでは既製品のチョコレートを買って友だちと交換していたが、何となく手作りをしてみたくなった。
学校では恥ずかしいので家でノートに作りたいチョコレートの絵を幾つか描いてみる。
難しい事は出来ないので
(カンタンで、見た目おいしそうなやつ)
と色々描き出す。
(クッキーとかイチゴとか使えないかな)
段々楽しくなってきた。
バレンタインまであと3日になり、手作りチョコの準備が大体整った。
授業が終わり放課後になると、クラスのあちこちから小声で『チョコが……』と女子達が囁き合っているのが聞こえた。
(やっぱみんなバレンタインチョコだれかにわたすんだなぁ)
そんな風に思っていたら私の席の後ろの方から、八木さんと、八木さんと仲の良い麻生(あそう)さんの声が偶然耳に入ってきた。
「ねぇ、あげるんでしょ?だいじょうぶだって」
「………うん………でも………」
「八木ちゃんからならぜったい受け取るってば!ね?」
「…………だけど…………」
ちらりと後ろを見たら八木さんと目が合った。
「あっ!」
麻生さんが声を上げる。
★
年が明け3学期になってすぐに席替えがあった。
今度の私の席はベランダ側、後ろから二番目だ。
イチは廊下側の一番前の席になった。
端と端とで分かれてしまい、何だか目の前が寂しくなってしまった。
本の貸し借りも気軽に出来なくなり、話相手はいないし、読む本もないしでとにかくつまらなかった。
新しい席では頬杖をついて窓の外を見るのがほとんどだった。
授業中もぼーっとしていて怒られてばかりだ。
部活だけは一生懸命だったが、それ以外では何処も私には良いところが無かった。
仲良くなった三間坂さんがたまに教室に遊びに来てくれていた(三間坂さんは別のクラスだった)。
それでも休み時間毎にという訳でも無かったので、やはり退屈なのは変わりがない。
(イチの後ろがよかったなぁ……)
よくそんな事を考えていた。
中村くんをたまに目で追っていたが、見ている内にクラスの八木(やぎ)さんと仲がいいのに気付いた。
八木さんは私と同じ小学校出身で、髪がキレイで長くて顔つきも可愛らしい子だった。
中村くんと八木さんは給食係同士で、給食の時間だけでなく休み時間にもちょっかいを出したり出されたり、といった感じだ。
(……なんか、いいなぁ)
八木さんを羨ましく思った。
(かわいいもんな、八木ちゃん)
私とは見た目も中身も正反対な八木さん。
(やっぱり八木ちゃんみたいな子、男子って好きになるんかな)
色々とモヤモヤしながら2月になった。
★
冬休みに入る前に今度は「3年生を送る会」での演劇部の劇の脚本が決まった。
文化祭や大会の時と同じ様に先輩方からオーディションで主な役についていく。
今度の劇は登場人物が少なく、ほぼ2年生の先輩方で役が埋まった。
私はまた出番は少ないがセリフのある役を貰う事が出来た。
自分で言うのも何だが私は1年生の中でも声が大きく、部内では目立っていた。
オーディションの時も
(みんなと同じ演技はしない。人とはちがうことをする)
といつも思っていた。
体育祭でのムカデ競争や教室では目立ったりまとめたりは嫌いだったのに、こと部活となると全く別人の様だった。
冬休みになっても部活でやはり学校には通っていた。
イチもまた陸上部の練習で朝から学校に来ていた。
学校の校門を入るとすぐに陸上部の倉庫兼部室があり、棒高跳び用の大きく分厚いマットレスが置いてある。
グラウンドと校舎へ続く道の間には高さが10メートル程あるネットが張られていた。
イチや他の陸上部員の男子達がマットレスによく座っては話をしていて、ネット越しにイチに軽く手を挙げて挨拶をしたりしていた。
そんな風にしていたのだがどうやら私は陸上部の女子部員の子達にあまり良く思われていなかったらしい。
イチに声を掛けると女子達は固まってこちらを見ながらヒソヒソと話をしている。
それがなんだか気分が悪くて段々とイチに声を掛けるのが面倒になってしまった。
冬休みが終わる頃にはマットレスに座っているイチをちらりと見るだけになった。
★
12月はイチの誕生日があった(前に聞いていた)。
私はイチに手紙を書く事にした。
校舎の端にはベランダに続いて裏に非常階段があり、ちょっとしたスペースがあって皆そこを裏ベラと呼んでいた。
誕生日を迎えて放課後、イチに「ちょっときて」と裏ベラに呼んだ。
誕生日プレゼントと手紙を渡す。
手紙の内容はこうだ。
「イチとは好きじゃなんだとかでなく、ずっといい友だちでいたい。
まわりは色々言うけど、気にせず仲良くしてほしい。
これからもよろしく」
実際はもっと長文だったと思うがよく覚えていない。
手紙とプレゼントを受け取ったイチはなんだか変な顔をしていた。
裏ベラから戻った私達にまだ教室に残っていた子達が
「コクハクしたの!?どうだった!?」
と聞いてきたが
「そんなんじゃないって」
とだけ言った。
イチは黙ったままやはり変な顔をしていた。
期末テストが終わり社会科のテストが返された時だった。
どういう話の流れだったか分からないが、クラスの男子のだれかが言う。
「せんせー!教師ってだれでもなれんのー?」
「誰でもなれる訳じゃないぞー。万引きとかしてると教師にはなれないんだ」
そう言った先生と私は目が合った。
暫くの間私をじっと先生は私を見ていたが、それはほんの数秒だったと思う。
(そっか……私、教師なれないんだ……)
なんとなくショックを受けた。
(そっか……そうなんだ……)
別に教師になりたかった訳ではなかったが、気持ちのどこかにしこりの様なものが出来たのはそれからだった。
★
市の演劇大会が終わってから気が抜けたのか、相変わらず一番後ろの席でぼけっとする日が続いた。
私はやっぱりクラスでは落ちこぼれで、もうすぐ期末テストだというのに勉強の「べ」の字もしなかった。
一学期の頃からテスト用紙が返されるたびにイチがわざわざ振り返っては
「テストどうだった?」
と聞いてきていた。
私だけ言いたくない、とイチのテスト用紙も無理矢理奪って見た所、英語以外は私とどっこいどっこいと言った感じだった。
「あんたあんがい勉強できないんだね」
「キミ、人のこといえんの」
「私はべつにテストとかどーでもいーし」
そんな会話をテスト後毎回していた。
もうすぐ12月になるという頃、同じ演劇部で仲良くなった子がいた。
劇で村人B役についていた三間坂(みまさか)さんだ。
少しリーダー気質の三間坂さんを最初のうちは警戒していた。
だが一年生の中でセリフのある役についた二人という事で、何かと一緒に行動するのが増えていた。
三間坂さんは見た目ちょっとだけ、いかつい感じの子だった。
骨太でガッシリとした体つきと同様に声もそこそこ大きく、演技も大振りだ。
だが話をしてみるととても女の子らしい子だった。
お菓子作りや料理が好き。
たまにポエムを秘密のノートに書いているのも私にだけこっそりと教えてくれた。
そんな彼女が面白くてどんどん仲が良くなっていった。
★
モヤモヤの残った体育祭と10月中旬の中間テストが終わり、11月になって市の演劇大会を迎えた。
文化センターのホールを貸し切りにして行われる大会は3日間で、参加は約20校程。
結果から言えば私の中学は例年通り最優秀賞を取った。
初めての大きいホールでの舞台はもの凄く緊張したが楽しくもあった。
他校の舞台を幾つも見る事も出来、刺激も受けたし勉強にもなった3日間。
表彰式が終わりホールを出る時に思う。
(また来年もさ来年もここに帰ってくるんだな)
(ぜったいにまたさいゆうしゅう賞とってやる)
大会が終わってその足ですぐに打ち上げがあり、それで3年生の先輩達はそのまま引退になる。
先生の馴染みらしい喫茶店で行われた打ち上げでは、先輩達がいなくなる寂しさで1、2年生の殆どの部員が泣いていた。
引退する内田(うちだ)部長に
「みんな、これからも最優秀賞取り続けられるように頑張ってね」
そう言われて身が引き締まる。
次の部長は2年の藤田(ふじた)先輩に決まった。
3年生の先輩達が話し合って決めたらしい。
「来年も伝統を引き継いで最優秀賞取ります!」
藤田新部長はそう言ってやはり涙を流していた。
私も3年生の先輩達に握手をして貰って泣いた。
「部室にたまに遊びに行くからさ、泣かないで」
先輩達は皆そう言ってくれて更に泣けた。
★
文化祭での演劇部の舞台はミスも無く大成功だったと思う。
その後は11月の市の演劇大会に向けて演技などを詰めていく為に部活はまだまだ忙しかった。
文化祭が終わって一息つく間も無く今度は体育祭の準備で慌ただしくなった。
体育祭での競技でムカデ競争というのがあった。
クラスの男子、女子に分かれてそれぞれ全員の足をハチマキで縛って走る競技だ。
私は背が高いという理由だけで先頭になって女子達をまとめる役になってしまった。
ムカデ競争の練習は毎日あったが何日経っても足並みが揃わない。
「アッキー!もっとちゃんと声出して!」
「ちゃんとリードしてよ!」
と何度も皆に言われた。
人をまとめたりは苦手な私にとって、ムカデ競争の先頭は荷が重くて堪らなかった。
3週間程練習してもちっとも上手く全員で走る事が出来ない。
クラスのリーダー格で体育委員の小田原さんに
「おださん、私じゃムリだと思う」
と相談した所
「うーん、じゃあ堀口(ほりぐち)さんにかわってもらう?」
と案外あっさりとリード役を降りる事になった。
堀口さんはバレーボール部の小柄な子だったが声は大きくてリード役にはぴったりだった。
堀口さんが先頭に立って
「みんな!いくよー!!」
と声を掛けると一回でスタートからゴールまで初めて走れた。
結局そのまま先頭は堀口さんで決まった。
私はなんだか情けなくて仕方無かったのだけれど、回りの子達がそれに気付いていたかは分からない。
学校では平気な顔をしながら家では大分落ち込んだ。
★
そろばんはたまに弾いていた。
塾には時々顔を出す程度だった。
前に3級に受かってから一年以上経っていたが、塾の先生からの強い勧めで6月だかに(よく覚えていない)2級を受けたら合格した。
2級に受かってからは塾に顔を出す事も無くなり部活動にばかり励んだ。
新学期になって久しぶりにイチの後ろの席についた時(???)と思った。
イチの頭の位置がおかしい。
「ちょっとイチ、立ってみて」
横に並ぶと私よりも低かった筈のイチの背が高くなっている。
私は小学生の頃から女子の中でも背が高い方だったのだが、イチに背丈で抜かされたのはショックだった。
「なんなん、イチ……。なに背ぇのびてんの」
言った所でどうしようもない文句をイチに言ったがイチは黙っていた。
それからイチの隣に立ちたくなくなり、席について話す以外は近づくのも嫌になった。
(クッソ、イチのくせに……)
とんでもなく理不尽な事を思いながら目の前のイチの背中を睨んだりしていた。
新学期になってからすぐに席替えがあったのに、何故か私はまた一学期と同じ席になった。
更にはイチまでまた私の前の席だ。
(なんだコレ。せきがえのイミまったくねーな)
そう思いはしたがまたイチの後ろで少し嬉かったのは確かだ。
中村くんや他の子達に
「おまえら、うんめいでつながってんじゃねーの?」
とまたからかわれた。
(こーいうのがなけりゃラクなのになぁ……)
からかってくる子達を適当にあしらいながら、またイチの後ろの席でぼーっとしていた。
★
期末テストが終わり夏休みに入った。
テストの点や成績表?察して下さい……(泣)。
とにもかくにも夏休み。
宿題は出されたが授業から解放されて本当にホッとした。
授業は無くても部活動はあったのでほぼ毎日学校には通っていた。
部活が終わると3年生の先輩達とグラウンドでバレーボールをしたり、ホースを引っ張り出してきて水をかけあって遊んだ。
3年生の先輩達と私達1年生が仲が良すぎる、と2年の先輩達から注意を受けたりもした。
校舎に続くグラウンド横の道を通る時に、陸上部の子達がやはり夏休み練習でストレッチをしたり走ったりしているのを見かける。
勿論その子達の中にはイチもいた。
たまにイチと挨拶程度に話をする事もあったが本の貸し借りまではしなかった。
夏休みに入って暫くは、部活以外は読む本も無く暇になってしまった(勉強はしなかった)。
その頃から私は家でとっていた新聞を読み始めた。
最初のうちは4コマ漫画のみだったが次第にコラムや書評、社会面にも目を通す様になった。
テレビの番組表しか用の無かった新聞が面白く感じ始めて、毎日欠かさず
「読みたい!読ませて!」
と父の読んだ後に奪う様にして新聞を受け取り、すぐに広げた。
更に夏休み中に兄から赤川次郎のミステリー小説を30冊程貰い受け、それも休みの間に全て読んだ。
小学校の頃に読んだ児童向けの明智小五郎モノや他の小説とは違う、時に色恋も含まれた大人が読む本は面白かった。
部活と新聞と本。
夏休みはこれらで過ぎて行った。
★
発表に向けての演劇部での練習は順調に進んだ。
イチにはもう何冊も本を借りたり貸したりしていた。
変わらずイチとはよく話していたが、どうも見ているとイチは男子にそこそこ人気があったみたいだ。
彼の席回りには休み時間になると何人かの男子が集まっていた。
イチの席に来るのは大体同じ顔ぶれだったが、その中の一人が私は何となく気になり始めた。
同じクラスの中村(なかむら)くんだ。
中村くんは元気で明るく面白い子だった。
イチの席に来た時にはつい見てしまう。
「好き」という気持ちなのかは分からなかったが、気付くと中村くんを目で追う様になっていた。
一番後ろの席だったので私が中村くんを見ているのに気付いた子はいなかったと思う。
それに私はイチと噂になっていた。
中村くんにや他の男子にも
「高木とイチ、ラブラブだよな~」
とからかわれていたし、自分でも端から見れば(そう見えるだろな)と思っていた。
『高木とイチ』はいつも1セットで扱われ、「そんなんじゃない」といくら言っても誰も信じない。
けれどそれが逆に私の中村くんへの気持ちのカムフラージュになった。
(バレなくていいか)
こっそりそう思っていた。
★
6月。
演劇部では9月の文化祭と11月の大会に向けて発表する演目が決まった。
主役などの主要な役は三年生の先輩達から順にオーディションで決められるのが部での長年の決まりらしい。
40人を超える部員がいたので一年生がつける役は少なかったが、私はなんとかセリフのある村人Aの役に受かる事が出来た。
村人Aのセリフは二言だけだったし舞台に登場するのも数回だったが、それでもひたすら台本を読み込む。
私を含む新入部員は一年生8人で全員村人役についていたが、皆セリフの有り無しに関係無く毎日同じシーンを何度も繰り返し練習した。
部室前の廊下で大声を出してみんなで練習をしていたので、知らない先輩に「うるさいからよそでやって」と怒られたりもした。
クラスでは中間テストの結果が酷すぎて笑われた私だったが、そんな事はすぐに忘れて練習に没頭した。
初めての舞台は絶対に失敗したくなかった。
変わらずイチとは本の貸し借りをしていた。
部活が始まる前に時間があれば、私の小学校時代からの趣味のひとつのクロスワードパズルをイチと二人で解いたりもした。
それを見た他のクラスの子が
「あのふたり、付きあってるの?」
と話しているのを睨み付けるイチに
「ほっとけほっとけ、いちいちはんのーすんな」
と言う時もあった。
それほどイチとは仲が良かった。
★
5月も終わりに近づいた。
その頃から私は瀬納くんとよく話す様になっていた。
瀬納くんは結構本を読む子で、それを知った私が本を借りたのが切っ掛けだった。
そこからお互い本を貸し借りしたり感想を言い合ったりした。
瀬納くんの本のチョイスは私とは大分違っていて面白かった。
私は瀬納くんの事を「イチ」と呼んだ。
「せの」がなかなか覚えられなかったのと発音的に言いづらかったからだ(最初にせのっちと呼んだら「それやめて」と言われた)。
イチの方では私を何故か「オバサン」と呼んできた。
たまに「キミ」とか「あんた」とか言う時もあったが、大体は「ちょっと、オバサン」などと呼ばれた。
始めは正直ムカついたが慣れてしまった。
イチは陸上部に入ったらしく、毎日放課後はジャージに着替えてグラウンドで走っていた。
演劇部の部室の窓からはグラウンドが一望出来る。
イチが基礎練習をしたり走っているのが良く見えた。
特に意識して見ていた訳では無かったのだが、走るイチを見て(あいつ、けっこー足速いんだなぁ)と思った。
イチと私は中一だったしまだ身長も体重もほとんど同じくらいで、どちらかと言えば私の方が背が高かった。
まだ新しい、だぼっとした学ランを着たイチ。
まさかこのイチとその後10年近く関わりを持つ事になるとは私はこの時は思っていなかったが、それはまた別のお話。
★
放課後になってクラスの井上(いのうえ)さんが私の席に来た。
井上さんは小学校でもそこそこ仲が良かった子だ。
中学で同じクラス、同じ部活になった。
「アッキー、部活いこー」
井上さんとは仮入部の時から一緒に部室に行く様になっていた。
「ん、ちょいまってー」
カバンに教科書を詰め込む。
瀬納くんがこちらを振り返って聞いてきた。
「部活どう?たのしい?」
「ん?めちゃくちゃ楽しーよ♪」
「バスケ部だよね?」
「……ふふっ♪」
「?」
井上さんに急かされたので席を立つ。
「おまたせ。いのっち、いこうか」
そう言って扉に向かった。
「…………ねぇ!ちょっと!」
歩き出そうとした井上さんを呼び止める瀬納くん。
「ねぇ、あの人何部!?」
井上さんが答える。
「??演劇部だけど?」
「ッ……まただまされた!!!」
瀬納くんの声にお腹を抱えて笑った。
部活はとても楽しかった。
演劇部は上下関係には厳しかったが、先輩達は優しくて格好良くてすぐに大好きになった。
演劇部は女子のみだった。
別に男子が入部してはいけない訳では無かったのだが、何故か男子の入部希望者はいなかったらしい。
総勢で40人を超える大所帯だった。
発声練習やエチュードが楽しくて楽しくて夢中になった。
部活の後は先輩達と先生に怒られるまでお喋りをした。
授業中は散々で家に帰りたくて仕方がなかったが、部活に行きたくて休まず学校へ通った。
★
仮入部期間が終わってすぐのある日。
4時間目の授業が終わり給食の時間だった。
給食は班ごとに机を合わせて食べる事になっていて、オリエンテーリングで遭難した例の7人でお喋りをしながら食べていた。
苦労を共にしたせいか、遭難してからの私達の班はなんとなく他の班より仲が良かった様に思う。
班の皆はよく喋った。
他愛ない話をしていると急に津田くんが
「そーいえばさ、高木さんってなんで『アッキー』ってよばれてるの?」
と言ってきた。
それを聞いて私の隣に机をくっつけている瀬納くんも不思議そうな顔をする。
面白い展開になったと思った。
津田くんが白田さんに聞く。
「白田さんは『アッキー』ってよぶよね?なんで?」
「高木亜紀だから『アッキー』って小学校からよんでるよ」
白田さんが答えた。
「高木さん下の名前、『アキ』っていうんだ。だから『アッキー』かぁ」
瀬納くんが
「えっ?えっ?」
と私と白田さんを交互に見る。
吹き出しそうなのを我慢した。
「えっ??ねぇ!この人『マキ』じゃないの??」
聞く瀬納くんに白田さんが言う。
「え?『アキ』だよ??ね、アッキー」
「ふふっ」
瀬納くんが変な顔で私を見た。
「……『アキ』なの?『マキ』ってうそ?」
堪えきれずにとうとう笑ってしまったら瀬納くんを除く班の子達は
「???」
といった感じだった。
私は可笑しすぎて瀬納くんを見れない程だ。
「だっ、だまされてやんの。もういっしゅうかんくらいたってんのに」
「!!な、なんでうそついたの???」
「ん?んー、ん?」
「!?!?」
口を半開きにしている瀬納くんを見たら更に笑えた。
その日の放課後。
★
特に苦手だったのが英語だ。
読むだけならなんとか読めたが、単語の下に書かれるSだのVだのがなんなのか分からないしbe動詞すらも覚えられない。
国語の文法が出来ていないので「主語が~」とか「動詞が~」など言われても、何が主語で動詞はどれなのかの区別もつかなかった。
英語の授業は高校を卒業するまで恐怖の時間だった。
未だに私は英語が不得意で英文を見るだけでウンザリするし、コンプレックスも強い。
当時の自分に出来る事なら「まだ取り返しがつく!」と頬を叩いてでも基礎から勉強をさせたいくらいだ。
それほどまでに英語は私の人生において高い高いハードルになってしまった。
授業が進み同じ小学校だった子達以外は私があまりに勉強が出来ないのに驚く程だった。
どの教科でも授業中に指されても答えられず何度も皆に笑われた。
それが辛くて余計に勉強が嫌いになった。
あっという間に私はクラスのおちこぼれ代表になってしまった。
そんな中、部活動の仮入部期間が終わり本格的に部活が始まった。
★
瀬納くんの話と言うか質問はまだ終わらない。
「キミさ、高木なんていうの?下の名前」
「………………マキ」
「高木マキっていうんだ。部活何入るか決めた?りくじょう部とか入んないの?」
「りくじょう部?」
「うん。走ったり、きらい?」
「………んー、つーかもう決めてる」
「何部?」
ボールをついてシュートのパントマイムをする私。
「バスケ部?」
「ふふっ♪」
「そっか、バスケ部か……。りくじょう部じゃないんだ」
何故だかちょっと残念そうな瀬納くん。
チャイムが鳴って瀬納くんは前を向いた。
(変なヤツ………)
授業が始まって私は顔面蒼白になっていたと思う。
とにかく先生の言っている事も、黒板に書かれている事も、何もかもが理解出来ない。
回りの生徒が何をしているかも分からなかった。
教科書のどこを見ればいいのかもさっぱりでずっと私は下を向いていた。
(なんで10日休んだくらいでこんなにじゅぎょうすすんでんの!?)
やっぱり学校を休めば良かったと後悔した。
授業が終わり瀬納くんがまた振り返ってきて
「じゅぎょう分かる?休んでたあいだのノート見る?」
と言ってくれたが断ってしまった。
プライドだけは一人前。
色々な意味で本当に私は馬鹿だった。
★
男子が前を向いたので話は終わりかと思ったら、また振り返って私の机に自分の教科書を置いてきた。
「これ。読める?」
教科書の裏表紙の「瀬納 一」とマジックで書かれた『瀬納』の所を指差す。
「……………せ、」
「せ?」
「………せ、………んん??」
男子が鼻から息を吐く。
「やっぱ読めないか」
「……これ、何、なんてよむの」
「読めない?」
イラッとしたのでまた頬杖をついて目を閉じた。
「せの」
「…………?…………」
顔を向けた私に
「名前。せ、の、って読むの」
と言う。
「せの?」
「うん」
「この字で『の』?」
「そう」
「………ふーん」
「で、こっちは?読める?」
「瀬納」と書いてある横の『一』を今度は指差した。
「いち?」
「読めない?」
イライラが更に増した。
(コイツ、なんかほんとめんどくせーヤツだな)
「あの、つーか……なんなん。なんてよむん」
ため息をついて聞く。
「おさむ」
「おさむ?」
「読めないでしょ」
「はぁ」
「だよなぁ。さいしょっから読めたヒトいないもんなぁ」
「あ、そう」
瀬納 一。
名前も性格もおかしな奴だと思った。
★
教室に入る時に気まずさはあったが、扉を開けても注目される事は無かった。
私が席に着くとすぐにチャイムが鳴って担任の先生が入って来る。
先生は私を見て
「おー!高木さん!風邪治りましたか!」
とニコニコとしている。
軽く頭を下げて先生から目線を外した。
朝のホームルームが終わり授業まで10分間の自由時間の時に、私の前の席の男子が振り返って声を掛けてきた。
「ねぇ、キミ、なんで休んでたの?カゼ?」
「……………はぁ……」
「はぁ、って、カゼじゃないの?」
「……ん……べつに……」
(どーでもいいだろ……)
「もしかしてとうこうきょひ?」
「んなんじゃないよ………」
「……ふーん」
(なんなんだよ、コイツ)
頬杖をついて「話しかけるな」オーラを出していたつもりなのにその男子は喋り続ける。
「キミ、高木さんだっけ?」
「ん」
「おれの名前読めた?」
「…………はぁ?」
「漢字。読めた?」
読めたも何もない。
「いや、読めるとかってかあんたの名前しらないんだけど」
「はっ?だって前のせきじゃん、おれの名前しらなかったの??」
(なんなんだよ、めんどくせーな)
★
オリエンテーリングの次の日から私は学校を休んだ。
連絡をしなかったので担任の先生から電話が来たが「風邪を引いた」と嘘をついた。
オリエンテーリング中と言うより遭難中に痛めた右足首は湿布を貼っていたら3日程で良くなった。
もう学校に行く気が無くなっていた。
山の中で津田くんが悪いと皆が手を挙げたのを思い出すと気分が悪くて仕方なかった。
(やっぱり何かあればあんな風になっちゃうんだ)
(止める人がいなかったらだれかのこといじめたりするんだろ、あいつらも)
布団に寝転がってずっとそんな事を考える。
(やっぱり学校なんてろくなとこじゃない)
(もう行きたくない…………)
学校を休むなら自分で連絡をしろと昔から父や母に言われていたのだが、面倒だったしどうでも良かったので何もせずにいた。
休み始めて5日経ったが、その間毎日先生から電話が来る。
風邪は治ったのか、まだ長引いているのかとしつこく聞かれてうんざりした。
(もう学校行く気ないですって言っちゃおうかな)
先生からの電話の度にそう思ったが言わなかった。
10日程休んだ頃、さすがに父に怒られた。
「亜紀!いいかげん学校行け!いつまで休むつもりなんだ!」
そう言われて仕方なく学校へまた行く事にした。
★
「5分で弁当食ってこい!!」
先生に言われて慌てて駐車場の端の食事コーナーに向かう。
屋根に覆われた広場に木のテーブルとベンチがあり、そこで遅くなりすぎた(しかも5分の)お弁当タイムになった。
私以外の皆が、それぞれリュックサックからお弁当の包みを取り出す。
私はベンチの端に座って水筒だけを出し、残った麦茶を飲んでいた。
ちらりと皆のお弁当を見ると、全員キチンとしたお弁当箱に、これまたキチンと美味しそうなおかずやごはんが詰められている。
(多分)津田くんが
「あれ?高木さん、べんとー食べないの?」
と言ってきたが、私は
「しょくよくない」
とだけ答えて席を立った。
広場の更に端にある、ゴミ箱に向かう。
捨てる前に一応バンダナを開いて見てみたが
(………やっぱり『コレ』か………)
と慣れている筈なのにガッカリした。
バンダナの中には、アルミ箔でくるまれた大きなお握りがふたつだけ入っている。
母の作る『お弁当』は何時も『コレ』だった。
病む前の母は私が幼稚園の頃は、割りとしっかりとしたお弁当を作ってくれていた。
が、精神を病んでしまってからは買い物にも行けなかったし、考える事も出来なくなっていたのだろう。
母の『お弁当』は、味付けは塩だけの『コレ』のみになっていた。
(だからいらないって言ったのに)
皆から見えない様に注意しながら、アルミ箔にくるまれた『お弁当』をゴミ箱に捨てた。
右足首がズキズキと痛くて堪らなかった。
★
「キミ、さっきほんとにおこってた?」
「!!」
(なんだこいつ!!なんで!!)
びっくりし過ぎて黙ってしまったら、じっ……と私の顔を見る。
「………………………」
「…………ちがうか」
「………………………」
「まぁ、ほんとつらかったら言って。かわるから」
そう言ってその男子は私の前を歩き出した。
舗装された道を歩いていた人達は、どうやら他校の人達で、ハイキングの途中だった様だ。
道を聞いて、なんとか私達の学校の先生がいる場所に戻れたが、戻った場所は最初にバスから降りたただっ広い駐車場だった。
他の生徒達は皆、別のゴール地点にいるらしく
「何をやってるんだお前達は!!」
と、私達の為に残っていてくれた男の先生にこっぴどく叱られた。
住吉さんは私達が叱られる前に、別の先生にバスでどこかへ連れていかれたみたいだ。
多分病院かな、と思った。
まだおべんとう食べてないです
と誰かが言ったが、誰の発言か私には分からなかった。
怒り続ける先生の声も頭の中に入って来なかった。
もう疲れてきっていた。
★
舗装された道と人の姿を見て心底ホッとした。
「住吉さん!道!」
と声を掛けたが、住吉さんはいつの間にか眠ってしまった様だ。
「良かったぁ~!!」
そう言って白田さんが、はーっ、とため息をついて小走りで道に向かう。
##くんは
「先行くなよ!!」
と津田くん達を追いかけていった。
私の側に残っている男子に
「………あんた、いかないの?」
と言うと
「いや、うん、………ていうかキミだいじょうぶ?」
と逆に聞かれた。
「は?」
「つらいんじゃないの?その人、おれがおんぶしようか?」
(……ほんっと、男ってわかんないんだな……)
「ん、だいじょぶ」
「無理しなくていいよ」
「いいよ、だいじょぶだから」
「…………無理だったら言って」
「……はぁ……どーも」
声を掛けてきた男子は道に迷ってから少しして、ジャージの上を脱いで肩にかけ、袖口を胸元で縛っていた。
そのせいでずっと体操着のゼッケンが見えなかった。
(名前とかどーでもいーか)
と思っていたので聞かなかったし、今も聞く気にならなかった。
(こいつ、人にはっきり自分のイケンとか言えないヤツかな)
でも。
(さっきさいごまで手ぇあげなかったのはエライか)
そんな風に考えていたら突然
「ねぇ、キミさ、さっきほんとにおこってた?」
「!!」
★
「住吉」さんを背負って歩く。
思っていた通り「住吉」さんはとても軽かった。
「……ごめんね……重いでしょ……」
ゼイゼイ言う息の下から無理矢理声を出しているのが分かった。
「いやー。ぜんぜんかるいよ?なんもおんぶしてないみたい。それより寝てていーよ?」
「…………うん………ごめんね………」
「だいじょぶだいじょぶ!つーか、むりしてしゃべんなくていいからさ」
「…………うん………」
皆、心配そうに私と「住吉」さんの回りを歩く。
「早く病院いかないとだめだね」
白田さんの言葉に続いて田口くんが
「高木さん、つかれたら言ってな。おれがつぎおんぶするからさ」
と言ってくれる。
有りがたかったがそれは無理だと思った。
多分「住吉」さんは男子に背負われるのは嫌がるだろうな、と考えた。
やはりと言うか「住吉」さんの胸が私の背中に当たっている。
ブラジャーはまだ着けていなさそうだったが、十分に『女性』だ。
男子に背負わせる訳にはいかない。
右足首は痛かったが、転ばない様に足下に集中していると痛みを少し忘れられた。
どうやら「住吉」さんは熱があっても眠れない様で、私や白田さんと話をしている方が気が紛れたみたいだ。
「スミキチ」さんかな?と思っていたが「スミヨシ」さんだった。
読めなかったのは恥ずかしくて言わなかった。
他にも、小さい頃から体が弱くすぐに熱を出してしまう事や、一人っ子で大事に育てられたという様な事も話してくれた。
話の中で
「たぶん体が冷えたんだと思う」
と住吉さんが言った時に
(あぁ、私のせいだ……)
と思った。
(氷あげちゃったからだ……)
いい気になっていたさっきの自分のせいだと思い
「ごめん……」
と謝った。
住吉さんは
「ううん、高木さんのせいじゃないよ。歩いて、あせいっぱいかいたからだよ」
そう言ってくれた。
段々と私の歩くスピードが落ちてきた頃だった。
「ねえっ!人の声する!!」
津田くんの大きな声に驚いた。
「あっ!あれ、道じゃね!?」
津田くんが指差す方を見る。
歩いていた場所から数十メートル先に舗装された道があり、何人かの人が歩いていた。
「やったー!!帰れるー!!!」
津田くんと田口くんが騒ぎながら道に向かって走りだす。
★
(おいおい……またなんかモンクか?)
しゃがみ込んだ「住吉」さんに正直苛ついた。
が、近寄って見ると何か変だ。
「住吉」さんの顔はまっ赤になっていて、息もゼイゼイと荒い。
「ちょ、ちょっと!どしたん!」
私の声に他の皆が振り返って「住吉」さんの回りに集まった。
「だいじょうぶ?顔、すごい色だよ?」
津田くんが聞くが、「住吉」さんは苦しそうにしたまま答える事も出来ない様だ。
「ねつあるんじゃない?」
白田さんがそう言って「住吉」さんの側に腰を落とす。
「ちょっとおでこごめんね」
「住吉」さんの額に手を当てた白田さんは
「わっ!」
と声をあげた。
「………すっごい熱い、そうとうねつ高いよ!」
白田さんが手を離す。
津田くんがまた
「ねつあるの?歩ける?」
と、言うと「住吉」さんは立ち上がろうとしたがよろけてまた座り込む。
「おれ、おんぶしてやろうか?」
田口くんがそう言ったが、「住吉」さんはぶんぶんと首を横に振った。
「……………歩く……………」
「いや、むりでしょ、おんぶしてやるって」
田口くんの言葉にまた首を振る。
「私おぶってくわ」
私が言うと「住吉」さんが顔をあげた。
「え?でも高木さん、女だしむりじゃない?」
田口くんが言うので睨みつけた。
「背とかあんたとかわらないじゃん。つーか、私の方がデカいっしょ。女とかかんけーないよ」
睨まれた田口くんは少しバツの悪そうな顔をした。
「ね、立てる?おんぶしたげるからさ、ちょいがんばれる?」
「………でも………」
「だいじょぶだからさ、ね?ちょっとだけがんばろ?」
「…………うん…………」
★
長めの休憩を終わらせてまた歩き出した。
元気が出すぎたのか、男子達はギャーギャー騒ぎながら歩いていたが、少しして津田くんだけがついっ、と私の横に並んだ。
「高木、さん」
他の皆に聞こえない程度の声で呼ばれて津田くんを見る。
「??なに?」
「………あのさ、さっきしょんべんいった時にさ」
「しょんべ……って」
「???」
「あ、いや、まぁいんだけど」
「??しょんべんいった時さ……田口くんともうひとりの…名前わかんないけど……。さっきはごめんってあやまってくれたんだ」
(……あぁ、だからか……)
「そっかぁ」
「うん、おれももう一回ごめんって言って。したら、もうあやまるのなしにしようって言ってくれて」
「うん」
「………##くんはなにも言わなかったけど……」
「チッ!あのやろー」
舌打ちをする私に津田くんがぶっ!と吹き出す。
「た、高木さんてなんかおもしろいね」
「そかな?」
「うん。……………うん、あの……」
笑った顔のまま津田くんは軽く下を見ながら何か言いたげにしていたが、どんな事を言いたいのかすぐに分かった。
「津田くん、良かったね」
「………うん。……あの……さっきは……」
「いーからいーから。ほら、あいつら前のほう行ってるよ!おいかけないの?」
「あ、うん!」
津田くんの背中を見ながら、あの場面で怒って正解だった、と先程よりも深く息を吐いた。
他の皆もそうだったのかも知れないが、顔には出さなかったが私は大分疲れていた。
しかもどこかで捻ったらしく、右足首に鈍い痛みがあった。
(足、まじーな……クッソ)
皆にばれないように歩くが痛みは引かないまま、また10分程歩いた頃だった。
一番後ろの私の前を歩いていた「住吉」さんが急にしゃがみ込んだ。
★
「なにー?」
「いーから、こっちこっち。ちょい来て」
水筒を手に男子達を呼んだ。
「なに?どしたの?」
7人で輪になる。
「へへへ♪白田さん、ちょいそのコップ出して?」
「??」
白田さんの差し出したコップに水筒の中から上手く氷をふたつ落とす。
「わっ!えっ!?氷!?」
「へへ~♪みんなも氷ほしい?」
「ほしいっ!」「おれも!」「ちょーだい!ちょーだい!」
一気に騒がしくなった。
「住吉」さんだけは騒ぎには乗ってこず、氷入りのお茶を嬉しそうに飲む皆を見ているだけだ。
「えーと……いらない?冷たくておいしーよ?つかれ取れるんじゃないかな」
「住吉」さんにも声を掛ける。
「………おなかいたくならないかな」
やはりか細い声で答えた「住吉」さんに
「だいじょぶっしょ。氷いっことかならさ」
と私。
「住吉」さんは少し考えて
「……じゃあちょっとだけ……」
と自分のコップを渡してきた。
「はらへったー!!」
田口くんが空を仰いで言う。
「なぁ、おべんとーたべない?」
そう言う田口くんに
「とっといたほーがよくない?」
(まだもどれるかもわかんないし)
と思った事の前半だけを伝える。
「……うーん……ガマンするわ……」
残念そうな田口くん。
田口くんは田口くんなりに似たような事を考えていたのかも知れない。
(今日中に帰れっかな……)
けれど氷入りのお茶のおかげか、皆の顔つきは明るくなっていた。
(氷入れてきて良かったな)
もう誰が悪いとかで揉める事もなさそうだ。
ほっ、と小さく息を吐いた。
★
一杯目を飲み干した「住吉」さんは二杯目をコップに注いで、今度はゆっくりと啜った。
はーっ……ともう一度ため息をつくと、項垂れて目を閉じる「住吉」さん。
白田さんと私は顔を見合わせて
(この子なんか……ねぇ……?)
と、アイコンタクトを交わした。
白田さんも「住吉」さんも私も無言で男子達が戻って来るのを待つ。
コップに口を付けながら辺りを見回したが、やはり回りは木と草と石ころだけで、私達以外の人の気配は感じない。
(クマとかいたらやべーな……)
死んだふりは効かないんだよな、と、図書館で前に借りて読んだ「山の歩き方」という本の内容を思い出す。
(音だすんだっけ、バクチクとかがききめあるって書いてあったけど……ないしなぁ)
そんな事を考えている私の隣で「住吉」さんは何度もため息をついている。
10分近く経ったのに男子達はまだ戻ってこない。
いい加減心配になったらしく、白田さんが
「ねぇ、男子おそくない?」
と口を開いた。
石ころから立ち上がり、男子達が入って行った草むらに向かって
「おーい!あんたら、まだー!?」
そう私が声を掛けると、少しして男子4人が姿を現した。
(???)
何となく男子達の顔つきが先程までと違う。
お茶を飲んでいる私達を見て田口くんが
「あっ!おれもお茶のもー!」
と言うと、他の男子達も背負っているリュックサックを下ろして水筒を取り出し、各々飲み始めた。
(なんだろな?こいつら、なんか元気になってないか??)
津田くんを見るとずっと下を向いていた筈なのに、他の男子達と仲良く喋っている。
(まぁ、いっか)
元気な方がいいんだし、と思いながら水筒の中蓋を外して
「ねー、あんたらちょっとこっち来て」
と男子達に向かって手招きをした。
★
ごろごろと沢山転がっている、丁度良さそうな大きさの石ころに「住吉」さんが疲れ果てた感じで腰を下ろす。
白田さんと私も「住吉」さんの近くの石に座った。
田口くんが
「おれ、しょんべんしてー!」
と言って、津田くんと##くんともう一人の男子に
「しょんべんしたくね?いっしょにいかね?」
と声を掛けた。
(わざわざデカい声で言うなっつの……)
と思ったが黙っていた。
4人の男子に
「遠くいくなよ?はぐれたらヤバいからね?」
と言って、リュックサックから水筒を取り出す。
男子達は連れ立って草むらに入って行った。
水筒の中の氷はまだ溶けておらず、麦茶もたっぷりと残っている。
(せつやくしといて良かったな)
コップがわりのフタに麦茶を注いでぐびぐびと飲んだ。
日差しはまだ強くて暑い。
冷たい麦茶が体に染み込む。
「住吉」さんをちらりと見ると、膝に置いた両腕に顔を埋めていた。
白田さんが
「大丈夫?」
と心配そうに声を掛けるが、「住吉」さんは答えず顔もあげない。
(だいじょぶなのかな、この子)
なんだかちょっと変わった子なのかな、と思った。
「……えーと……なに、さん、だっけ?すいとう、まだ中入ってる?のめば?」
そう私が声を掛けると「住吉」さんは怠そうに顔をあげた。
やっぱり何も答えずリュックサックから水筒を引っ張り出して、こぽこぽと中身をコップに注ぎ一気に飲み干す。
「はあっ!………つかれた………」
大きく息をついて「住吉」さんがやっと声を出した。
★
田口くんの声掛けに従って私達は再び歩き始めた。
津田くんは下を向きながら、「住吉」さんはやはりハァハァと息をしながら、他の子達は皆、口をきく事もなく歩く。
大きく開けた場所に出た時に回りを見回したが、目に入ってくるのは一面緑の山並だけで遠くに市街地すら見えない。
(なんつーとこつれてくんだよ、うちの学校……)
そう考えながらも
(まぁ、なんとかなるだろ)
とも思っていた。
開けた場所があるのが分かったので、いざとなれば木が密集していない所を選べば救助の際に見つかり易いだろう。
暑くてとっくに上は脱いでいたが、着ているジャージは結構分厚く、一晩位なら寒さもなんとか凌げそうに思えた。
もし夜になってしまったら草を集めてその中に潜り込めば多少の暖も取れそうだ。
そして実は私のリュックサックにはマッチが一箱入っていた。
だが火を起こすのは最終手段だと思い、皆にはマッチの事は話さなかった。
こんな山の中で火など起こせば山火事に成りかねない。
そんな事になったら一番危険なのは逃げる方角も分からない私達だ。
(うーん、雨ふったらどーすっかな……)
色々な事を考えながら歩いていた。
草や木が少しでも生えていない所を選んで進む。
けれど人が通った様な跡は無く、どれだけ歩いても道らしい道は見つからなかった。
崖の様な土の斜面を皆で協力して登ったりもした。
ぐるぐると回ってしまった様で、3度も同じ場所に戻って来てしまったりもあった。
皆、体力も気力も大分磨り減っていたみたいで、誰もまともに口をきかないし、息も荒くなっていた。
何度目かの私の
「ちょっと休もうよ~」
の声にやっと皆が賛成してくれて、サッカーボール大の石ころが幾つも転がっている場所で休憩する事にした。
★
「だから、津田くんのせいだってば。津田くんが悪いんだよ」
##くんがまだ言うので
「##!お前ふざけんな!!だまれよ!!」
##くんに近付きジャージの胸ぐらを掴む。
「お前もうしゃべんな!!」
「なんだよ高木!!」
「だまれっつってんだよ!!」
「ちょ、ちょっと!アッキー!!」
白田さんに後ろから羽交い締めにされて##くんから引き離された。
「##!お前もうしゃべんじゃねーぞ!?!?」
##くんが黙って私を睨み付ける。
「……ねぇ、どうするの……?」
そう言う「住吉」さんの声はまた元どおり小さくなっている。
田口くんが
「とりあえず上のほうにいこうよ。ここにいてもさ、それよりちょっとでも歩こう」
津田くんはまだ下を向いている。
「な?みんな、いこう?」
田口くんの声掛けに「住吉」さんが何とか立ち上がって
「…………はやく家帰りたい…………」
とボソッと言ったのが聞こえた。
★
「……なんだよ……みんな、さっきはおれだけが悪いんじゃないとか言ってたじゃんか………」
津田くんが泣きそうな声を出す。
「高木も手あげなよ。津田くんが悪いと思うだろ?」
##くんがそう言って私を見る。
「………思わないね」
そう私が答えると皆が驚いた顔をしてこちらを見た。
「はぁ?なんでだよ、だって津田くんが…」
「思わないっつってんだろ!!」
大声を出して##くんの言葉を遮る。
「津田くんだけが悪いなんてない!止めようと思えば無理やりでも私は止められた!うで、つかんででも!だけど私は止めなかった!!」
他の皆は黙っている。
「止めるちからがあるのに使わなかった!だから私だって悪い!!津田くんだけが悪いなんてことない!!」
津田くんは下を向いて今にも泣き出してしまいそうだ。
「津田くん。津田くんが悪いなら私も悪いんだからさ。だからそんな顔しないでいいよ」
……………………………。
「……ごめん、津田くん」
「住吉」さんの後に手を挙げた男子が言った。
「津田くんだけが悪いとかじゃないよな……」
ゼッケンに「田口(たぐち)」と書いてあるその男子は手をおろす。
白田さんも、##くんに言われるまで腕組みをしていた男子も手をおろした。
「なんで!?じゃあ誰のせいなの!?なんでこんな……」
「住吉」さんがまた大声を出したが白田さんが
「私も止められたけど止めなかったもん……。誰のせいとか誰が一番とかじゃないよ……」
と言うと、諦めた様にやっと手をおろして「住吉」さんはその場にしゃがみこんだ。
「……迷っちゃうとかなんなの……!!」
★
急に立ち止まった「住吉」さんが
「なんでっ!?なんで迷っちゃったの!?」
と、先程までとは別人かと思う様な大声を出した。
皆が立ち止まる。
「住吉」さんは続けて
「なんなの!?だれのせいで迷っちゃったのっ!?だれのせいっ!?ねぇっ!!」
と捲し立てた。
皆、黙っている。
私は頭の中で
(おいおい、今はんにん探ししてもしょーがないっしょ……)
と思っていた。
「住吉」さんは
「一番悪いのだれっ!?だれのせい!?」
とずっと喚いている。
##くんが
「津田くんじゃない?」
と口を開いた。
「津田くんが一番さいしょに行っちゃったから迷ったんだよね?」
大して怒ってもいなさそうな、ただ事実を言っているだけ、といった感じで##くんは話す。
津田くんを見てみるとショックを受けた顔をしていた。
追い討ちをかける様に##くんが
「津田くんが悪いと思うひと、手あげようよ」
(はぁ??##、何言ってんだ!?)
今それをする必要がどこにあるんだ!と右手を挙げる##くんに言おうとした。
が、「住吉」さんがすぐに手を挙げた。
それに続いて男子のうちの一人も右手を挙げる。
私の後ろにいた白田さんを見ると、少し迷ってからやはり顔の高さまで手を挙げた。
(ちょっとちょっと……みんな何やってんだよ!)
手を挙げていないのは津田くんと私ともう一人の男子だ。
(おいおいおいおい!!)
手を挙げていない男子は困った様な顔で腕組みをしている。
(よかった!まともなやついた!)
そう思ったが
「きみ、手あげないの?だって津田くんがさいしょに行っちゃったんだから津田くんが一番悪いと思わない?だれが一番かで言ったら津田くんだよね?」
「##っ!!」
津田くんが悪いだろと言い張る##くんを止めようとしたが遅かった。
もう一人の男子がゆっくりと手をあげた。
(##、バッカやろ………!!!)
★
「おれが行こうっていったから…………」
そう言って下を向く男子に他の子達が
「きみだけ悪いんじゃないし…」
「あやまんなくていいよ!おれらも悪かったもん!」
など他にも声を掛ける。
小柄な男子は津田(つだ)くんというらしかった(ゼッケンの漢字が読めた)。
津田くんは顔を上げると
「##くんがいてくれてよかった……」
と少し笑顔になった。
##くんが「行こう」と言って歩き出す。
皆、##くんに続く。
5分程歩くがゴールらしき場所は見えない。
まだ皆、元気があるらしく
「今日あついねー!」
とか
「ハラへんない~?」
等、軽口を叩く余裕があったみたいだ。
15分。
いつの間にか黙って歩くのみになった。
「住吉」さんはハァハァと息を切らす程疲れてしまった様子だったので、それを見て私が
「ね~、ちょっと休まん?つかれたよ~」
と言ったのだが
「休んでるひまなんかないよ!!」
と怒られてしまった。
皆イライラし出しているのが分かる。
(……よくないな、このカンジ……)
何分歩いて、どのくらい進んだのかも分からなくなっていた頃。
皆の後ろの方を歩いていた「住吉」さんが急に立ち止まって大声を出した。
★
「………………だめだ、わかんない、もといた所からどっちの方がくに来たのかわかんないし」
「なんかひろばみたいになってるとこ地図にない?」
「………………たくさんある……………」
##くんは地図から目を離さないまま答える。
(やっべぇ……カンペキまよったか………)
私は腰に手を当ててため息をついた。
(無理やりでも止めりゃよかった………)
「………でも、ゴールはいけるかも」
##くんが地図に目を落としたままそう言った。
『!!』
皆が##くんを見る。
「ゴールは山の上のほうなんだよ。だから上に行けば、たぶん」
##くんのその言葉に皆それぞれホッとした様子で、それまでの緊張した空気が柔らかくなった。
「あの……………みんな、ごめん……………」
それまで黙っていた、一番最初に草むらに入って行った背の低い小柄な男子が
「おれが行こうっていったから…………」
と下を向く。
道に迷った事に気付いたのは、腰の高さまである草むらを抜け出てからだった。
それまでと違う明るい広場の様な場所に出て、やっと皆が
「ここどこ??他のみんなは??」
と、私達以外の生徒や先生が見当たらないのに驚いた様だった。
先に進んで行った3人の男子は後ろなどほとんど見ていなかったらしく、少し慌てた顔をしていた。
7人の中で一番不安げだったのは、痩せた小柄な女子だった。
ジャージに貼り付けられているゼッケンには「住吉」と書かれていたが、私には読めなかった。
「……ねぇ……ここ、どこなの?…帰れるよね……?」
「住吉」さんが草むらに入る前よりもっとか細い声で言う。
誰も何も答えない。
「うそ……まよっちゃったの……?」
「だから行くなっていったじゃないか!!」
突然##くんが怒鳴った。
##くん以外の男子達が身を縮ませる。
「どうすんだよ!!先生に怒られたらおまえらのせいだからな!?!?」
「ちょ、ちょっと!##!今、先生とかどーでもいいから!」
口を出した私に
「はぁ!?なんだよ、どーでもいいって!よくないだろ!!」
「##、ちょい落ちつけ!あんた地図もってるっしょ?それにこの場所書いてない?」
##くんがハッとして手に持っている地図を見る。
★
草むらに踏み入って少しして
「………えら………れー!………くなー!」
と誰かの声が聞こえた。
多分先生が私達に気付いたのだと思うが、立ち並ぶ木々に声が阻まれたのか、何を言っているかは良く分からなかった。
草むらに入り込んでから数分で、膝まで程度の丈だった筈の雑草は、いつの間にか腰の辺りまで覆ってしまう位の高さになっていた。
周りの木も密集してきていて、先にいる男子達が良く見えない程だ。
(うーん……そろそろとめないとヤバいか……)
「おーい!あんたら、もう行くなー!」
大きな声で呼んだが、3人は盛り上がってしまったみたいで止まる気配も無い。
段々と焦ってきた。
「ねぇっ!とまれってー!!」
聞こえているのかいないのか、男子達は止まらない。
(ちょっとちょっと……ヤバいぞ、コレ……)
後ろを振り返って見ると、私達以外の生徒も先生も、元来た道も見えなくなっていた。
そのまま私達7人は山の中、道に迷ってしまった。
太陽はほぼ真上、汗が幾筋も首を伝っていた。
★
##くんは怒った感じで
「おまえらもどってこいよ!!」
と草むらの手前で手をメガホンがわりにして大声を出したが、3人の男子はお構い無しに進んで行く。
私を含む女子3人は少し離れた場所に残されたまま、どうしたものかと暫く黙っていた。
白田さんが
「………どうする?」
と、やっと口を開く。
「とめた方がよくないかな」
もう一人の痩せて小柄な女子が小さな声で言った。
私は暫く考えていたが
「まぁ、だいじょぶじゃない?それよりさ、あいつらとはなれちゃうのヤバくないかな?」
さすがにこんな場所で遭難は無いだろうと思いそう言った。
学校が遭難するような場所を選んで中学生を連れてくるとは考えられない。
その考えが仇になるのだが、私は二人に
「追いかけよ?あいつらだけ行かせんのマズい」
と言って、草むら前の怒った顔の##くんにも声を掛け、大分先まで行ってしまった男子達の後を追う為に草むらに踏み入った。
★
山の中を歩く私達の班には、幼稚園時代になんとなく距離が開いた##くんもいた。
##くんはいつの間にか班の地図係りになっていたらしく
「あっちに○○があるから~」
等、コンパスを握りながらメンバーの子達に指差しで指示を出していた。
暫く歩いた頃、班の中の少し背の低い一人の男子が
「ねー!あっち行ってみようよー!」
と私達に言ってきた。
どうやら少し冒険がしたくなった様だ。
その男子は道らしき道も無さそうな草むらの中に入って行く。
偶々側に先生はおらず、注意される事も無さそうだった。
##くんを除く残り2人の男子が笑いながら背の低い子の後を追いかける。
##くんが
「そっちじゃないよ!!かってに行くなよ!!」
と言ったが、聞く耳も持たずに3人の男子達はずんずんと進んで行ってしまう。
★
山の中30メートル間隔ほどごとに先生が一人立っていて、
「ルートから絶対外れるなよー!」
と、側を通る班の子達に声掛けをしていた。
ルートと言われてもはっきりとした道は無く、ロープが張ってある訳でもない。
長い間誰かが踏みしめ続けた様子の獣道みたいな、潰れた草の上を確かめながら歩く。
その日は4月中旬にしては随分と暖かく、木々の間から強めの日射しが山の中を照らしていた。
歩いて数分で額に汗が浮かぶ程に気温も上がっていたみたいだ。
朝に自分で作って来た水筒の氷入り麦茶を(せつやくしとこ)とチビチビと飲んだ。
私の班には白田さんがいたが、小学校が同じだったとは言えやっぱり仲良しだった訳ではなかった。
ただ、分からない事を逐一(と言ってもたいして質問もしなかったのだが)教えてくれるので有りがたかった。
(白田さんいてくれてよかった)
と、知った顔が側にいた事にも少しホッとしていた。
★
あれだけ「いらない」と言ったのに、朝になって母にバンダナで包まれたお弁当を渡されて家を出た。
オリエンテーリングが何か、どこへ行くのかも分からないままバスに揺られて車酔いをして気分は最悪だった。
1時間か2時間掛かったか定かでないが、着いた場所はどこぞかの山の中腹のただっ広い駐車場。
一体ここはどこなんだ、これから何をするんだと分からない事だらけだった。
「3分あいだ開けてスタートだぞー」
班ごとに分かれたそれぞれのグループに先生達が一々声を掛ける。
「次!スタート!」と言われたグループの子達が、木や草が生い茂った山の中にぞろぞろと入って行く。
クラス順だった為、9組の私のいた班は大分遅いスタートになった。
何をスタートして何がゴールになるのかも私にはさっぱりなままだったが、取りあえず班の皆に着いて山の中に入った。
私の班は男子が4人、女子が私を含めて3人だった。
この班は学校の教室での班と同じメンバーだったが、私は回りとほとんど話さないでいたので、その子達と仲が良い訳でも何でもない。
山の中をダラダラと歩きながら
(これ、どうすりゃ終わんの??)
とスタートしたばかりなのに思っていた。
★
兎に角、早く部活!部活!とばかり思っていて他の事に全く気が回っていなかった。
入学式から3週間程経った頃のホームルームで、担任の先生が
「明日遅刻しないようにな~」
と言うので何かあるのかと、小学校が同じだった白田(しろた)さんに聞いた。
「え?明日はオリエンテーリングだよ?アッキー知らなかったの??」
知らなかった。
と言うか、オリエンテーリングとは何かも分からなかった。
「前にプリントもらったよね、7時30分に学校に集ごうだよ。アッキー、プリント見てないの?」
多分無くしたのだと思った。
白田さんにプリントを無くしたと思うと話して、更に翌日の服装や持ち物を聞いた。
体育で着るジャージ(中は体操着)、歩きやすい運動靴で、朝7時30分に学校へ集合。
持ち物はリュックサック、弁当、水筒(飲み物は水かお茶)、タオル、筆記用具、他。
白田さんにお礼を言ったら
「アッキー、ほんと小学校の時とかわんないねー」
とあきれられた。
家に帰って慌ててリュックサックや水筒を押入れから引っ張り出していたら、母に見つかった。
「リュックどうしたの?何かあるの?」
見つからなかったら言うつもりは無かったのだが、仕方なく母に明日オリエンテーリングがある事を話した。
「じゃあお弁当いるよね」
「……いや、いらない」
「なんで?いるでしょ?」
「いいから」
「???」
「つくんなくていいから!!」
「???」
★
暫く経って授業が始まったけれど、先生が何を言っているのかさっぱりで、教科書やノートに落書きばかりしていた。
まだ中学生になったばかりで授業の内容も小学校の頃のおさらいの様な感じだったが、まず私は基礎から何から出来ていなかった。
主語や述語が何かも、面積の出し方も、都道府県も、電池の直列と並列の違いも、なんなら東西南北すらも分からない。
英語なんてアルファベットすら書けない位だった。
もうただただ授業中、時間を潰す事しか考えていなかった。
けれど中学に上がってひとつだけ楽しみにしていたものがあった。
部活動だ。
この中学は小学校の時と同じく私の家からすぐそばだったので、父や友達と文化祭に小さな頃から何度も遊びに来ていた。
六年生の時にも友達と文化祭に来て、その頃興味のあった演劇部の劇を見て
(ここの演劇部すごい!!)
とびっくりした。
体育館の舞台上にはまるで本物の様な大道具。
きらびやかな衣裳を身に付けた何十人もの人達。
体育館に響き渡る美しい音楽。
それより何より演じている人達の演技がとても上手で素晴らしかった。
後に知ったのだがこの中学校の演劇部は、市の演劇大会で最優秀賞を連続で何年も獲っている常勝校だった。
(中学生になったらぜったい演劇部はいる!!)
と決めて、それだけを楽しみにしていた。
★
入学式後、約1週間は小学校の頃と同じ様に教科書の配布や自己紹介、班決めなどでやはり慌ただしかった。
1週間の間で同じ小学校だった子数人に「アッキーがスカートはいてるー!」とからかわれたが、それもすぐに無くなった。
座席は出席番号順、男女交互になっていて、私の席は窓側から3列目の一番後ろだった。
(目だたなくてよさそう)
とホッとした。
1週間しか経っていないのにクラスの子達はすでにほとんどが友達作りに成功していた様で、休み時間に一人なのは私だけだった。
グループになっている子達を教室の後ろの席から見ながら
(またコイツらもだれかいじめるんだろな)
と思っていた。
勿論、私が小学校で渡瀬くんを転ばせた事を忘れた訳ではなかった。
自分も含めて誰も信用なんて出来ない。
(もう、ひとりでいい。てか、帰りたい)
頬杖をついて窓の外ばかり見ていた。
★
この中学校は学区が広く、主に三つの小学校から卒業生が集まっていて、その為生徒もクラスの数も多かった。
自由な校風で、制服も男子はブレザーか学ランのどちらか。
女子はセーラー服かブレザー、セーラー服はリボンは赤、青、黒のどれか、ブレザーのベストも色が紺なら好きな形のものを選べた。
(中学校ってなんかふしぎだな)
と色々な制服を着た子達を見て思った。
朝、ギリギリで自分の教室に入ったのは正解だった。
クラスの3分の1程度は小学校が同じ子達だったが、その子達に私がスカートを履いているのをからかわれたりはされなかった。
皆、緊張した面持ちで静かに席に着いていたし、式が始まるので体育館への移動をすぐにしたからだ。
入学式では
「自由と責任」
というフレーズが校長先生の話に何度も出て来た。
私はとにかくスカートの履き心地が悪くて話などろくに聞いていなかった。
けれど、まだセーラー服を着るよりはマシか、と思いながら少し大きめのブレザーの襟元を式の間中いじっていた。
これから三年間、子供から大人に近付く為の生活が始まる。
(………めんどくさい………)
★
中学入学式の朝。
嫌で嫌で、けれど仕方ないのでスカートを履いてブレザーを羽織る。
股がスースーして落ち着かなかった。
外に出るのも嫌でギリギリまで悩んだけれど、学校へ向かった。
中学校の昇降口(げた箱)に続く階段下に貼られた組分けの表の前には、新一年生らしい子達が人だかりになって騒いでいる。
何人か顔に見覚えのある子もいたが、私はスカートを履いているのを見られたくなかった。
なので、組分け表から少し離れた場所で人気が無くなるのを待つ。
その内に教師らしい大人が数人現れ
「新一年生!自分のクラスの確認出来たら早く校舎入って!」
と人だかりに向かって声を掛けた。
ぞろぞろと階段を上がっていく生徒達の後ろをこっそりと通って、素早く自分のクラスをチェックする。
私のクラスは10組まである中の1年9組だった。
(あーあ、これから中学生か……)
ため息をついて教室へ向かった。
★
卒業式当日、持田さんが久しぶりに学校へ来た。
私立中学のものらしい制服を着た持田さんは何人もの女子に話しかけていたが、声をかけられた子達は持田さんを避けている様に見えた。
持田さんは私には話しかけて来なかった。
式には父が仕事を休んで来てくれた。
母は変わらず家から出ないままだった。
式の後に泣いている子達がいたが
(そつぎょうくらいで泣くんだ)
と冷めた目で見ていた。
(どーせ中学またみんないっしょなのに)
私の通っていた小学校はすぐ側の中学校の学区内だったので、受験組の子達を除いて皆の顔ぶれは殆ど変わらない。
泣いている子達を横目に、父に
「おわったから帰ろ」
と言って家に帰った。
写真の一枚も撮らなかった。
私の小学校時代が終わった。
★
3月の卒業式に向けての準備で慌ただしくなった。
在校生と保護者への感謝として「6年生を送る会」で卒業生が楽器を演奏する為の練習が毎日あった。
私は歌を歌うのは好きだったけれど、楽器となるとさっぱり出来ず、練習も面倒でサボってばかりいた。
くじ引き以来、渡瀬くんやひとみちゃん、持田さん達の事は忙しさによってか話題にもならなかった。
相変わらず一人でぼーっとしていた私は
(中学イヤだな……)
と思っていた。
制服がスカートなのが一番嫌だったし、また1から友だちを作ったりするのが面倒くさかった。
(もう友だちいらないかな)
兎に角色々面倒だった。
1月に始まった生理が面倒くささに拍車をかけたみたいで、何に対してもやる気が起きなかった。
ちっとも練習をしなかったので送る会での私の演奏は散々だった。
運悪く位置的に保護者の人の目の前で演奏する事になってしまい、てきとうに楽器をひいているのがバレて冷や汗をかいた。
そんなこんなであっという間に卒業の日がやって来た。
★
さらに翌日。
持田さんは教室に現れなかった。
(もっさんどうしたんだろ?)
そう思ったが、先生もクラスの子達も何も言わないので
(びょうきかなぁ)
と誰かに聞く程の事では無いな、と黙っていた。
持田さんの姿が一週間経ってもクラスに無いままなので、さすがに少し心配になって先生に聞きに行った。
「先生、もっさ……持田さんどしたの?もうずっと来てないですよ?」
先生は少し言い淀んだが
「……ああ、持田は中学受験で学校は休みだ」
「えっ!?」
持田さんが中学を受験するなど全く聞いていなかったのでびっくりした。
「急に決めたらしいし、もうこのまま来ないんじゃないか?」
「このままって…そつぎょう式はくるでしょ?」
「さあ…どうだろうなぁ。家の方でも色々あるみたいだしな」
「……………」
「あんまりこの話、周りに言うなよ?」
「……はあ……」
「それより高木、人の事はいいから自分の事しっかりしろ。勉強ちゃんとしないと中学で困るのお前だぞ?あと、前髪切れっていつも言ってるだ……」
「こんど切ってきます!教室もどるんで!どーもでしたー!」
小言はかんべん、と先生から離れた。
(じゅけんって……いまからでも間にあうのかな……?きゅうにって、なんで……)
持田さんの家に電話をしようかと考えたけれど
(べんきょうのジャマかな)
と思い止めた。
(また会えるよね……?)
★
翌日のお昼休み、私は新しい自分の席で読みかけだった『ズッコケ大作戦』の続きを読んでいた。
それなりに集中して読んでいたのだが、「アッキー!」と、誰かが私を呼んだので顔を上げた。
(???)
「アッキー!」
もう一度呼ばれて声のした方を見ると、持田さんと何人かの女子が教室の窓側の席に座って私を見ている。
「アッキーはさー、私のドレイだよねー♪」
急に持田さんが笑いながらそう言った。
持田さんの周りの子達もニヤニヤしている。
(??なんだそれ?)
思った通りに答えた。
「ドレイになんてなったおぼえないけど?」
持田さんの顔が引きつる。
周りの女子達は驚いた顔で私と持田さんを交互に見ていた。
引きつった顔のままの持田さんと暫く目を合わせていたが、それ以上持田さんは何も言わない。
(いきなりなに言ってんだ??)
分からなかったし、他に話す事も無い様なので、首を一回傾げてからまた本に目を落とした。
本を読みながら思う。
(ドレイっての好きなやつおおいなぁ。はやってんのかな?)
★
結局6時間目の終わりまで先生のお説教は続いた。
くじ引きのやり直しは無かった。
私の隣はくじ引き通り渡瀬くん、ひとみちゃんは廊下側の一番後ろの席のままだった。
(先生って何がしたいんだ??)
さっぱり意味が分からなかった。
放課後になってすぐ、持田さんがひとみちゃんの席に駆けて行った。
「吉田さん!!ごめんね!私が悪いの!私がシルシつけようって言ったの!ごめんなさい!!」
両手を合わせてひとみちゃんに謝る持田さんの声は大きくて教室中に響く。
ひとみちゃんは何も言わず、困った様な顔で持田さんを見ていた。
「ほんとにね、ちょっといたずらしようと思っただけなの。ごめんね!」
偶々私の側にいた数人の女子が
「なにあれ……」
と言っているのが聞こえた。
「なに自分だけあやまりに行ってんの?」
「ぎゃくに一番にあやまったからって自分は悪くないみたいに見えるよね」
「白ブタとかずっといってたのに『吉田さん』だって」
他にも小声で色々言っていたが
(どーでもいい……)
と思い、私はランドセルを背負って教室を出た。
>> 133
★
「ちょっと最後引くの待て」
そう言って教卓に向かった先生は、最後に一枚残っているシートをじっ、と見る。
シートを手に取ると、ひっくり返して表側に書かれている名前を確認した。
クラスのほとんどの子が下を向いている。
先生は残っていたシートを黒板に貼り付けて、教卓に両手をついた。
シートには「吉田」と、ひとみちゃんの名字が書かれていた。
「……………前から」
先生の声は重たく、とても低かった。
「……このクラスでいじめがあったのは知ってた」
(はぁ!?)
私はびっくりした。
(知ってた!?じゃあ今までなんで先生だまってたん!?)
「吉田と渡瀬の悪口をみんなで言ったり、靴や物を隠したりしてただろ。何度も相談を受けたんだ」
開いた口が塞がらない、と言うのはこういう事だったろう。
私は口をポカンと開けて、先生を見ていた。
けれどもう頭に血が昇っていたのか、その後の先生の話はほとんど私の耳に入って来なかった。
ただ話の中で先生が
「お前達、もうすぐ中学生になるんだぞ!?」
とか
「六年生にもなって、いつまでこんな事してるんだ!!」
と怒鳴っているのだけは聞こえたけれど、そんな先生の声を聞けば聞くほど
(今ごろなに言ってんだよ!!)
と、余計に腹ばかりが立った。
★
(ぐうぜんって言うにはなんか変だな)
そう思ったが
(まぁいっか、とくに別にかわんないし)
教卓に置かれたマグネットシートを見下ろす。
「んー、どれがいっかなー。どれだろー」
と、わざとらしく大きな声で言う。
「んーとー」
顔を近付けて穴の幾つも開いた、端に黒い印があるシートを探す。
「んー………これっ!」
シートを手に取って黒板に貼り付けた。
クラス中が時間が止まったかの様に静かになった。
「あっれー?私じゃん!うっそ、自分の引いちゃったー!」
あははは!と笑って
「渡瀬ー!またとなりだー!ヨロシクねー!」
と大声でクラス全員に聞こえるように言った。
くじ引き前に私が考えていたのは、そんなに難しい事ではなかった。
ひとつはひとみちゃんと私のシートが皆には見分けが付かなくなる様にする。
所謂、撹乱だ。
もうひとつはひとみちゃんのシートを私が渡瀬くん以外の男子の隣に引いてしまう。
その位だった。
★
女子の出席番号最初の子が教卓前に立った。
マグネットシートを見て、ぎょっ!としたその女子の顔を見て私は笑いそうになった。
(おどろいてやんの。どっちかわっかんないだろ)
それでもシートを一枚引いてまた男子の時と同じ様に黒板に貼る。
勿論と言うか、引かれたのはひとみちゃんではなく別の子だ。
そうやってどんどんくじが引かれて行くが、シートを見る女子は皆が皆びっくりした顔をしていた。
そして14番目。
私がくじを引く番が来た。
まだひとみちゃんのシートは引かれていない。
(ん?あれ?なんだこれ??)
私が引く席の隣に決まっていた男子は、なんと渡瀬くんだった。
(なんだ??これ、ぐうぜんか??)
教卓に向かう途中、クラスの子達が
「………白ブタ………白ブタ……」
と何度もささやくのが聞こえる。
★
私は先生を見ながら(ほんっと、先生ってなんで気づかないんだろなぁ)と思っていた。
持田さん達が渡瀬くんやひとみちゃんのシートにコンパスで開けた穴の数は、一目見ただけでも分かるほど多かった。
(うーん、先生ってやっぱバカなんかなぁ)
男子達がシートを一枚ずつ引いて、黒板に貼り付けていく。
渡瀬くんは教室の真ん中、一番後ろの席に決まった。
(あそこか、「まとめる」って場所)
男子全員の新しい席が決まり、
「よーし、次は女子なー」
と、また先生が黒板から今度は赤色のシートを剥がして教卓に乗せた。
「………………………???」
女子の全てのシートを裏返しに置いた先生がおかしな顔をする。
先生は黙ったまま、マグネットシートに顔を近付けて眉を寄せてじっと見ている。
(あ、気づいたかな?)
暫くシートを見ていた先生は
「…………………じゃあ、女子」
と低い声で言った。
★
翌日。
朝から教室は何となくおかしな雰囲気に包まれていた。
私はいつもの様にギリギリで登校したのだが、それでもクラスの異様な感じに気付いた。
男子も女子もほとんどの子達が自分の席で大人しく座っているのだが、皆何かを気にしている風で教室内の空気がどんよりとしていた。
授業が始まってからもそんな感じは続いていたが、どうやら先生は何も気付いていないみたいだった。
そのまま午前の授業とお昼、5時間目が終わり、6時間目。
席替えの時間がやって来た。
「じゃあ席替えするから今から男子からくじ引きするからなー」
と、先生は黒板の端に貼り付けてある青色の男子のマグネットシートを剥がして、教卓の上に裏返しにして乗せていく。
クラスの皆は誰一人話さない。
20枚程のマグネットシートを黒板から教卓に移動させた先生が
「よし、じゃあ男子出席番号順に前来て一枚引いてけー」
そう言ってくじ引きが始まった。
★
「ちょ、ちょっとっ!!アッキー!?」
「!何やって……!!」
驚いている二人の事は気にせずに三十回程針を刺して
「んー、こんなモンかなぁ……。あ!そうだ!」
今度は教員用の机に向かう。
引き出しを開けて中から黒のマジックペンを取り出した。
また教卓に戻る。
葉子ちゃんは私のマグネットシートをじっと見ている。
真紀子ちゃんは目を大きく開いて手で口を押さえていた。
「へへへ……、これで……っと!」
マジックペンでシートの端に1ミリ程の印を付けた。
「よし!こんな感じだな!」
「……………アッキー…………」
「ん?」
葉子ちゃんが聞いてくる。
「………どうするの……それ…………」
「んー。うん、まぁ…ね」
翌日。
★
持田さん達が帰っていったのを見届けてから、ふで箱からコンパスを取り出し黒板に向かった。
黒板に元通り貼り付けられた、ひとみちゃんと渡瀬くんのシートを剥がして裏側を見る。
「うっわ、ほんとにあな開いてるよ……!もっさんたち、またすっごいこと考えんなー!」
一緒に黒板前まで着いて来た葉子ちゃんと真紀子ちゃんが
「アッキー、どうするの?」
「……何か考えてるの?」
と言う。
「んー……。つーかさ、ふたりとも帰ってもいーよ」
「えっ?」と、葉子ちゃんと真紀子ちゃん。
「まーべつにいてもいいんだけどね」
そう言いながら黒板からまた一枚、「高木」と書かれたシートを剥がす。
「アッキー!?何する気!?」
自分の名前の書かれたシートを裏返して教卓の上に置いた。
「………えっとー、よーこちゃんもまきりんもなんだけどさー。これから私がすることみんなに話してもいーし、話さなくてもいーし」
「??」
「まぁ、どっちでもいーから。まかせるよ。あとさ、もうあんまり私と話したりしないほーがいいかも」
コンパスの針を、裏返した私のシートに刺した。
★
私と雑談していた二人が(どうする?)といった感じで顔を見合せる。
「ねー?早く来てー。アイツらまとめちゃえばさー、みんなメイワクじゃなくなるでしょー?」
「あー、私らはいいやぁ。めんどくさい~。もっさんたちだけでやって~」
側の二人の意見は聞かずに私は持田さんに答えた。
「えー!?なんでー!?アッキーたちもいっしょにやろうよー!」
「めんどくさいからいいって~。止めとく~。好きにやってて~」
「………んー、そっか、まぁいっかぁ」
持田さんは私達を誘うのを諦めて、また教卓の方を向いた。
「じゃあだれからやるー?」
既に教卓の上にはひとみちゃんと渡瀬くんのマグネットシートが用意されていたみたいだ。
女子達が「えぃっ」とか「しねっ」とか言いながら、コンパスを降り下ろしているのがちらりと見えた。
「………アッキー………」
私と雑談していた葉子ちゃんと真紀子(まきこ)ちゃんが神妙な顔持ちで小声で言う。
「………いいの、かな、私たち………」
「…やめとけ」と、もっと小さな声で二人に言った。
「……だって……」
「いいから」
「………アッキー……?」
★
帰りの会で先生が「明日六年生最後の席替えするぞー!」と皆に伝えた。
「やったー!」と喜ぶ子もいれば「えー!」と不満そうな声を上げる子もいた。
「またくじ引きだからなー」
と言って先生は教室から出ていった。
その日の放課後、たまたま私はクラスの二人の女子と雑談をしていて教室に残っていた。
男子はとっくに帰ったのに、何故か女子が十人ほど黒板前に集まって教卓を囲んでいる。
私は雑談に夢中になっていて、教卓周りの女子達が何を話しているのか全然分からなかった。
突然、「ぎゃははは!」と集まっていた女子達が大声を上げたのでびっくりして顔を向けた。
「それいいー!!」とか何とか言ってやたら騒いでいる。
(??)
女子達の中心になって話していたらしい持田さんが
「ねぇっ!アッキーたちもこっち来てよ!いいこと考えたのー!」
と、教室の後ろの方にいる私達に声を掛けてきた。
何となくめんどくさくて「どしたのー?なにー?」とその場から動かずに聞くと
「うん、あのねー!」
と持田さんが話始めた。
★
三学期に入って持田(もちだ)さんという女子と話す様になった。
テレビで見て好きになった「バービーボーイズ」と言うバンドを持田さんも知っていたからだ。
「コンタさんカッコいいよねー!!」
と、私にしては珍しく女子っぽい話を持田さんと沢山した。
持田さんを「もっさん、もっさん」と呼んでは、休み時間にバービーボーイズの話ばかりしていた。
持田さんはちょっとませていてお洒落な、目立つ子だった。
さすがに放課後や休みの日に一緒に遊んだりはしなかったが、テレビにバービーボーイズが出た翌日は二人で騒いでいた。
渡瀬くんといえば変わらずいじめを受けていた。
ただ、渡瀬くんの隣の席で私がいじめをする子達を睨んでいたので、見ている限り余り酷い事はされていなかった様だ。
ひとみちゃんはまだ「白ブタ」と呼ばれていたが、二学期の終わり近くに来た転入生の鹿野(かの)さんという女子と仲良くなっていた。
三学期に入って、中学受験をする子が何人かいるとの情報が私の耳にも入って来るようになった。
(はなれちゃう子もいるんだなぁ)
そんな風にちょっとさみしく感じたりしていた。
2月に入る直前、小学校最後の席替えがあった。
★
冬休み中はファミコンばかりしていたと思う。
そろばん塾には冬休みに入る前からほとんど行かなくなっていた。
年が明けてから塾の先生から電話が掛かって来て「シンシュンシュザンなんとか大会」という大会に呼ばれた。
大会には大人から子供まで100人近くが参加していたが、私はちっともやる気が起きなかった。
帰り道、塾の先生にラーメンを奢って貰った。
行きたくもなかった大会に無理やり出されてムカついたので、値段の高いチャーシューメンを頼んだ。
食べながら先生に「まだそろばんを続ける気はあるのか」とか「授業料を下げるからもう少し頑張らないか」とか言われた。
チャーシューを頬ばりながら「はぁ」「うーん」とか適当に答えた。
頭の中では
(ここのチャーシューおいしいな)
位しか考えていなかった。
お会計の後、先生は少しがっかりした様子だったが私はさっさと家に帰った。
三学期が始まった。
★
(んーと……こまったな………)
どうしたものかと考えていたら、またゴール近くまでボールが近付いて来た。
小田原さんが
「アッキー!!止めてー!!」
と叫ぶのが聞こえたので、取りあえず動いたがまた点を取られた。
結局、追加で二点更に取られて試合が終わった。
試合終了後、小田原さんが凄い勢いで私に向かって来た。
「アッキー!!何やってんの!?負けちゃったじゃん!!なんで動かないの!?!?」
「……え……いや、だっておださん、動かなくていいって……」
「何言ってんの!?キーパーが動かないでどーすんの!?」
怒り続ける小田原さんを数人のクラスの女子が止めてくれた。
(なんなん………なんで怒られなきゃいけないん……)
怒られて兎に角困っていたら誰かに
「アッキー悪くないよ!気にしない、気にしない!」
と声を掛けられた。
(イミわからない……)
★
試合が始まった。
小田原さんに言われた通り私はゴール前で何もせず、ボーッと突っ立っていた。
他のクラスの女子がゴール前までボールを蹴りながら近付いて来たが、動かないでいたらシュートを決められた。
(なんもしなくていいんだよな)
別に勝とうが負けようがどうでも良かった。
またシュートを決められ二点目が取られた。
本当に私は一歩も動かずにいた。
……ら、小田原さんが私の所へ駆けて来て叫んだ。
「アッキー!なんでシュート止めないの!!何やってんの!!」
「は?……いや、だって立ってるだけでいいって……」
「そんなわけないでしょ!!ちゃんとキーパーやってよ!!」
怒られてしまった。
★
「……あの、おださん……」
「えっ!アッキー、キーパーやってくれるの!?」
「あ、いや、そうじゃなくて……」
「えっ?なに?」
「あのさ、おださんキーパーやれば?」
小田原さんはまさか自分が言われると思っていなかった様でびっくりしていたが
「……あ……私は…キーパーとか出来ないから……」
と言って皆と同じく下を向いてしまった。
「?出来ないってなんで?」
「……私にはむりだよ、キーパーとか……」
「??うーん……そっかぁ」
(良く分からないな)と思ったが無理なら仕方ないか、とそれ以上言わないでいたが、やはり誰もキーパーをやりたがる子はいない。
数分の沈黙の後、また小田原さんが言い始める。
「……ねぇ……だれかキーパーやんないの?ゴール前で立ってるだけでいいからさ、だれでもいいんだよ?」
誰も答えない。
「なんにもしなくていいよ、立ってるだけでいいんだから!」
(も一回言おうかな……立ってるだけでいいなら、おださんやればいいのに……)
そう思ったけれど面倒に感じて手を挙げた。
「おださん、立ってるだけでいいん?なら私やるわ」
小田原さんの顔がパッと明るくなった。
「アッキー!ほんと!?」
「立ってるだけでいいんしょ?そんならいいよ」
「うん!うん!なんにもしなくていいよ!やった!アッキーありがとー!!」
そう言って私の手を取ると、ぴょんぴょんと跳ねて小田原さんは喜ぶ。
「勝とうね!みんながんばろうね!」
小田原さんのその言葉に何かおかしい気がしたけれど黙っていた。
★
また渡瀬くんの隣の席に代わったが、やはり話す事も無くそのまま12月になった。
もうすぐ冬休みになるという頃、クラス対抗のサッカー大会が開かれた。
それぞれのクラスで男子と女子で別れて、一位になったグループは他校との交流戦に進む事になっていた。
サッカー大会当日、私のクラスの女子達が集まって、その中からゴールキーパーを決めるのに少し揉めた。
クラスでリーダー格の小田原(おだわら)さんが
「だれかキーパーやりたい人いる?」
と言ったが、誰も立候補せず皆黙っている。
「だれかいないの?だれかがやんないとダメなんだよ?もうすぐ試合はじまっちゃうよ?」
小田原さんはそう言って「○ちゃんは?」「△ちゃんやらない?」と声を掛けるが、誰もが下を向いて答えない。
段々と小田原さんの声が苛ついて来たのが分かった。
「ねぇ!だれかキーパーやる人いないの!?なんでだれもやるって人いないの!?」
「……あの、おださん……」
つい口を出してしまった。
★
「席かわって」
「!?」
三人の女子達が驚いた顔で私を見る。
「ほら、はやく机どかしてかわって」
机を持ち上げて私が言うと
「良かったじゃん!かわってもらいなよ!」
「……でも……」
「かってに席かえていいの?」
とかゴチャゴチャ言っている。
「いいから早くかわって。私、目ぇいいから一番後ろでいいんだよ」
「………でも……」「かわってもらいなって!」「先生に言わなくていいの?」
イライラした。
言える立場とかどうとか吹っ飛んで大声で言ってしまった。
「あのさあ!!泣きたいのは渡瀬のほうじゃないの!?」
それまで自分の席で下を向いていた渡瀬くんが机に突っ伏した。
「早くかわってって!!」
無理やり渡瀬くんの隣に机を移動してイスに座った。
三人の子達はそれ以上何も言わなかった。
机に突っ伏したままの渡瀬くんに
「またヨロシク」
と声を掛けた。
渡瀬くんの肩は小さく震えていた。
休み時間が終わって教室に入って来た先生はこちらをチラッと見たが、何か言う訳でも無く授業を始めた。
(……どいつも……こいつも……なんなんだよ……)
★
「かわいそー!ほんとかわいそー!」
女子の内のひとりが「かわいそー」と繰り返している。
「サイアクだよねー!かわいそー!」
三人の女子のもうひとりは
「元気出して……」
と残った下を向いている子の肩を叩いていた。
(かわいそうってどしたんだ??)
かわいそーかわいそーと言っている子達の声は結構大きくて、私の耳に全て入って来る。
「渡瀬のとなりとかかわいそー!」
「……だれか席かわってくれたらいいのにね……」
「…………………うっ……」
その内に渡瀬くんの隣の席になったらしい子が泣き出した様だ。
「あー!泣いちゃった!ほんっとかわいそー!」
(……………だったらオマエが席かわってやりゃいいだろ………)
そう考えたけれど
(………私にはなんも言うケンリない………)
私もこの子達と変わらないと思った。
渡瀬くんを転ばせてからそれなりに時間は経っていたけれど、罪悪感は消えていなかった。
「かわいそー!泣いちゃったじゃん!」
「………うっ………うぅ………」
嗚咽を漏らしながら泣いている子に
(……泣くなよそんなことで……)
と思っていたら
「あー、渡瀬しねばいいのに!!」
それを聞いて私はイスから立ち上がった。
★
渡瀬くんと話さなくなったまま11月。
小学校最後の年だからとの事で、クラスの思い出作りの為という名目でまた席替えがあった。
六年生になってから4度目の席替えだ。
正直、席替えは有りがたかった。
渡瀬くんの隣の席でいるのが辛かった。
渡瀬くんに話しかけるのもかけられるのも無くなって、居心地悪さを感じていた。
それは渡瀬くんも多分同じだったと思う。
席替えはくじ引きでが通例だった。
私の新しい席は席替え前の位置から斜めひとつ前になった。
渡瀬くんの席は偶然なのか分からないがまた教室一番後ろの廊下側、全く前と同じ席だ。
クラスの皆がそれぞれ机を移動して席替えの時間が終わり、休み時間になった。
新しい席で何となくぼーっとしていたら、なんだか私の後ろが騒がしい。
ちらりと後ろを見ると女子が三人、何かを話している。
(??)と思い、聞き耳を立てた。
★
(ぜんぶ言ってやる……!今のことも、今まで渡瀬がどんなこと言われたかも、されてきたかも………ぜんぶ……!)
「……大丈夫そうだな…。じゃあテスト用紙また持ってこーい!」
(!?!?)
渡瀬くんが教卓に向かう。それに続いて残りの男子達もぞろぞろと用紙を先生の所へ持って行った。
(…………なんで………先生、なんで怒んないの……)
頭の中が真っ白になった。
その後はいつも通りの授業だったが、その間、私は頭から足まで汗でびっしょりと濡れていた。
(ひどいことしちゃった………どうしよう……どうしよう………)
授業の内容など全く頭に入って来なかった。
ただずっと
(……どうしよう……渡瀬にあやまらなきゃ………)
それだけを考えていた。
★
ズダン!!
派手な音を立てて渡瀬くんが床に這いつくばった。
教室がしん、と静まり返る。
………………………。
どっ!!と歓声が上がった。
「ぎゃははは!!渡瀬ころんだー!!」
「いいぞ!!高木!!」
教室中が拍手やら爆笑やらに包まれる。
さっきまで早鐘を打つ様に煩かった私の心臓は、まるで血が抜けてしまったのではと思うほど冷たく静かだった。
渡瀬くんは何が起こったのか分からないと言った感じでまだ床に倒れたままだ。
「あ、渡瀬!ごめん!だいじょぶ?」
渡瀬くんがゆっくりと顔だけ上げて私を見る。
「ごめーん!ごめんね!ほんとごめん!」
顔の前で両手を合わせて謝りながら渡瀬くんを見下ろす私の表情はとても冷たかったと思う。
私は全く笑っていなかった。
頭の中で
(なんだ、ぜんぜん楽しくないじゃん)
と思っていた。
★
「高木!テスト用紙持ってこい!」
いつの間にか私の番まで女子達はとっくに用紙を出していた。
先生に言われて慌てて席を立つ。
教卓に向かう足が震えているのが自分でも分かった。
テスト用紙を先生に手渡した時に何か言われた気がしたがよく聞こえなかった。
席に戻って手を見るとやっぱり少し震えていた。
暫くして「次!男子後ろから持ってこーい!」と言う先生の声で体が固まった。
真ん中の、席と席の間を通って教卓に向かう決まりだったので、必ず皆私の横を通る。
(………………や、るの……?……ほんとに……?)
渡瀬くんの姿がちらりと視界に入った瞬間、私は右足を素早く渡瀬くんの足元に出した。
★
お昼とお昼休みを挟んだ5時間目は算数の授業だった。
先生が急に小テストをすると言って、クラスのあちこちからブーイングが起こった。
小テストの時だけ男女別、出席番号順に席を移動する事になっていて、私はクラスの真ん中辺りの席に着いていた。
渡瀬くんの席は廊下側の後ろの方だったとしか覚えていない。
小テストの間、ずっと私の心臓はバクバクして治まらなかった。
これからしようとしている事が良い事か悪い事かどうか分かっていた。
ただ、私がしようとしている事を実行する機会があるとすれば、この小テストの後しか無いだろうとも思っていた。
小テストは15分間だった。
「そこまでー!」と先生の声が教室に響く。
周りはテストが終わって騒がしかったはずなのに、私の耳には何も聞こえなかった。
テスト後の用紙は、出席番号最後の女子から順に先生のいる黒板前に持って行くのが決まりだった。
後ろの席から女子達がぞろぞろと、テスト用紙を手に教卓に向かう。
「…………ぎ、高木!!」
名字を数回呼ばれてハッとした。
★
2時間目か3時間目後の休み時間だったと思う。
教室、一番後ろの自分の席で本を読んでいたら黒板前が騒がしいのに気付いた。
数人の男子が渡瀬くんを相手に何やら言っている。
その中には金屋くんもいた。
なんとなく見ていたら男子達が渡瀬くんの胸元をどつき始めた。
(なにやってんだ?ケンカか?)
何度も何度も渡瀬くんは肩や胸元を突かれてよろける。
渡瀬くんがやり返す感じは無い。
その内に男子の一人が笑いながら「ほら、かなやんもやりなよ!」と、それまで側で見ていただけだったらしい金屋くんに言う。
金屋くんが渡瀬くんを突き飛ばす。
(………かなやん……なんで………)
金屋くんと目が合った。
「!!」
金屋くんは(見られた!)と言った感じの顔をしていた。
暫く目が合ったままだったが、金屋くんが下を向く。
(かなやん………)
★
いつもいつもいじめをしている奴等は笑っていた。
(なにが楽しいんだろ??)
分からない。
考えてもちっとも分からないので、クラスで一番頭が良い金屋(かなや)くんに聞いてみようと思った。
「かなやん、ちょっといい?」
「何?」
金屋くんの隣の席に座る。
「あのさぁ、渡瀬、いじめられてるじゃん。あれ、かなやんどー思う?」
「あぁ……うん」
「なんかさ、しゅうだんでやってるけどさ、言いたいこととかあんなら一人でいいじゃん?なのにみんなで渡瀬一人に色々してさ、楽しいんかね?」
「俺も分かんない」
「やっぱり!?かなやんもわかんないかぁ。あいつら馬鹿みたいだよね」
「うん、俺、あいつらヒキョウだと思う。馬鹿だよな」
それを聞いてホッとした。
「よかったぁ。かなやんはやっぱちがうわー!話してよかった、ありがとー♪」
そう言って自分の席に戻った。
(やっぱりまちがってなかった。あいつら、おかしいんだ)
奴等が笑っている理由は分からないままだったが、クラスに渡瀬くんをいじめない子がいるのを確認出来たのは嬉しかった。
(やっぱ頭いい人はちがうなぁ)
そう思った翌日。
★
そんな風に私と(少しだけれど)話して笑う様になっても、他の子達からの渡瀬くんへのいじめは変わらず続いていた。
毎朝、悪口の書かれた黒板を渡瀬くんは必死な顔で消していた。
机にチョークで落書きをされて、眉間にシワを寄せながら雑巾でそれを消すのも毎日だった。
「もうほっとけば?」と渡瀬くんに言ったが、渡瀬くんはいつも何も言わずに下を向く。
悪いのはいじめられている子じゃない。
いじめる方がどうしたって悪い。
先生に黒板や机の落書きを見せればすぐに解決するんじゃないのか。
そう話した事もあったが、渡瀬くんは黙ってしまう。
私はいじめをしている奴等も渡瀬くんの気持ちもさっぱり分からなかった。
★
一週間程、私は『バイキン2号』と呼ばれクラスの子達から避けられた。
どう考えても馬鹿バカしくて「くだらねーことやってんじゃねーよ!」と言い続けていたら、いつの間にか誰も私には何も言わなくなった。
けれど渡瀬くんは相変わらず「バイキン」「気持ち悪い」と言われ続けていて、それでも渡瀬くんはいつもと同じく黙って下を向いていた。
そんな渡瀬くんの背中をポンポン、と叩いて「気にすんな」と言った事もある。
遥奈ちゃんの時も。ひとみちゃんの時も。
こんな事をされる子達はいつも一人で黙って下を向いている。
酷い事を言ったりしたりする奴等はいつも数人がかりだ。
(どうして何人もいっしょになってこんなことするんだろ?)
さっぱり分からないまま一ヶ月二ヶ月と過ぎて行った。
渡瀬くんが少しだけれど私と話す様になってきた。
会話の内容は大したものでは無かったが、朝、「おはよー」と声を掛ければ「おー」と答えてくれる。
顔にバンソウコウが貼られているのを見て、「どしたん?」と聞けば「ころんだ」と返事をしてくれた。
私が教科書を忘れて渡瀬くんが見せてくれた日もあった。
「渡瀬」「高木」とお互い呼び捨てで呼ぶ様になり、時折渡瀬くんは笑う様にもなった。
「あんた笑ってたほーがいいよ」
と言ったら渡瀬くんはちょっと恥ずかしそうにしていた。
★
「ごめん……」
渡瀬くんが何故怒ったのか、私は単純に『馴れ馴れしく触ったから』だと思った。
けれどそれだけではないのに気付いたのは暫く経ってからだった。
渡瀬くんの隣の席になってから、渡瀬くんが大分前から悪口や嫌がらせを受けていたのが何となく分かってきた。
席替えの後、授業が始まっても渡瀬くんは教科書もノートも、筆記用具すらも机から出さない。
渡瀬くんは下を向いたままだ。
「??渡瀬…くん、じゅぎょうはじまってるよ?」
「…………」
「?教科書とか忘れたん?いっしょに見る?」
「…………うるせー」
「???」
「…………」
(なんだ??)
「こら!渡瀬!教科書とかノート出せ!」
先生が黒板前から大きな声で渡瀬くんを叱ると、クラスの数人がクスクスと笑うのが聞こえた。
渋々といった感じで机の中から渡瀬くんが取り出した教科書は、まだ六年生になって半年程度だというのに既にボロボロだった。
どうやら水に一度濡れて乾かした様な教科書を見て、(雨でぬれちゃったのかな?)と思ったが違ったみたいだ。
渡瀬くんが教科書を出したのを見た先生は、また普通(?)に授業に戻った。
渡瀬くんは机に置いた教科書をじっと見たままやっぱり動かない。
なんだか気持ちがざわついた。
(……なんだこれ……、なんなんだ………)
★
「ちょ、ちょっと、なんで渡瀬くんがバイキンなの?」
渡瀬くんの机回りに集まっている男子達につい聞いてしまった。
すると男子の一人が
「だってこいつかみの毛変だし、顔とか体の色、黒いじゃん。びょーきなんだぜー?気持ちわりーじゃん!」
よくよく渡瀬くんをみると確かに肌が浅黒い。
ただ言われないと気付かなかった程度の肌の色だったし、別に変だとは感じない。
「??かみ、カッコいいじゃん?それに日に焼けてるだけじゃないの?」
「えー!?どこがカッコいいんだよー!!気持ちわりぃし変だろー!」
他の男子も言い始める。
「こいつ、ぜったいびょーきなんだぜ!高木、さわるとうつるぞ!」
「うでとかさわったらバイキンつくぜ~!!」
意味が分からない。
大体触ると移る様な病気なら学校になんて来れないはずだ。
「ハァ?んな、うつるわけないじゃん。ほら」
渡瀬くんの腕に触った。
「げぇ!!高木さわった!!バイキンうつったー!!」
男子達が顔をしかめて机から離れる。
(……こいつら、六年生になってもこんなんやってんのか。バカか……)
「別にさわったってなんもないって。あんたらなんなん!?」
そう言ったが男子達はまだバイキンだなんだと騒いでいる。
「……高木、さわんないでくんない?」
渡瀬くんが迷惑そうに私に言った。
「あ、ごめん、だって」
「いいからさわんなよ!!」
渡瀬くんの声はイライラしている感じだった。
★
元々私は興味の無い物事や人の名前を覚えるのが苦手で、席替えで隣の席になった男子の名前を六年生になるまで知らなかった。
隣の席になった男子は渡瀬(わたせ)くんという子で、余り普段目立つ感じの子ではなさそうだった。
と、言っても私が気にしていなかっただけかも知れない。
私はその時に渡瀬くんを間近で初めて見たのだが、(渡瀬くんってカッコいいな!)と思った。
顔ではなくて髪の毛が、だ。
渡瀬くんの髪はクルクルとした縮れっ毛で、所謂天然パーマというものだった。
ちっとも変だとは思わず、むしろその髪がちょっと羨ましくも思えた。
席替えが全員済んで休み時間になったとたんに、クラスの男子数人が渡瀬君の机回りに集まってきた。
(なんだ?)と思っていたら男子達が
「渡瀬ー!一番うしろの席かよー!バイキンだからちょーどいいな!」
「バイキン、もうずっとそこいろよー!」
などと言ってゲラゲラ笑う。
(バイキン??)
少しの間、意味が分からなかった。
(バイキンって………、ん?ばい菌?)
渡瀬くんを見ると無表情で下を向いている。
★
演劇部に入ったはいいが、そこは私の思っていた部とは大分違っていた。
私がイメージしていた「演劇部」は衣装を着て舞台で役を演じるという物だった。
けれどその部で実際にしたのは、低学年のクラスを回って紙芝居を読んだり、指人形劇をしたり、といった感じだった。
(これのどこが演劇部なんだ?)と、入部して暫くは不満を抱えていたが、段々と(これはこれでおもしろいかも)と思い始めた。
声だけで演じるのも楽しかった。
抑揚を付けてセリフを言うと、低学年の子達は興味深そうに紙芝居や人形劇を見てくれる。
たまに外す時もあったが、大まかウケは良かった。
私は一度何かにハマるとそれ以外が余り目に入らなくなる方で、どんどんと演劇(?)にのめり込んでいった。
夏休みは人形劇で使う指人形の製作に費やした。
夏休みが開けて二学期になり、クラスで席替えがあった。
その時初めて自分のクラスでまたいじめが起こっているのに気付いた。
★
小嶋くんの事を引き摺ったまま六年生になった。
そろばんへの熱意は四、五年生の時に比べてガクンと下がった。
塾には行ったり行かなかったりだ。
なんとなく学校でも前の様にボーッとする時間が増えた。
ファミコンと読書は変わらずしていたが、余り楽しいと思わなくなってしまった。
なんだか自分はこの世の中でたった一人になってしまった様な気がしていた。
元々一人でいるのには慣れていた筈なのに、妙に孤独感を感じる。
ボーッとしながら自分は自分からどこまで行っても脱け出せなくて、それは誰でも同じなんだろうなと思っていた。
(人間ってすごく不自由なんだな)
前から考えていた事だったが、その思いが何故か強く頭の中にあって離れなかった。
呆けていても時間が止まる訳ではないので、授業の準備や班決め、クラス委員や係決めなどで忙しかった。
そんな中、私が六年生になってから新しい部活が出来たと聞いた。
演劇部だ。
(男の子の役とか出来るかな?おもしろそうだな)と演劇部への入部を決めた。
まだ心の何処かに、幼稚園生の頃に思った(カッコいい王子さまになりたい!)という気持ちが残っていたみたいだ。
★
「えっ?好きなんじゃないの?小嶋と付き合ってるんでしょ?」
「………つ、付き合ってないよ……」
「えっ、好きじゃないの?」
「………そういうんじゃ………」
なんだか頭がクラクラした。
(好きじゃないとかじゃない。けど……)
「そこ!!喋るな!練習!!」
先生に注意されてしまい、また私は前を向いた。
(ヤバい、好きじゃないって言っちゃった……、ヤバい……)
次の塾の日、小嶋くんは教室に現れなかった。
(またサボりかな)と思ったが、小嶋くんはその次も、またその次の回も塾に来なかった。
さすがにおかしいと思い、授業が終わってから先生に聞いた。
「あの、先生…。小嶋カゼひいたとかですか?来てないけど…」
「ああ、小嶋君、先週辞めたんだよ」
「!?え、なんで!?」
「お家の人から電話が来て、小嶋君が辞めたいって言ったらしくて。元々やる気も無かったみたいだし、仕方ないね」
「……………!!」
それから二度と小嶋くんに会う事は無かった。
私にとってあれが初恋だったのかどうか、正直今でも分からない。
けれど小嶋くんが塾を辞めてから暫くの間、なんて私は馬鹿なんだろう、と自分を責めた。
あの時、土屋さんに聞かれて
「うん、小嶋のこと好きだよ」
と言っていたら。
いくらそんな風に考えてももう取り返しは付かないし、小嶋くんを酷く傷付けたのもどうにも出来なかった。
段々とそろばんがつまらなくなってきた。
塾をサボる様になった。
2級の試験を受けたが落ちた。
そうしている内に六年生になった。
★
私がいることで小嶋くんが授業に集中しないなら、と塾をわざと数回サボってみたりもした。
一緒に帰ろうと待っている小嶋くんを無視して一人で帰った日もあった。
そんな風に小嶋くんを避けていたが、変わらず小嶋くんは授業中に私を見続けていたし、帰りも待つのを止めなかった。
(私のためだけに塾にくるなんて!)と、ほんのちょっとの申し訳なさと結構な怒りでピリピリしていた頃だった。
またその日も私は教室の真ん中辺りの席に着いていた。
私の後ろの席には、塾で一番そろばんが出来る土屋さんが座っていた。
いつもなら土屋さんはもっと前の方の席に着いているはずなのに(珍しいな)と思った。
授業が進み、問題集を解く練習時間になった。
パチパチと教室内にそろばんを弾く音が響く。
私も2級の問題集を解いていた。
暫くしてツンツン、と背中をつつかれた。
(ん??)
そろばんを弾く手を止めて振り向く。
土屋さんがニヤニヤしていた。
「…なに?」
小声で聞くと土屋さんも小声で言う。
「…高木さんってさ、小嶋の事好きなんだよね?」
突然そう言われてつい大きな声で答えてしまった。
「好きじゃないよ!」
(あ、ヤバい…)
すぐに(失敗した!)と思った。
★
小嶋くんが先生に怒られる様になってしまった。
「小嶋!ちゃんとそろばんやりなさい!」と何度も言われていた。
小嶋くんに私から直接「練習しなよ!」や「ちゃんと授業聞きなよ」と注意もした。
が、「あー」とか「おー」とか言うばかりで、ちっとも態度を変えようとはしない。
一度、「ちゃんと練習しないならもう一緒には帰らない」と言ったら「わかった」と、暫くの間小嶋くんは授業をきちんと受けていたが、それも長くは続かなかった。
ただただ小嶋くんは授業中私を見ている。
いつも視線を感じて私はそろばんに集中出来ない。
(なにやってんだよ、小嶋……)
そんな風に思い始めた頃、小嶋くんと同じ小学校の土屋(つちや)さんに授業中こっそりと聞かれた。
「……高木さんってさ、小嶋の事好きなんだよね?」
★
小嶋くんは私と一緒に帰る様になるまでは、たまに塾をサボる事があった。
けれど私を待つ様になってからは、サボらず毎回塾にきちんと来ていた。
だからといって授業やそろばんに集中していた訳ではなさそうだった。
私はいつも教室の真ん中あたりの席に着いて、結構真面目にそろばんに打ち込んでいた。
早く2級に合格したくてバリバリとそろばんを弾いていると、時おり何処からか視線を感じる。
(??)と思って振り向くと、教室の一番後ろの席に着いている小嶋くんと目が合った。
小嶋くんはそろばんを弾く訳でもなく、ただじっと私を見ている。
そんな事が何度も何度もあった。
一緒には帰っていたが小嶋くんと付き合ってはいなかったし、好きだと告白をした訳でもされた訳でも無かった。
大体私は小嶋くんの事を好きなのかどうかも分からなかった。
小嶋くんの気持ちだって確認していないから分からない。
一緒に帰るのは楽しかったが、授業中の小嶋くんの態度に段々と困り始めた。
★
自転車に乗って並んで走る。
いつも小嶋くんは何故か私の右隣りだ。
「……風がさ」
「ん!?」
話し掛けたが吹く風が強くて小嶋くんに聞こえなかったらしい。
「風がさー!強いねー!さっむいー!」
叫ぶ様に言い直した。
「つえーけど!そんなさむくねーだろー!」
小嶋くんも大きめの声で答える。
「さむいし強いよー!自転車すすまないー!」
「ガンガンこげばいーじゃん!」
「むりー!!」
ハンドルを握る小嶋くんの左手に私は自分の右手を乗せた。
思った通り小嶋くんの手は物凄く冷たかった。
「!?」
「小嶋、引っぱってってー!」
「………おっまえ………!」
「たのむー、引っぱってくりー!」
「………ラクすんな!しょーがねーなー!」
ぐんぐんと小嶋くんが自転車のペダルを漕ぐ。
「うわ!はやっ!バ、バランス……!」
「おい!こけんなよ!オレもこけるだろ!」
「………ぷははは!!こ、こわいー!あははは!!」
「……ぶっ!!はははは!!」
二人で笑いながらいつもの分かれ道に着いた。
★
塾は月・水・金の週三回で、上級クラスは夕方の6時から7時までの一時間だった。
小嶋くんの後を(探偵みたいだ♪)とついて行った日の次の塾の日から、帰り道に小嶋くんがウロウロしているのが続いた。
その度に何故だか小嶋くんと一緒に帰っていた。
(小嶋、私のこと待ってたのか!)と気付いたのは、それから二週間程後の、年が明けてからだった。
冬休みが終わってすぐ、私はそろばんの暗算検定を受ける事になっていた。
塾の先生が
「今日は高木さんは検定なので、高木さん以外は7時を過ぎたら早く帰って下さい」
と、クラスの子達に言った。
勿論その子達の中には小嶋くんもいた。
検定時間は50分だったと思う。
暗算検定はすごく簡単だったが、どうしても受かりたかった私は見直し算を何度もした。
途中退席も出来たが、時間をギリギリまで使って見直しをしていたので、終わったら8時になっていた。
先生に挨拶をしてマフラーを巻き、出入口のドアを開くと、そこに小嶋くんが一人で立っていた。
「わっ!!ちょ、小嶋!?なっ、なにやってんの!?」
「検定終わった?」
「え、……うん、終わった…けど……」
「じゃあ帰ろーぜ」
(………な、な、……なんでこんなさむいのにこんな所に……)
そこで初めて私は気付いた。
「……小嶋、待っててくれたの……?」
「おう………ほら帰んぞ」
年明けすぐの夜の8時は空気もキンと音が鳴りそうなほど冷たく、風も強かった。
(……こんななかで一時間も待ってたの……)
★
初めの内は小嶋くんが私を『待っている』のに気付かなかった。
塾が終わって(小嶋のヤツ、今日もフケツだのなんだの言ってくんのかな)と思っていたが、何も言わずに小嶋くんは先に帰って行く。
(小嶋、また買い物かな?)と私も自転車に乗って帰ろうとすると、暫くして小嶋くんが塾の少し先の曲がり道のかどでウロウロしている。
「………よー」
「あれ?小嶋、どしたん?」
「……ん?………んー……」
「また買い物いくん?」
「……ん、いや、今日は買い物ない」
「??ふーん、帰んないの?」
「…………」
(なんだ?へんなヤツだな)と思った。
「…………」
「小嶋、帰るんでしょ?」
「……ん………高木、とちゅうまでいっしょに帰んない?」
「へっ?うん、別にいいけど…めずらしーね」
「……そっか?」
「うん、いつもだったら色々言ってくんじゃん。小嶋なんか今日おとなしーね」
「………いいから帰ろーぜ」
「???うん」
最初はそんな感じだった。
★
そろばん3級が受かってすぐだったので、五年生の12月下旬だったと思う。
その日の塾が終わり、珍しく小嶋くんが買い物があるからと早く帰って行った。
いつも追いかけ回されていた仕返しにと、私はこっそりと小嶋くんの後をつけた。
商店街に入って行く小嶋くんに見付からない様について行くのは楽しかった。
まるで探偵みたいだ、と一年生の頃に読んだ江戸川乱歩の本に出て来る、明智小五郎や少年探偵団を思い出していた。
小嶋くんがスポーツ用品店に入ったのを見て、入り口からそろりと中を覗いたら、小嶋くんと目が合ってしまった。
(ちぇっ、見つかっちゃったか)
と、小嶋くんにニヤッと笑った。
小嶋くんは何だか不思議な顔でこちらを見ている。
(たんていごっこ、おーわりっ)
と、小嶋くんの顔の事は気にせず家に帰った。
翌々日の塾の終わりから、何故か小嶋くんが毎回私を待つ様になった。
★
五年生の夏休み明け、やっとそろばんの4級に合格出来た。
塾の先生からの勧めですぐに3級も受験し、三ヶ月程でそれにも受かった。
すごく嬉しかったし、ほっともした。
私が4級に受かるまでの間に、上級クラスに小学校は違うが同学年の小嶋(こじま)くんという子が入ってきていた。
小嶋くんは余りそろばんが好きな様ではなく、いつもダラダラと怠そうにそろばんを弾いていた。
私はこの小嶋くんに髪型や服装の事でよくからかわれていた。
塾に行くのにも私は普段と変わらず、ぼさぼさ頭に毎日同じ服だったので、塾が終わると小嶋くんや小嶋くんと仲の良い男子達に
「ホームレス」
「フケツ」
などと色々言われた。
何度か体を叩かれる事もあったが、その度に私は負けじと小嶋くんを叩き返していた。
自転車で帰り道に追いかけられ「男女ー!」「フケツー!」と大声で言われて「うるせー!」と逆に私が小嶋くんを追いかけ回す日もあった。
★
クラスに高本(たかもと)くんという男の子がいた。
皆から『たっくん』と呼ばれていたその子は、私とは三年生の頃から小学校を卒業するまでずっと同じクラスだった。
小柄で大人しい感じのたっくんだったが、彼も中々に問題児だった。
まず勉強がとにかく苦手だった様で、五年生になってもたっくんは漢字が書けない、九九も覚えられなかった。
給食を全部食べられず、机の中にパンを入れたまま放置して教室中に悪臭を漂わせ、担任の先生に手洗い場で机を丸ごと洗われた事もあった。
話し方も少し幼い感じのたっくんだったけれど、だからと言っていじめにあう事も無く、なんとなくクラスのマスコットキャラクターの様な感じで可愛がられていた。
何故か分からなかったが五年生になって少ししてから、たっくんは私をよくからかったり、物を隠したりしてきた。
席替えの時には「おまえのつくえにハナクソつけたから」と言って笑っていた。
「クツをかくしちゃった~」と、ニヤニヤと笑われた事もあった。
本当にどうしてそんな事をされるのか分からず担任の先生に相談した。
先生は放課後に私とたっくんを教室に呼んで、私とたっくん、先生との三人で話をする時間を作ってくれた。
先生はたっくんに「なんで高木にちょっかい出すんだ?」と聞いていたが、たっくんは答えなかった。
暫くたっくんに質問をしていた先生が突然
「高木の事好きなのか?」
と言ったのでびっくりした。
たっくんも驚いた様で首をぶんぶん振っていた。
その話し合い(?)の後から、たっくんは私にちょっかいを掛けてくるのを止めた。
それどころか(これも何故だかは覚えていないのだが)たっくんとは仲良くなっ
て、家に遊びに連れていってもらう様にもなった。
★
五年生になって暫くは、私の回りは特に問題も無い様だった。
相変わらずそろばんとファミコン、読書の日々。
たまにひとみちゃんとも遊んでいたが、よく覚えていない。
その頃はドラゴンクエスト2が発売されて、私も例に漏れずといった感じで、ひたすらクリア目指して時間があれば家ではファミコンをしていた。
勿論学校の宿題や、予習・復習などしない。
そろばんだけは時間を決めて練習していたが、それ以外は夜中までファミコンに熱中した。
おかげでか男子達とドラクエがどこまで進んだかで話をしたり、レベルがいくつまで上がったりしたか、などで盛り上がり、また前の様に仲良くなった。
朝、学校に着くと男子が声を掛けてくる。
「アッキー!昨日ドラクエやったー!?」
「やったやった!レベル30まで行った!!」
「マジで!?すっげ!オレ、昨日5しかレベル上げできなかったー!」
「でもさ、なんか話がすすまなくなっちゃってさー」
余り面白く無かった学校がまた楽しくなった。
★
五年生になってまたクラスの組み替えがあり、孝子ちゃんとひとみちゃんとは同じクラスになった。
絶縁状態が続いていた遥奈ちゃんとは別のクラスになった。
これは遥奈ちゃんの名誉の為に書いておきたいのだが、遥奈ちゃんは四年生の時、ひとみちゃんへのいじめには加わらなかった。
遥奈ちゃんはとてもプライドが高く、ひとみちゃんをいじめる子達を「くだらない」と馬鹿にしていた様だった。
私はその点に置いては遥奈ちゃんを尊敬していた。
いじめは遥奈ちゃんからひとみちゃんへシフトしたのだが、遥奈ちゃんはその後も基本一人で行動していた。
(強いな)と思った。
別のクラスになり暫く経ってから、遥奈ちゃんと同じクラスの子から、遥奈ちゃんがいじめにあっていると聞いた。
それを聞いて何とかしたい気持ちはあったが、どうにも別のクラスとは接点が無く、私には何も出来なかった。
廊下からたまに隣のクラスを覗いたが、遥奈ちゃんはいつも一人で席に着いていた。
もどかしかったが心の中で(負けんなよ)と思うのが精一杯だった。
相変わらずひとみちゃんは私の回りをウロチョロしていた。
何となく一緒に遊ぶ様にもなった。
五年生になってひとみちゃんへのいじめは少し落ち着いた様に見えた。
私といえば相変わらず落ちこぼれのままだった。
そろばんは頑張っていたが、4級の壁は高くて苦戦が続いていた。
毎日そろばんと、当時流行っていたファミコンと、たまの読書で日々が過ぎて行った。
★
四年生の三学期後半、兄にまた髪を切ろうかと言われたが、「寒いからもうちょっとしたら」と断った。
私は大分前から前髪で目を隠していた。
先生からは毎日のように「高木、前髪切りなさい!」と言われたが、どうしても目を出すのが嫌だった。
おかげでまるで私は鬼太郎の様な頭になっていた。
みすぼらしい格好とその髪型のせいで上級生の人達から
「鬼太郎」
「おばけ」
と、石を投げられた事もあった。
さすがに髪がのびすぎて兄にまた髪を切ってもらったが、その時に限ってやたらと短くされてしまった。
またいつもの様にお風呂場で泣いて、翌日、普段通り着古したトレーナーとスカートで学校へ行った。
授業の合間の休み時間だった。
一人の男子に
「アッキー、髪短くて男みたいー!スカートにあわねー!」
と言われ、みんなに爆笑された。
翌日から私はスカートを履くのを一切やめた。
自意識過剰にも程があったが、変な所で傷つきやすかった。
学校の制服以外でスカートは履かず買う事も無く、その後十年近くほとんどジーパンで過ごした。
★
小学校一、二年生の頃は髪を切られるのが嫌で、「そろそろ切ろうか」と、ハサミを手にする兄から逃げて回った。
髪を切られた後は酷く泣いた。
そんな私を見る兄の顔はとても辛そうだった。
三年生になってものが少し分かってきた私に、兄は髪の長い女の人の写真が載っている雑誌を見せてきて
「今、髪の毛ちゃんとしておけば大人になったらこんな風になれるよ」
と話した。
(そんなわけないだろ…)と思った。
何故ならその女の人はブロンドの髪の外国の女の人だったからだ。
だが私はそれが兄なりの苦肉の策だと気付いたので
「………うん、わかった、かみきっていいよ」
と答えた。
髪を切ってもらった後、お風呂場で一人声を殺して泣いた。
兄の辛そうな顔を見たくなかった。
それから六年生になって美容室に連れていってもらう様になるまで、散髪後はシャワーを浴びながら泣くのが常になった。
★
私には基本的な生活習慣というものが身についていなかった。
幼稚園の頃、まだ母がこころの病気になってしまうまでは、髪をちゃんととかしてもらったり、身だしなみもそれなりにきちんとしていた。
けれど母が病んでしまってからは、頭はボサボサ、服もてきとう、顔は洗わないし、ろくに歯も磨かなかった。
見かねた兄が髪をクシでといてくれる日もあったが、それも兄に朝、時間がある時だけだった。
寝る時はパジャマに着替えるのもめんどうで普段着で寝ていたし、毎日同じ服を着続けた。
小学校二年生になって一人でお風呂に入る様になってからは、頭や体を洗うのがかったるく、一週間や二週間お風呂に入らないなどザラだった。
もう見た目も中身も散々だった。
そんな生活を送っている中で、私には大嫌いな事がひとつあった。
三、四ヶ月に一度、髪を短く切られる事だった。
父も兄も忙しく、母も私の世話などとても出来る状態では無かったので、手入れがしやすい様にといつもショートカットにされていた。
私の髪を切ってくれたのはいつも兄だった。
★
ひとみちゃんへのいじめに加担しなかったからといって、私が学校で優れた子供だったかといえば全くそんな事はなかった。
相変わらず勉強は全然出来ないし、授業中はボーッとしているし、提出物はまともに出さない、宿題はやって来ない。
朝はギリギリか遅刻。
男子とはケンカも多いし口も悪い。
協調性も余り無い。
何より三年生の時には万引きまでしているという問題児中の問題児だ。
学期末に渡される成績表は×印ばかりで、必ず担任の先生からのコメントには
「授業をきちんと聞いて勉強をもっとしっかりやりましょう」
と書かれる始末だった。
たまに良い事が書いてあるとすれば
「給食係を頑張りましたね」
「飼育係を頑張りましたね」
くらいだった。
本当に誉められる所がほとんど無い子供だった。
けれどそろばん塾では、始めてから半年ほどで初級から5級まで駆け上がったという事で、なかなかに優秀だと塾の先生や生徒達には一目置かれていた。
四年生の三学期には5級はとっくに受かっていて、塾では4級を目指して上級クラスでバリバリとそろばんに励んだ。
★
翌朝から私の事を無視する子はいなくなった。
絵美ちゃんがクラスの子達に上手く話したのだろう。
ただ、ひとみちゃんへの態度はみんな変えなかった様で、それどころか嫌がらせは段々と酷くなっていった。
ひとみちゃんは『白ブタ』と呼ばれる様になった。
色白で太っていたからだ。
「白くてデブだから病気だ」と訳の分からない言いがかりをつけて「さわったり喋ると病気が移る」と、クラスの子達はひとみちゃんをからかいながらいじめる様になっていった。
朝、教室の黒板に「白ブタ」「学校くるな」など、他にも酷い言葉が落書きされるのは毎日だった。
黒板に悪口を書かれるたびに、ひとみちゃんは必死な顔をして悪口を黒板消しで消していた。
私にはそれが分からなかった。
何故いじめられている証拠を消してしまうのだろう?
先生に悪口が書かれているのを見せればいいのに、と思っていた。
その事をひとみちゃんに言った事があったが、ひとみちゃんは下を向いたまま何も言わなかった。
ある日の放課後にはクツが無くなった、と騒いでいた。
たまたまその場に出くわした私は、ひとみちゃんと一緒にクツを探したけれど見つからなかった。
「クツないって先生に言いなよ」とひとみちゃんに言ったが、ひとみちゃんは黙っていた。
ひとみちゃんがその時どうやって帰ったか覚えていない。
他にも机にチョークで落書きされたり、物を隠されたりと色々あった様だ。
私は無視や嫌がらせは受けなかったものの、クラスでは浮いた存在になっていた。
誰ともつるまないし、ひとみちゃんの悪口も言わないし無視もしない。
嫌がらせに加担もしなければ、むしろ逆にひとみちゃんを庇う時もあった。
そうしている内にひとみちゃんが私に寄りつく様になってきた。
「しんよう出来るのはアッキーだけだよ」
とひとみちゃんは何度も言ってきた。
私の回りをチョロチョロするひとみちゃんを(めんどくせぇな)と思っていたので、けっこうキツい事を言う時もあった。
それでもひとみちゃんは私にくっついて来た。
★
絵美ちゃんの顔の横に手をついて畳み掛ける様に言う。
「あのさ、ちゃんと自分で考えてムシとかしてんの?それだったら別だけどさ、そうじゃないだろ。みんながしてるからとかそんなんか?自分の意見とかないんかよ。そんなんじゃ『ドレイ』とか言われても当たりまえだろが」
廊下には数人の子達がいたが誰も私を止める子はおらず、ただ遠巻きに見ているだけだ。
悔しそうにしている絵美ちゃんにさらに言い続けた。
「おい、なんとか言ってみろよ。ムシとかくだらないことしてんじゃねぇよ!自分がされるのはイヤで他のやつにはすんのか?どうなんだよ。クチあんならムシじゃなくてちゃんと言えよ!」
「も、もうわかったから!わかったから止めて!!」
「じゃあもうムシとかすんな。他のやつにも言っとけ」
こくり、と絵美ちゃんはうなずいた。
「うん♪わかってくれればいーの♪じゃね~」
何か思っている様子の絵美ちゃんを置いて私は教室へ戻った。
ひとみちゃんの名前は出さなかった。
彼女は彼女で自分で何とかするべきだ。
そう思っていたから。
★
「ねぇ」
まだ遊びに行かずに席に座っている絵美(えみ)ちゃんに声を掛けた。
「……………」
絵美ちゃんは頬づえをついて、私と目を合わさずに横を向いている。
「ねぇ、なんでムシすんの?」
「……………」
「…おい、ちょっと来い」
絵美ちゃんの腕を掴む。
「!?!?」
びっくりした顔の絵美ちゃんの腕を掴んだまま廊下へ引っ張って行った。
クラスから少し離れた廊下の柱に絵美ちゃんの体を押し付ける。
「…なぁ、あんたさ、なんでムシすんの?」
「………………」
「おい、聞いてんだよ、こたえろ」
絵美ちゃんは口をギュッと結んで斜め下を見ている。
「………たかちゃんがこわいんか?」
「!!」
絵美ちゃんの目が大きく見開くのを私は見逃さなかった。
(……やっぱりな……)
「なぁ、あんたさ、クチあんだろが。言いたいこととか思ってることあんならちゃんと言えよ!それともなんだ?あんた、たかちゃんの『ドレイ』か!?」
「……………ドレイなんかじゃ……」
「あっ!今、しゃべった!」
「!!」
(しまった!)という感じの絵美ちゃんの顔をのぞき込む。
「……今、私と話したよね?えみちゃんもムシされるのかなぁ?」
「……今のは、だって」
「あ!またしゃべった~♪」
「…………!!」
★
授業の合間の休み時間に
(さーて、だれがいいかな)
と考えた。
クラスで割りと勉強が出来て、みんなからの信頼がそこそこ厚くて、プライドは普通よりちょっと高いくらい。
友達もそれなりにいて、リーダータイプではないけれど、喋り過ぎず暗すぎず。
私より背が低い子。
何より一番に重要なのは
『三年生の時のあの日』に
『孝子ちゃんと一緒にいた子』だ。
(……あの子だな)
給食の時間は昨日とはうって変わって賑やかだった。
ただその賑やかさは何だかわざとらしい感じで、みんなどことなく何かを気にしている風だった。
勿論だが給食の時間、私は無視された。
先生は私が無視されているのに気付いてはいなかったみたいだ。
むしろ昨日と違ってまた賑やかになったクラスの子達に安心した様子だった。
(先生ってわかんないのかな)
正直、馬鹿なのかな、と思ったけれど
(おとなってこどものことあんま知らないみたいだしなぁ)
とも思った。
けれどそんな事よりもこれからする事の方が重要だったので、先生の事を考えるのは止めた。
給食が終わって昼休み。
私は席を立った。
★
「………………………」
挨拶は無視された。
今度は隣の席の男子に声を掛ける。
「おはよっ」
「………………………」
男子は頬づえをついたままこちらは見ずに、やはり私を無視した。
(……ふーん)
やっぱりこうなるんだ、と思った。
イスに座り、ランドセルから教科書や筆箱を取り出しながら教室を見渡すと、数人と目が合ったが誰もがサッ、と目線を外した。
ひとみちゃんの方を見ると、下を向いて席に座っている。
私のことは見ない。
そうしている内に8時半になり、教室に先生が入ってきた。
教室内は静かだった。
先生は教卓前で暫く無言でいたが、「……出欠とるぞー」と名前を呼び始めた。
四時間目まで授業は昨日と同じく普通に進んだ。
だが授業の合間の休み時間、誰も私に話し掛けないし目も合わせなかった。
それはひとみちゃんにも同じだった様で、ひとみちゃんは休み時間中ずっと一人で下を向いたままだった。
休み時間の間、私は(さーて……だれにしようかな)と考えていた。
★
体育の後の給食の時間、教室では誰一人話す子はおらず静まりかえっていた。
聞こえるのは先割れスプーンと給食トレイがぶつかる、カチャカチャという音だけだ。
生徒と一緒に教室で給食を食べていた先生は、みんなの様子がおかしいのに気付いた様だったが、何も言わなかった。
給食後の昼休み、クラスの子達は珍しく全員が教室から出て外に遊びに行ったみたいだった。
ひとみちゃんと私を除いて。
私は自分の席で一人で「ズッコケ大作戦」を読んでいた。
ひとみちゃんがどうしていたかは分からなかった。
五時間目が始まる直前にクラスの子達はまとまって帰って来た。
教室は静かなまま六時間目の授業も終わり、ホームルームが終わると私はさっさと家に帰った。
翌朝は少し早く起きて学校へ向かった。
教室の扉を開けると、それまで廊下にまで聞こえていたクラスの子達の話し声が一瞬で消えた。
私は自分の机にランドセルを置いて、いつもの様に後ろの席の女子に
「おはよー」
と声を掛けた。
★
(……どーすっかな……)
暫くその場で立ったまま考えた。
15分程経った頃、ひとみちゃんがこちらに走って来るのが見えた。
「…………アッキー?」
「…………………なに?」
それまで困惑した表情のひとみちゃんの顔が、パッと明るくなったのが分かった。
「よ、良かったぁ!アッキー話してくれた!……アッキー、なんかみんな変なの、話してくれないの、なんでか知ってる!?」
「……………さぁ?」
またひとみちゃんの表情が不安げに変わる。
「アッキーは話してくれるのに……、なんでなんだろ……」
「……知らない」
「ねぇ、アッキー、みんなさ……」
「あのさ、そこボールとんでくるからあぶないからあっち行ってくんない?」
えっ?えっ?といった感じのひとみちゃんに、
「ほら!あぶないって!あっち行って、あっち!」
と私はひとみちゃんに『あっちに行け』と手を振った。
ひとみちゃんはこちらを何度も振り返りながら私から離れて行った。
相手を邪険に扱う。
これが「私なりのムシ」だった。
勿論これが良いやり方でないのは分かっていたが、少し考えていた事があった。
★
三時間目までは特に変わった事もなく、いつも通りに授業が終わった。
四時間目の体育はサッカーをするという事で、クラスの子達は校庭に思い思いに散っていく。
みんな割りと自由にサッカーボールを追いかけたり、何人かで固まってお喋りをしたりといった感じだった。
サッカーは好きでも嫌いでもなかったが、ごちゃごちゃとボールを追うのはめんどくさくて、私はサッカーゴールから離れた校庭の端に一人で立っていた。
少しして私の所へ女子が7人ほどやって来た。
その中には孝子ちゃんもいた。
「アッキー」
百合子(ゆりこ)ちゃんに声を掛けられた。
「?なに?」
「あのさ、私達ひとみちゃんのことムシしようって決めたの」
「???」
「だからアッキーもひとみちゃんとしゃべんないで」
「……?ムシって、なんで??」
「いいからさ、とにかく話ししちゃダメだから」
「……そんなん何でかわかんないのにムシとかできないよ」
「みんなで決めたの。だからアッキーもムシして」
(???)
さっぱり分からなかった。
けれどハッキリと断る理由が見つかる程、自分の意見があった訳でも無かった。
「………私なりのムシのしかたでいいなら」
そう答えると百合子ちゃんは
「うん、それでもいいから。ぜったいだよ」
と私に念を押すと、一緒に来た子達と固まって私から離れて行った。
(………ムシ、ねぇ………)
★
当時、私が住んでいた家は借家だったが、通っていた小学校のすぐそばで、歩いて3分で学校に着くという好条件の場所だった。
朝は学校が始まる15分前に起きて、だらだらと着替えてからギリギリで学校へ向かう。
8時半までに教室の席に着いていれば良かったので、(家が近いってほんと楽だなぁ)といつも思っていた。
(たまににN○Kの朝ドラを見てから学校へ行く日もあった(笑))
元々宵っ張りぎみだったのと、そろばんの練習で寝不足の日が続いていた。
昨日のひとみちゃんや葉子ちゃんとの事はすっかり忘れていた。
またその日もいつもの様に眠い目を擦りながら、8時半の数分前に教室の扉を開いた。
(…………………?………)
なんとなくだったが教室の空気がいつもと違う気がした。
普段ならこの時間の教室はもっと賑やかで、走り回っている子もいれば、大きな声でお喋りをしている子もいたはずだった。
なのにその日に限っては男子も女子もみんなやたらと静かで、黙って席に着いている子もいれば、少人数でひそひそと小声で話している子達もいた。
(……………なんか変だな…………)
取りあえず自分の席に着いた。
★
その日のホームルームが終わり帰ろうとランドセルに色々詰めていたら、クラスの葉子(ようこ)ちゃんに声を掛けられた。
「アッキー、ちょっと」
「??」
腕を組まれて教室の後ろに連れて行かれた。
「………さっきのさ、ひとみちゃんの言い方ひどくない?」
(ひとみちゃん?)
「なんかひとみちゃん、自分ちはお金持ちだから~とかずっと言ってたんだよ。アッキーにあんな言い方ひどいよね」
「……あの子、ひとみちゃんていうの?」
「へっ?……アッキー、名前知らなかったの?」
「うん、今はじめて知った」
「ぶっ!!あははは!!し、知らなかったんだー!!」
何がそんなに笑えるのか分からなかった。
暫く葉子ちゃんは涙目になりながら笑っていたが
「あぁ、でも良かった。アッキー気にしてなかったってことだよね」
と、目を擦りながら私に言う。
「……お金がどう、って?」
「それもだし、セカイがとか関係ないとかさ」
「んー、別に……、関係ないって言われたから関係ないんだろな~とはおもったかな」
葉子ちゃんがまたお腹を抱えて大声で笑う。
「ア、アッキーって……」
ひーひー言いながら笑う葉子ちゃん。
★
転入生の子は色白で背が低く、ポッチャリしている子だった。
本当に興味が無かったので、私は名前も覚えなかった。
その子の方では何故だか私の名前を覚えたらしく、みんなの様にアッキーとあだ名で私の事を呼んでいた。
最初の内は孝子ちゃんの時の様に、その子の回りに何人もクラスの子達が集まっていた。
学年集会か何かがあった日だったと思う。
体育館での集会が終わり、片付けを手伝わされてみんなより少し教室に戻るのが遅くなった。
体育館から校舎までの通路で、私のクラスの女子達が数人、転入生の子を中心に話をしていた。
(?何してんだろ?)
暫く立ち止まって聞いていると、どうやら転入生の子は劇団に入っていて、入団するのにお金が沢山掛かって……、とかいう話をしている途中だったみたいだ。
★
四年生になった。
父に頼み込んで放課後週三日、そろばん塾に通い始めた。
私はすぐに夢中になって、学校にもそろばんを持っていき、休み時間にも練習問題をずっと解いたりしていた。
孝子ちゃんとは三年生の時の様に遊ぶ事は無くなっていた。
塾と塾の無い日もずっとそろばんを弾いていて、放課後誰かと遊んだりもしなくなった。
相変わらず学校の勉強はさっぱりだったが、そろばんの練習の為にまた机に向かう様になった。
半年程そろばんに夢中で回りは全く見えなくなっていた。
そろばん漬けの夏休みが開けて9月、またクラスに転入生がやってきた。
転入生には興味が全然無くて、それより兎に角「早く5級まで上がりたい!」と、ずっと下を向いてそろばんばかりしていた。
★
「ふーん。そっかぁ、アッキー私のことしんよーしてないんだぁ。そっかぁ」
「……しんようって……」
「とにかくっ!ちゃんとそれ買ったの!だから返して?」
無言で定規を孝子ちゃんに渡す。
「あ、これ、こわれちゃったね」と押し付ける様に財布を返された。
「ごめん」の一言も無い。
「……帰る」
「うん。ばいばーい」
孝子ちゃんに背を向けて、モヤモヤしたまま家に帰った。
その日から約一ヶ月半後、私は単独での万引きで捕まる。
一ヶ月半の間に色々な事があった。
色々な人に会った。
言い訳にならないのは解っている。
万引きをしたのは事実だし、今でも本当に馬鹿な事をしたと思っている。
ただ、本当に色々な事があった。
あの一ヶ月半の事は完全に自己満足だが後に書きたいと思う。
★
孝子ちゃんが私の所へ駆けて来る。
「アッキー、急に走んないでよー!……信じたの?」
あははは!と笑う孝子ちゃんをじっと見つめた。
「あはは、……………どっちだとおもう?」
盗んだのか、そうでないのか。
「……………」
眉を寄せて孝子ちゃんの目を見る。
孝子ちゃんは上目遣いで私を見る。
……ぷっ、と孝子ちゃんが吹き出した。
「あははは!!自分で買ったんだよー!ぬすんだりするわけないじゃん!!」
お腹を抱えて笑う孝子ちゃんに
「………おかね」
「あっははは!!……え?」
「おかねもってたの?」
孝子ちゃんは急に笑うのを止めて真面目な顔をした。
暫く私をじっ…と見て
「……うん。もってたよー」
「……ほんとに買ったの?」
「……しんじないんだ」
「…………………」
★
「……うそって……」
「アッキーのお金使ってないよ♪ほら!」
財布を開けて中を見せてくる。
中には五百円がきちんと入っていた。
「……じゃあそのじょうぎ、どうして……」
「……………とってきちゃった♪」
(!?!?)
「とってって………、それって…ハンザイっていうんじゃ……」
私は万引きという言葉を知らなかった。
「私、たまにほしいのぬすんでるんだ。………それアッキーにあげるよ」
孝子ちゃんは口元は笑っていたが、目は笑っていなかった。
「……アッキー!?!?」
私は定規を持ってビルの方へ走りだした。
(返しにいかなきゃ!!)
暫く走った所で
「アッキー!!それもうそー!!!」
孝子ちゃんが大きな声で言う。
(!?!?)
足を止めて孝子ちゃんの方に振り返る。
「ぬすんでないよー!うそだよー!!」
★
そんな風にして孝子ちゃんと色々なお店で遊んだある日の帰り道だった。
「ねぇ、アッキー。さっきのお店のじょうぎかわいかったねー」
孝子ちゃんは文房具店で「これかわいー!」と動物の絵が描かれた定規をずっと見ていた。
「あれ欲しいなぁ」
孝子ちゃんは一人で「欲しいなー」「欲しかったなぁ」とか言っていたが、急に
「ねぇアッキー、そのおサイフかして!」と私のがま口財布に手を伸ばしてきた。
「ちょっ!なに!?」
「いいからかして!」
がま口財布を引っ張られた。
「やめて!!やだ!」
抵抗したが孝子ちゃんは財布を引っ張るのを止めてくれない。
そうこうしている内に、ブツッ、と首にかけていた紐が切れた。
孝子ちゃんは「あっ!切れた!」といったが謝らない。
それどころか財布を持って走って行ってしまった。
(……なんで……こんなことするの……)
走っていく孝子ちゃんを見ながらなんだか凄く悲しくなった。
(お母さんにおこられる……)
孝子ちゃんを追いかける気力も無かった。
ため息をついてその場に立ちすくんだ。
仕方ないので孝子ちゃんが戻ってくるのを待つことにした。
10分程して孝子ちゃんが走って帰ってきた。
「へへへ♪これ買ってきちゃった♪」
手にはさっき欲しいと言っていた定規が握られている。
「……入ってたお金で買ったの?」
「うん。へへへ♪」
(………お母さんになんて言おう……)
「はいっ!」
「………え……?」
「アッキーのお金で買ったから、これはアッキーのだよ♪」
「……………」
渋々定規を受けとる。
(じょうぎ買ったってお母さんに言うしか………)
「うそだよー!」
「???」
★
そんな事があってからも孝子ちゃんには変わらず遊びに誘われた。
連れていかれたのは、やはりあの商業ビルが多かった。
本屋に引っ張っていかれて、アダルトコーナーに居座る事もあった。
「アッキー、見て見て!これエッロいよー!」
アダルトコーナーにしゃがみ込んで、孝子ちゃんは「うわっ!」とか「エローい!」と言いながらエッチな本を見ていた。
男女が裸で何かしているページを、孝子ちゃんは私にも見ろと言ったが、チラリと見たら気持ち悪いのと恥ずかしいのとで、私はそっぽを向いていた。
別の日には雑貨店に入って、お試し用の口紅やアイシャドウを顔に塗って遊んだりしていた。
お金を使わないなら、と、どこにでも着いていった。
エッチな本を見せられるのは別だったが、それ以外はそこそこ私も楽しみ始めていた。
あれこれしている中で数回「親友になって!」とまた言われていたが、私はうんともイヤとも言わなかった。
★
聞いてもいないのに孝子ちゃんは話し出す。
「私ね、まえからずーっと親友がほしかったの。でもできなくって。アッキーみたいな人っていないよ。アッキーに親友になって欲しい!」
「…………」
「だからこれ、もらって!!」
「…………あのさ」
「うん?」
「親友……ってさ、言ってなるものなの?」
「…………」孝子ちゃんが黙る。
「親友って、気がついたらなってるもんじゃないの?何かあげたりして『なってもらう』とかってちがうと思うんだけど」
「…………」
孝子ちゃんは何か考えていたようだが、少しして
「……そうだよね……、親友って言ってなるものじゃない、か……。アッキーの言うとおりだ……」
何か気付いたかの様に孝子ちゃんはそう言った。
「そっか、そうだよね……うん。言ってなるものじゃない……」
一人ごちる孝子ちゃんだったが、
「……アッキー、でもこれはもらって!アッキーにあげたいの!」
と、ラムネをいくつか押し付けてくる。
「いいってば、ラムネ好きじゃないんだよ」
「いいから!はいっ!」
無理矢理ラムネを握らされた。
「……これ、どうせすてちゃうよ……?」
「それでもいいよ。アッキーにもらってもらうのが意味あるの!」
「………………」
「もう帰ろっかぁ。またお母さんにおこられるかなぁ」
家に帰ってから貰ったラムネをどうしようか迷った。
(いっこくらい食べたほうがいいかな……)
小さな袋を破ってラムネをひとつ口に入れる。
(…………うわ、あまっ!)
ラムネは凄く甘くて、やっぱり美味しいとは思えなかった。
結局ひとつ食べただけで、残りのラムネはごみ箱に捨てるしかなかった。
押し付けられたせいで、食べ物を棄てるという持たなくて良かったはずの罪悪感と、孝子ちゃんへの腹立ちで気分が悪かった。
★
「はっ!?えっ!?えっ……や、やだよ!」
「だってもう五十円玉ないんだもん」
そう言ってまた孝子ちゃんはポケットから小銭を出して私に見せる。
百円玉が一枚と十円玉が数枚手のひらに乗っていたが、そんなのを見せられたからと言って(だからなに!?)と思った。
「ねっ?」
「か、かすとかはダメ!……それに五十円玉もってないよ、こんなか入ってない」
「………ちぇー。も一回やりたかったなぁ!」
案外あっさりと退いた孝子ちゃんはイスから立ち上がった。
「あ、あれやろー」
ドーム型の大きな機械に向かう孝子ちゃん。
(???お金ないんじゃないの??)
何だか孝子ちゃんに近付くのが嫌だった。
孝子ちゃんも私を呼ぶ訳でもなく、機械の中をのぞいている。
何がなんだか分からなくてもう放っておこうと思った。
バシッ、バシッと機械に付いているボタンを叩いている孝子ちゃんから目をそらして、適当に辺りを見ていた。
「アッキー!アッキー!」
(……なんなんだよ……)
呼ばれても目を向けなかったが孝子ちゃんの方から私の所に駆け寄ってくる。
「これっ!あげる!」
孝子ちゃんの両手一杯にラムネの袋が乗っていた。
「……??」
「すごいでしょ!?百円でこんなに取れるんだよ!?いっぱい取ったからあげる!!」
「……ううん、いい、いらない……」
ラムネは好きでは無かったし、また何か企んでいるんじゃないか、と何となく思った。
「えー!?もらってよー!」
「いいってば…」
「お願い!もらって!……そのかわりアッキー、私と親友になって!!」
(???)
ラムネを貰ってあげる代わりに親友になる??
★
「わぁ!」とか「あー!」とか言いながらゲームをしている孝子ちゃんの後ろに立って(…またか……)と思っていた。
(どうせ「アッキーはやらないの?」とか言うんだろうな……)
遥奈ちゃんもだったが、孝子ちゃんも、いつもお金を使う時は自分達と同じように、私にもお金を使わせようとあれこれ言ってきていた。
(…こーいうの、おもしろいかなぁ……)
ゲームの画面では飛行機の様なものが、ピュンピュンと音をたてて弾を出しながら前後左右に動いている。
(これ、見ててつかれないのかな)
孝子ちゃんの後ろで見ているだけで目が廻りそうだ。
それに凄くつまらない。
(……犬とか見に行きたいなぁ……)
画面を見るのにも飽きて、ペットショップの方に首だけを動かす。
私のそんな様子に孝子ちゃんは気付かないまま、まだ「わー!」とかなんとか言っている。
(ねこもいるかなぁ?)とか思っていたら、孝子ちゃんが「ああー!うそー!!」と大きな声を出したので、何事かとまたゲームの方を見た。
「あー!やられちゃったぁ!!もー!!」
そう言いながら孝子ちゃんは悔しそうにバンバンと手で筐体を叩く。
私はびっくりして「た、たかちゃん!たたくのダメなんじゃないの!?」と慌てて言ったが、
「だいじょうぶだよ、こんくらいしたって。あー!くやしー!!」
と、孝子ちゃんは今度は筐体の横に蹴りを入れた。
「ちょ、ちょっと、たかちゃん!」
私の声は無視して「もう一回やりたいなぁ!」と孝子ちゃんが言う。
私はため息をついて(別に…やりたきゃやればいいじゃん……)
と思っていたら、孝子ちゃんがクルリとこちらを向いた。
「アッキー!お金かして!!」
「えっ!?」
「アッキー、お金もってるでしょ?それに入ってるんだよね?五十円かしてよ!」
と、私が首から下げているがま口財布を指差した。
★
屋上広場にはペットショップや小さい遊園地、アスレチックジムにゲームコーナー、イベント用のステージやクレープ屋さんもあった。
平日の午後のそこには人は余りおらず、まだ赤ちゃんの様な子を連れた女の人達がベンチに数組いるだけだった。
「アッキー!こっち!」
孝子ちゃんが私の腕を掴んで引っ張っていく。
(???)
「へへへ♪ここだよー!」
連れて行かれたのはイベントステージの横のゲームコーナーだった。
ゲームコーナーには色々なゲームの筐体が何台かと、大きなドーム型の何かが中でぐるぐると回っている、見たこともない機械があった。
(……たかちゃん、ゲームがしたかったの?)
孝子ちゃんは掴んでいた私の腕を放すと、一台のゲーム機前のイスに座った。
「これ、すっごい面白いんだよー!」
そう言いながらズボンのポケットに手を入れて、ジャラッと小銭を数枚取り出す。
「…えっと、五十円……、あった!」
コイン投入口にカチャン、と五十円玉を入れた孝子ちゃんは、私には「そこで見てて!」と言ってゲームを始めた。
★
その商業ビルには父や兄と何度か来た事はあったが、一人では勿論子供だけで入った事など無かった。
「アッキー、こっちこっち!」
と、孝子ちゃんはビルの中に慣れた感じでずんずんと入って行く。
孝子ちゃんに着いては行ったが、なんだか怖く感じてきて
「たかちゃん、こんなとこ子供だけで入っていいの?」
と言うと孝子ちゃんは
「私いっつもここ来て遊んでるよー。だいじょうぶだよ。それよりこっち♪」
と更に奥へ向かう。
向かった先はエレベーターホールで、孝子ちゃんは躊躇する事無くエレベーターのボタンを押した。
「ちょ、ちょっとたかちゃん、どこ行くの?」
「いいからいいから♪ほら、きたよー」
開いたエレベーターにぴょん、と小さくジャンプして孝子ちゃんが乗って入る。
一体どこに連れて行かれるのか分からないまま、私もエレベーターに渋々といった感じで乗り込んだ。
孝子ちゃんはなんだかとても楽しそうにしている。
エレベーターには他にも何人かが乗っていたが、私達以外は皆大人だった。
大人の人達は特に私と孝子ちゃんを気にする訳でも無さそうだったが、私はなんだか悪い事をしている様な気がした。
エレベーターはどんどん上へ上がっていって、「この階だよー」と孝子ちゃんに言われて降りた先はビルの最上階の屋上広場だった。
★
ある日、孝子ちゃんと放課後に遊ぶ約束をした。
孝子ちゃんは「ちょっと行きたいとこがあるんだ~」と言っていたが、どこに行くのか教えてくれなかった。
とりあえず家に来て、と言われたので孝子ちゃんの家に向かった。
玄関横の窓を軽くノックすると、ガラガラッと開いて孝子ちゃんが顔を出す。
「アッキー!今出るね!」
孝子ちゃんは慣れた感じで窓枠を乗り越えて外に出てきた。
手にはちゃんとクツも持っている。
孝子ちゃんのお母さんはとても厳しくて、宿題やピアノの練習が終わるまで孝子ちゃんを部屋から出さなかったらしい。
どうしても遊びに行きたい時は窓から外に出ては、帰ってからお母さんに怒られていたようだ。
「ほんっと、お母さんうっさいんだから」と、いつもくちびるを尖らせて孝子ちゃんは愚痴を言っていた。
最初の内は窓から出てきた孝子ちゃんに驚いたけれど、もう何回も見てきたのでそれが当たり前になっていた。
孝子ちゃんが歩き出したので後を着いていく。
「ねぇ、今日行きたいとこってどこ?」
「ん~?ふふふふっ。とにかく来て来て」
孝子ちゃんに連れられて着いたのは駅前の大きな商業ビルだった。
★
私には毎月の決まった額のお小遣いは無かった。
必要なもの、例えばノートや消しゴムなどが無くなったら、その都度母にいる分だけのお金をもらって買っていた。
それ以外には首からさげたキャラクターもののがま口財布に五百円玉を入れて持ち歩いていた。
母から「この五百円はどうしてもっていう時に使うように」と言われていた。
遥奈ちゃんもだったが孝子ちゃんもお金使いが荒かった。
遥奈ちゃんはおばあちゃんから毎日の様にお小遣いをもらってはアイスやジュースを買っていた。
孝子ちゃんは毎月のお小遣いに加えて、お兄さんの貯金箱からお金を盗んで色々な物を買っていた。
そんな遥奈ちゃんや孝子ちゃんと一緒にいても私は財布に入っている五百円は使わなかった。
駄菓子屋でアイスやお菓子を買って食べる遥奈ちゃんや孝子ちゃんには「アッキーは買わないの?」と何度も言われた。
けれど「私はいいや」と、五百円を使う事は無かった。
孝子ちゃんとよく遊ぶ様になってから暫くして、孝子ちゃんが私を試す様な事をし始めた。
わざと私にお金を使わせようとする様になった。
★
遥奈ちゃんとのいざこざ前より入院していた母は今度は三ヶ月程で退院して家に帰って来た。
入院している間、母がどんな感じだったか分からないが、入院前と退院後で何か変わったかというと、少しだけ行動が落ち着いた気がした。
再入院の前、母は包丁を持って父に「これで私を殺して」と迫ったり(その度に私が止めた)、虫が沢山這いずりまわっている(実際にはいない)と怯えて暴れていた。
灯油の入ったポリタンクとライターを持ってきて、これで火を着けて殺して欲しいと私に言ってきた事もあった。
退院してからは母はほぼ寝たきりになった。
それでも家中の包丁やらハサミやらを、カギのかかる私の机の引き出しに隠すのは前からと変わり無かった。
ただそんな状態の母でも家にいてくれるのはやっぱり嬉しかった。
★
遥奈ちゃんと遊ばなく(?)なった代わりと言うか、孝子ちゃんと良く過ごす様になった。
別に孝子ちゃんと仲良くしたかった訳でも無かったのだけれど、何故だか孝子ちゃんが放課後や休みの日に遊ぼうと言ってきた。
孝子ちゃんは相変わらず遥奈ちゃんとも遊んでいたみたいだが、時折私に遥奈ちゃんの愚痴と言うか悪口を言ってきた。
前からだったが孝子ちゃんは遥奈ちゃんにおべっかを使っていた。
遥奈ちゃんに「その服可愛い~」とか、ちょっとした事でも「遥奈ちゃんはすごいよね」と良く言っていた。
けれど遥奈ちゃんのいない所では「遥奈ちゃんはワガママだよね」や「性格悪いよね」などと随分とこき下ろしていた。
そして私に「アッキーもそう思わない?」と聞いてきた。
そう聞かれても私は黙っていたし、首も縦にも横にも振らなかった。
(そんなにモンクがあるなら本人に言えばいいのに)
と思ったし、
(悪口言うならはると付き合わなければいいのに)
とも思っていた。
実は遥奈ちゃんと絶縁の様になる前、遥奈ちゃんも孝子ちゃんの悪口を言っていた。
遥奈ちゃんもやっぱり孝子ちゃんのいない時に「孝子ちゃんって調子いいことばっかり言うよね」だの、「すぐ孝子ちゃんって嘘つくよね」と言っては「アッキーもそう思うでしょ?」と同意を求めてきていた。
私はどちらの言い分にも何も答えなかった。
不思議な事に遥奈ちゃんも孝子ちゃんも、私に同じ事を言ってきた。
「アッキーは偉いね。人の悪口絶対言わないよね」
本人に言えない事は口に出さない主義だっただけで、二人ともにそう言われてもやっぱり黙っていた。
★
翌日、朝。
学校の下駄箱前で遥奈ちゃんにばったり会った。
もしかしたら私を待っていたのかも知れないけれど、別にどうでもよくてそのまま教室に向かおうとした。
…ら、遥奈ちゃんに声をかけられた。
おはようではなくいきなり
「アッキー!きのうなんで勝手に帰ったの!」
そして私の言葉も待たずに
「アッキーは私のドレイでしょ!!」
(何を言ってるんだ?)とムカッとしたので
「ドレイになんてなったおぼえない!」
と言い返した。
遥奈ちゃんがそれを聞いて手を振り上げる。
ひっぱたこうとしたのだろう。
それでも怯まず私は遥奈ちゃんの目をまっすぐ見たままでいた。
遥奈ちゃんは暫く手を上げたままでいたが、私が動じないのに気圧されたのか、ふいっと目をそらして
「もう遊ばないから!」
と言って歩いて行ってしまった。
その日から休み時間、遥奈ちゃんに呼ばれる事は無くなった。
★
遥奈ちゃんの家に着くと「アッキー、こっち!」と呼ばれた。
遥奈ちゃんの家の前の小さなガレージ。
見るとそこには孝子ちゃんも来ていた。
(今日は何するんだろ?)と思ったら「アッキー、そこに立って」と遥奈ちゃんが言う。
どうやら足かけゴム段をするのに、ゴムひもを足にかけて押さえる人数が、遥奈ちゃんと孝子ちゃん二人だと足りなかったらしい。
「アッキー、ゴムひも押さえてて!」と、遥奈ちゃんに言われる通りにゴムひもを足にかけて押さえる。
遥奈ちゃんと孝子ちゃんは暫く交替にゴム段で遊んでいた。
私はぼーっと突っ立って(早く終わんないかなぁ)と思っていた。
30分くらいしたらただ立っているのが辛くなって来た。
孝子ちゃんがそれに気付いたのかは分からないが「アッキー、次とぶ?」と言ってくれた。
けれど私はゴム段の仕方を知らなかったので「ううん、私は……」と言いかけた。
……ら、遥奈ちゃんが「アッキーはいいの!!」と孝子ちゃんに言う。
「でも……」と言う孝子ちゃんの言葉を遮って、遥奈ちゃんは。
「アッキーは私の言うこと何でも聞くんだからいいの!!」
(バカバカしい……)
「帰る」
足にかけたゴムひもを外してガレージから歩き出した。
遥奈ちゃんが何か叫んでいたけれど無視して家に帰った。
★
遥奈ちゃんとの良く分からない関係が一ヶ月程続いた頃、クラスに孝子(たかこ)ちゃんという転入生が来た。
初めての転入生に皆が珍しがって、孝子ちゃんの回りにはクラスの子達が集まっていた。
孝子ちゃんは明るくて話も面白い、少しふっくらとしている子だった。
いつの間にか孝子ちゃんは、クラスでちょっと目立つ遥奈ちゃんと仲良くなっていたみたいで、遥奈ちゃんと孝子ちゃんと私とで一緒にいる事が増えた。
私はやっぱり余り喋らなかったのだけれど、そんな私が孝子ちゃんには珍しく見えたのかも知れない。
孝子ちゃんは気さくな子で、三人でいても遥奈ちゃんと違って私にも会話を振ってくれたりしていた。
そんな感じで一、二ヶ月経った頃だった。
日曜日、遥奈ちゃんから電話が来た。
また「アッキー、今から来て」と呼ばれた。
特に用事も無かったので、言われた通りに遥奈ちゃんの家に向かった。
★
次の日曜日。
遥奈ちゃんから電話がかかってきた。
「アッキー、今から出てきて」
遊ぼう、とは言われず、命令口調でそう遥奈ちゃんに言われた。
(なんの用だろ?)と家を出た。
待ち合わせたのは小学校の校門前。
遥奈ちゃんは先に来ていて
「アッキーおそい!来てって言ったらすぐ来て!」
なんでこんなに偉そうなのか分からなかったので何も答えなかった。
「行こう」と遥奈ちゃんが歩き出して、良く分からないまま後を付いていく。
何をする訳でもなく、ただ学校の近くを歩くだけ。
遥奈ちゃんは何も話さない。
私も話す事は特に無いので、お互い無言のまま歩き続けた。
暫くして「つまんない、帰る」と勝手に遥奈ちゃんは帰ってしまった。
(なんだったんだ??)
分からないまま私も家に帰った。
次の日から学校の休み時間毎に、遥奈ちゃんが自分の席から「アッキー、来て」と私を呼ぶ様になった。
私は何も話さなかったが、遥奈ちゃんはクラスの誰が馬鹿だの頭が悪いだのと一人でベラベラ喋っていた。
たまに遥奈ちゃんに「アッキーもそう思わない?」と言われたけれど、私は答えず黙っていた。
だんだんと遥奈ちゃんといる時間が増えた。
家にも連れて行かれる様になった。
別に一緒に遊ぶ訳でもなく、プロレスが好きな遥奈ちゃんは私に技をかけて来たりした。
時には台所から大きめの包丁を持ってきて私に向ける事もあった。
私は遥奈ちゃんのそういった行動の意味が何となく分かっていたので、プロレス技をかけられても包丁を向けられても怖くなかった。
★
何日か遥奈ちゃんの給食トレイに数人の男子や女子が牛乳をかける日が続いた。
それが始まってからもう何日も遥奈ちゃんは給食を食べていなかった。
(食べられるものだけでも食べたらいいのに)そう思っていたし、
(たおれたらどーすんの)と、心配でもあった。
その日の給食はソフト麺とミートソースに、牛乳、フルーツが何か付いていた。
遥奈ちゃんの机の回りにまたあいつらが集まって、トレイに牛乳をかけて笑っている。
いい加減ムカつきもピークに達していた。
遥奈ちゃんの席に向かう。
男子の持っている牛乳パックを引ったくる様に奪って、遥奈ちゃんのトレイ上のミートソースに牛乳をかけた。
「これだったら食べられるよ。おいしいから食べな」
回りにいた子達がイヤらしい顔をしながら「アッキーやる~!」と笑った。
自分の席に戻り、牛乳入りのミートソースを食べた。
ガタッ
遥奈ちゃんが立ち上がって私の所へやって来る。
「……また自分のにかけたの」
「うん、けっこうおいしいよ。はるも食べてみなよ」
遥奈ちゃんは牛乳パックを持って来ていた。
「……アッキー、これ頭にかけていい?」
牛乳パックを私の頭の上に持ってくる。
「………いいよ」
遥奈ちゃんがパックを握って私の頭に牛乳をかけた。
「…………ぷっ!あはははは!!」
大きな声で笑う私に「アッキー、頭おかしいでしょ」と遥奈ちゃん。
「ははは!えー?そうかな?あははは!」
「……また明日もかけるから」
「いーよいーよ、かけにきなー、あはははは!」
次の日、そのまた次の日も遥奈ちゃんは牛乳を私にかけに来た。
それが数日続いた。
何日目かにクラスの女子何人かが「はるちゃんやめなよー」と言ってきたが、「いーのいーの。あははは!」と笑って牛乳をかけられるのを拒まなかった。
いつの間にか男子や女子達は遥奈ちゃんの給食に牛乳をかけるのを止めたらしい。
遥奈ちゃんもそれにしたがってか、私に牛乳をかけるのを止めた。
私の知らない所で話し合いでもあったのかも知れない。
普通に給食を食べる様になった遥奈ちゃんを見て(良かった、食べてる)と安心した。
★
廊下側一番はじ、前から二番目が教室での私の席だった。
後ろをちらりと見ればクラス全体ほとんどが目に入る。
その日の給食はパンにカレー、牛乳と他に何かあったと思うが覚えていない。
好物のカレーがメニューで嬉しかった。
さて食べよう、とスプーンを手に取った時、私の席から3つ机を挟んだ遥奈(はるな)ちゃんの席回りがなんだか騒がしかった。
よくよく見ると数人の男子と女子が遥奈ちゃんの給食のトレイに何かをかけている。
(なにやってんだ??)
少し気になったので見に行った。
男子が「ほら、食えよー。給食残すなよな」と言いながら、遥奈ちゃんの給食に牛乳を回しかけてニヤニヤ笑っていた。
回りの女子も「はるちゃん、全部食べなよー?」とくすくすと笑いながら見ている。
(……こいつら……)
遥奈ちゃんは怒った様な顔でじっと牛乳がかかったトレイを見ている。
私は自分の席に戻り、牛乳をカレーにかけて食べた。
そしてまた遥奈ちゃんの席に向かった。
「ねぇ」
「!?」と遥奈ちゃんが鋭い目付きで私を睨む。
カレーを指差して「食べてみなよ。おいしいよ」と言って、また席に戻った。
暫くして、遥奈ちゃんが私の席に来た。
「…………」
「なに?」カレーを頬張りながら聞く。
「……どうしてアッキーのカレー、牛乳がはいってるの」
「ん?あぁ、自分でいれたんだよ。おいしいから、はるも自分の食べてみなよ」また牛乳カレーを口に運ぶ。
「……馬鹿なんじゃないの……」
「んー?んー、そうかもー」と言いながら牛乳をパンにもかけた。
「これも美味しいんじゃない?」と、ニカッと遥奈ちゃんに笑った。
「……何カッコつけてんの、ばーか」
そう言うと遥奈ちゃんは自分の席に戻っていった。
★
「お母さん!」
居間でこたつに頬づえをついている母に声を掛けた。
居間の電気は相変わらず点けておらず、暗い中で母はため息をついていた。
「…………」
声を掛けたが無視された。
「ねぇ、お母さん!ねぇ!」
母はこちらを見もせずに
「……何……?」
と、めんどくさそうに答えた。
「あのね、お母さん、これがわからなくてね、教えて!」
教科書をこたつの上に乗せて、「これなんだけど」と言ったら、
「……お父さんに教えて貰って」
「だって今お父さん仕事じゃん。わかんないの、お母さん教えて」
はー、っと息を吐く母。
「…だから、お父さんが帰ってきたら教えてもらいなさい。お母さん、分からないから」
そう言われても私は引き下がらなかった。
「わからなくてもいいよ、いっしょに考えてくれるだけでもいいから!ねぇ、お母さん、お母さん!」
パンッ
頬を叩かれた。
「お父さんに聞きなさいって言ってるでしょ!?しつこいっ!あっち行きなさい!」
そう言うと母はまた頬づえをついて、ブツブツと何か独り言を言い始めた。
自分の部屋に戻った私はまた机に向かった。
教科書を開いて問題を読む。
ちっとも頭に入ってこなかった。
頬を叩かれて頭の中は真っ白になっていた。
訳も分からずイライラして、鉛筆を放り投げた。
結局、帰って来た父に勉強を教わる気も失せてしまった。
その日から机に向かって勉強する事は無くなり、私の机はただの物置きになった。
★
母の入院が決まる少し前。
変わらず私は授業もそっちのけで物の名前や形を考え続けていた。
三年生になって授業は大分進んでいたのだが、私は全く何も聞いていないし見ていなかった。
算数の授業中だった。
先生に急に「高木、この問題わかるか?」と言われてハッとした。
名指しで呼ばれて立ち上がったが、何が何だか分からない。
「えっ……と、時間が…30分?で……、1?キロメートルだから……、3?2?回で………えっと……」
分かりませんと何故だか言えず黙りこくってしまったら、クラスに爆笑が起こった。
下を向く私に「うん、高木、言いたい事は大体分かるんだけどな、ちゃんと授業聞こうな」と先生も笑いながら言う。
座っていいと言われて注目からは外れたけれど、恥ずかしくて堪らなかった。
完全に落ちこぼれになっていた。
暫く、
自分が全く授業を聞いていなかった事。
授業の内容がさっぱり分からない事。
みんなに笑われた事。
が恥ずかしくて、また授業中先生に指されて答えられなかったらどうしようとビクビクする様になった。
ただ、やっぱりこのままではマズいと思い、家で勉強を始めた。
しかし教科書やノートを見ても何が何だかさっぱりだった。
そりゃそうだ、授業を聞いていないしノートに何も書いていないのだから。
どうしても問題の意味も答えも分からないので、「そうだ!お母さんに教えてもらおう!」と居間にいる母に声を掛けた。
★
私の通っていた小学校は二年毎にクラスの組み替えがあった。
二年生までは女の先生だったが今度は男の先生に変わった。
仲の良かった男子達とも大半が別のクラスになってしまい、休み時間はまたほとんど一人で過ごす様になった。
一人でいるようになったのには他にも理由があった。
三年生になってから男女を異性として回りの子達が意識し始めたからだ。
いつの間にか男子と女子が一緒にいるだけで「○君は○ちゃんが好きなんじゃないか」など噂が立つようになった。
そんな事にしばらく気付かなかった私は、前の様に男子の側に寄っていったのだが、男子達側が私が近付くのを嫌がった。
それでも中には相変わらず私と仲良くしてくれた男子もいたが、やっぱり噂になってしまい、自然と遊ぶ事は減っていった。
その頃、母の二度目の入院が決まった。
★
二年生の間、何をしていたか覚えていない。
ただひたすら、みかんやりんごや黒板、テレビ。机にイス。
他にも沢山の物の名前や形の事ばかり考えていた。
ひとつだけ覚えている事がある。
学校での事では無いのだけれど、父に連れられて遊園地に行った時の事だ。
遊園地で遊んだ帰り道での出来事。
閉園時間が近付いて、父と駅までの道を歩いていた。
結構な人がいるなか、大学生らしき二人組が突然ケンカを始めた。
胸ぐらを掴みあって大きな声をあげていたのだが、そこに父が割って入った。
「お前達、こんな所で喧嘩なんかするな!やるなら向こうの見えない所でやれ!回りの迷惑だ!」
そう言って父はケンカを止めてしまった。
私はその時に正直(お父さんってカッコいい……)と思った。
この時の父の行動は後の私の行動原理(と言うとおおげさかも知れないが)となる。
今でも私はお節介な所があるのだが、あの時の父の姿が忘れられない。
「あの父の血を引いてるんだ」と思うと、つい動いてしまう。
それだけあの時の父は本当にカッコ良かった。
★
いくら考えても何故みかんはみかんでりんごではないのか分からなかった。
ある日。
休み時間に先生の回りに女子が集まって楽しそうに話をしているのを見て、(今なら先生に聞けるかも)と思い、談笑している中にそろりと入った。
「あの……先生……」
おしゃべりをしていた女子達と先生が「なんだ?」と言った感じで私を見る。
「あの……どうしてみかんはみかんなの?りんごじゃダメなの?」
一瞬、間を開けて女子達に大笑いされた。
「あははは!アッキー変なのー!そんなの当たり前だよー!」
「え……でも、みかんじゃなくてりんごでもよかったんじゃ……」
「みかんがみかんって、そんなの当たり前じゃん!なに言ってるのー?変だよー!」
あははは、と女子達はまたひとしきり笑って、私に背を向けて別の話をし始めた。
私が質問している間、先生はただ微笑んでいるだけで答えを教えてはくれなかった。
聞きに行くのに結構勇気がいったのに、女子達に笑われたのはショックだった。
それに変呼ばわりされたのも。
(そんなに変かな……)
それからは(みかんはどうしてみかんなんだろう)という疑問を口に出さなかった。
(だれかに言ったらまた笑われる)
笑われるのも、変と言われるのも嫌で、ただただ一人、頭の中で考え続けた。
前よりもっと話さなくなった。
考えて考えて、でも分からなくて時間ばかりが過ぎて行った。
気付いたら三年生になっていた。
★
一年生の三学期も半ばを過ぎた。
先生に絵の件で酷く怒られてから、恐怖と緊張で身体がガチガチになりならがも、ぼんやりと思っていた事があった。
それは「みかんはなんでみかんって言うんだろう」と言う事だった。
何故みかんはみかんと呼んでいるけれど、りんごじゃ駄目なのか。
他にも教室の黒板を見れば「どうして黒板は黒板って呼ぶのかな。他の名前じゃなんでダメなんだろう」
吊り下げられたテレビを見ては「テレビはなんでテレビって言うのかな」
しまいには「どうして机の角は四角いんだろう?」とまで考える様になっていた。
相変わらず授業の内容は頭に入って来なかったけれど、そんな事ばかりをずっと考える様になっていた。
★
帰りの会が終わってみんな教室からぞろぞろと出て行く。
私以外の生徒全員がいなくなるのを確認した様子の先生は
「高木さん、こっち」と、教員用のイスに腰かけて言った。
(やっぱり賞かな??)とドキドキしながら座っている先生の前に立った。
「高木さん!!なんでこんな絵にしたの!!書き直してきなさい!!」
…………???
いきなり怒鳴られた。
先生は凄く怖い顔で私を怒り続けた。
「みんなはちゃんとお友達を何人も書いているじゃない!!どうして女の子一人しか書かないの!!」
他にも何か言っていた気がするが怖くてよく覚えていない。
「明日までにちゃんと書き直して持ってきなさい!!」
とまた書き直しを命じられてその日は帰らされた。
帰り道、頭の中はいつも以上に真っ白になっていた。
描き直しを強要されたのもショックだったし、先生のクラス全員の前での態度との違いにびっくりした。
あんなに人に怒鳴られたのは初めてだった。
よく分からなかったけれど、とてもとても傷ついた様な感じがした。
その日の内に元の絵の女の子の周りに更に女の子を二人描いて、適当に色を塗った。
次の日に先生の所へ絵を持っていった。
先生は暫く何も言わずに絵を見ていたが「……まぁ、いいでしょう」と小さな声で言った。
前日の様に誉められる事は無かった。
前以上に緊張と恐怖でガチガチの日々がまた始まった。
★
翌日になっても3日目になっても思った様に描けない。
何度も何度も下書きを描いては消した。
(どうしよう……どうしよう)
段々と焦りが強くなる。
4日目。
(もう無理だ!)
かくれんぼやケイドロを描くのを諦めよう!と決めた。
じゃあ何を描くか?
パッと頭に浮かんだ物があった。
(ブランコ!!)
そうだ!ブランコを描こう!!
自分的に世紀の大発想並のアイディアだと思った。
幼稚園児の頃、一人で帰り途中に寄った公園でブランコに乗るのが好きだったし、漕ぐのも小学生の今だって得意だ。
何よりブランコを描いちゃうなんて、絶対絶対すごいことだ。
きっと他のみんなは男の子や女の子を並べて描くだけで、ブランコを描く子なんていない。
私ってすごい!!
そうと決めたら一直線と言った感じで、下書きを描いては消しすぎてクシャっとなった画用紙にブランコを描き始めた。
ブランコは思っていたより簡単に描けて余計に、自分すごい!!と自画自賛する。
そしてブランコの横に女の子を一人立たせる事にした。
色を塗って完成!!
すばらしい出来映えだと自信満々で、次の日その絵を先生に渡した。
思っていた通り、私はクラス全員の前で先生に誉められた。
色使いも良いしブランコも上手に書けていますね
隣にいる女の子もちゃんと書けていて良いですね
その時初めて先生に誉められたと思う。
もの凄く嬉しかった。
その日の授業が終わって帰る支度をしていたら、先生に「高木さん、ちょっとお話があります、残って下さい」と声を掛けられた。
(……もしかしたらあの絵がなにか賞をとっちゃったりするのかな??)
一人教室に残ってドキドキした。
★
三学期に入ってかくれんぼブームが落ち着きを見せた頃、絵を描く宿題が出た。
先生の出した絵の課題は【遊んでいるところ】だった。
クラス全員に真っ白の画用紙が配られ、一週間の内に描いて先生の所へ持って来る様に、と言われた。
何を描くか考えた。
かくれんぼやケイドロにしよう、と思ったのだがなにぶんいつも参加する人数が多い。
何人も描くのはめんどくさく感じた。
しかも私は男の子を上手に描く自信が無かった。
実際に下書きとして何人か男の子を描こうとしたが、みんな女の子の顔になってしまう。
お絵かきは幼稚園の頃から好きだったが、描いていたのはいつも何故かお姫様か動物ばかりだった。
困った。
どうしよう、描けない。
男の子が女の子だと女の子になってしまう。
うーん、困った………。
★
秋になりそろそろ寒くなってきて、放課後のかくれんぼのメンバーが少しずつ減っていった。
それでもブームはまだ続いていて、風邪を引いてマスクを着けながらでもかくれんぼに参加する強者も中にはいた。
私も大分隠れるのが上手くなっていて、時には小学校の体育倉庫の屋根の上に登ったり、プールの更衣室の屋根に登ったり、とアチコチ登って隠れていた。
学校の休み時間だと短いので、お昼休みの間はケイドロ(ドロケイと呼ぶ子もいた)も流行り始めた。
私はかくれんぼにもケイドロにも奮って参加した。
やっぱりアチコチ登っていた。
ケイドロに参加するメンバーには女子もいた。
どこに隠れようか迷っている女子を見付けた時には、こっそりとその子達を呼んで、こんな良い場所がある、と体育倉庫の屋根に一緒に登ったりした。
だからと言ってその女子達と仲良くなれた訳でもなかった。
ケイドロ以外ではやっぱり女の子と関わる事もほとんど無く、友だちは男子だけだった。
★
毎日のように男子達と遊んでいた。
二学期、私達の間ではかくれんぼがもの凄く流行っていて、朝に目が覚めると一番に(今日はどこにかくれよう)と一人で作戦を練ったりしていた。
友だちと外で遊ぶのはとても楽しかった。
授業が終わって家にランドセルを置いてからまた小学校に集まって、飽きもせずに夕方近くまでみんなでかくれんぼをした。
母は夏休みの間に退院して家に帰って来ていた。
病院から戻って来た母は家から出られなくなっていた。
居間の電気は点ける様にはなったが、また雨戸を閉めて家に閉じ籠っていた。
母はもの凄く外や人を怖がった。
家の目の前のゴミ捨て場にゴミを出しに行く事も出来ないし、新聞の集金のおじさんに会うのも嫌がった。
スーパーなど行ける訳もなく、相変わらず夜勤帰りに父が買い物をして帰って来る。
いつの間にかゴミ捨てや、新聞や家賃の支払いなどは私の係になっていた。
外へ遊びに行こうと準備をしている途中で母に「今日は集金のおじさんが来るから家にいて」とたまに言われる。
内心母に対して(なんでそんなこともできないの!?)と思っていたが口には出さなかった。
かくれんぼに行けなかったのはとても残念だったけれど仕方ない。
母にお金(ハンコも)を用意してもらって、集金のおじさんが来たらそれを渡していた。
かくれんぼブームは三学期の半ばには終わってしまったが、母の閉じ籠りはその後、十数年間続く事になる。
★
二学期に入ってから数人の友だちが出来た。
全員男子だ。
その頃には青い絵の具箱についてからかってくる奴は誰もいなくなっていた(一学期の内は少しの間、女なのにと言われた)。
何故か女子の友だちは出来なかった。
休み時間になると授業中の極度の緊張の反動だったのか、男子達と学校中を走り回った。
追いかけっこをしたり、かくれんぼをしたり、更には登ったらいけないと言われている大きな杉の木や桜の木に登って遊んだ(勿論先生に怒られた)。
男子達と外で遊ぶのが多くて休み時間に教室にはほとんどいなかった。
同学年の女子が外遊びをしているのは余り見かけた覚えが無い。
幾つか上の学年のお姉さん達が縄跳びやゴム段をしている程度で、女子は大体教室や体育館で遊んでいた様だった(これは後で知った)。
私はいつの間にか「アッキー」と呼ばれる様になった。
名前の亜紀から付けられたあだ名は大人になった今でも変わらなくて、昔からの友人にはまだそのままで呼ばれている。
休み時間になると仲の良くなった男子達に「アッキー、校庭いこー!」と声を掛けられ、すぐに席を立った。
女子達が何をしているか、どんな風に遊んでいるのか知らなかったし興味も全く湧かなかった。
毎日毎日、お休みの日まで男子と遊んでいた。
★
小学校に上がって数ヶ月経っても私の緊張は全くと言っていい程取れなかった。
授業中、自分の席で固まっていた。
(うごいちゃいけない。うごいちゃいけない。)
頭の中はそればかり。
授業はそこそこ進んでいたが全然聞こえなかった。
(うごいちゃいけない。うごいたらおこられる。)
ずーっとそれだけ考えていた。
教科書を開いていても黒板を見ていても、何も頭に入って来なかった。
他からしたらただぼーっとしている様にしか見えなかったと思うが、冷や汗を背中にかく程に緊張していた。
誰も私のそんな様子に気付いてはいないようだった。
そういう感じで時間はどんどん過ぎて行って、一学期が終わったと思う。
友だちは出来ていなかった。
夏休みはほとんど一人でか父や兄と遊んでいた。
★
二週間ほど後、教室に青とピンクの絵の具箱が沢山届けられた。
教卓の上に積まれた箱を、先生が男子から名前順に呼んで一人ひとりに手渡していく。
男子が受け取ったのは全て青色だった。
ピンクの箱を手にした男子は誰もいなかった。
次に女子がやはり名前の順に呼ばれる。
私の名前が呼ばれるまでに14人。
それまでやっぱりと言うか全員ピンクの箱を受け取る。
「高木さん」
名前を呼ばれて教卓へ向かう。
クラスにざわめきが起こった。
先生が私に絵の具箱を手渡しながら、
「高木さん、これで良かったの?」と聞いて来た。
はい、も、うん、も言わずに首だけ縱に振る。
絵の具箱を受け取って自分の席に戻る途中で、クラスの男子誰かが
「高木さん女なのに青なんて変なのー!!」
と、大きな声で言った。
またクラス中がどよめく。
何も言わずに席に着いた。
腹の中では、
(女なのにってそんなの関係ないじゃん!!)
と、ムカついていたが、それよりも念願の青い絵の具箱を手に入れられた嬉しさの方がムカつきよりも何倍も上だった。
結局女子は私以外全員ピンク色の絵の具箱だった。
青色の絵の具箱を撫でたり擦ったりとニコニコしていた女子は私だけだった。
★
緊張やら不安やらでガチガチの中、これだけは絶対にする!と決めていた事があった。
絵の具箱の注文だ。
授業準備期間は一週間程度だったと思うが、その間に色々と物を揃える為の書類も配られた。
その中に絵の具箱の注文書もしっかりあった。
先生が「お家の人に書いてもらって学校に持って来て下さい」と言っていたので、帰ってすぐに父に注文書を渡す。
書いて貰ったのは名前、クラス、出席番号のみ。
父に「ここは書かなくていいみたい」と嘘を付いた。
色指定の欄だ。
翌日の朝、学校で注文書の色指定の欄に
【あお】
と自分で書いて先生に渡した。
渡す時ドキドキが止まらなかった。
運良くその場で確認されなかったので、
(やった!!)と心の中で叫んだ。
★
小学校に通い始めた。
勿論あの嫌いな赤いランドセルを背負って。
入学して暫くは授業の為の準備などで忙しかった。
みんなそうだったのかも知れないが、初めての自分の机やイス、大きな黒板、天井から吊り下げられているテレビに驚いた。
配られた教科書も中を見ると沢山の言葉や絵が書かれていて、幼稚園で見ていた紙芝居や絵本と全然違うのにもびっくりした。
(小学校ってこんななんだ)と、ドキドキと緊張が凄かった。
不安感も強かった。
授業中は自分の机でイスに座ってじっとしていなければいけない、と担任の先生が言っていたからだ。
(じっとしてるなんて出来るのかな……)
幼稚園では自由気まま、いや、自分勝手に動き回って先生にいつも怒られていた私だ。
怒られても好き勝手をやめなかったので、小学校のシステムに自分が合わせられるかどうか不安だった。
(だって小学校の先生ってすごくこわいってだれか言ってた………)
どんな風に怒られるのか想像も付かなくて、怖くて怖くて毎日身体はガチガチだった。
★
(??からかわれる?)
黒のランドセルをカッコいいと言われるなら分かるが、からかわれるってなんで??
女の子だからと言って赤でないといけないなんて決まってないはずだ。
私は店員さんを無視してまた黒いランドセルをいくつか触ったり中を開けて見ていた。
その間父は暫く考えていた様だが、私に「やっぱり赤がいいんじゃないか?」と言ってきた。
「えっ?嫌だよ、黒いのがいい!」
「だけど赤の方が女の子らしいだろ?」
店員さんがうんうん、といった感じで頷く。
「それにからかわれるの嫌だろう?」とも言う。
「やだ!絶対黒いのがいい!」とまた答えたが、「亜紀、赤色のにしておきなさい。」と父。
何度も黒!と言ったのだが聞き入れて貰えなかった。
結局赤いランドセルを買う事になってしまった。
店員さんにも勿論だが、父にも(黒でもいいって言ってたのに!!)と腹を立てながら家に帰った。
★
時間が少し戻るのだが、卒園式より前、父とデパートにランドセルを買いに行った。
私は最初から欲しい色が決まっていた。
赤ではなく黒いランドセルが欲しかった。
赤より黒の方が断然カッコいい。
デパートの入口すぐに小学校入学準備の特設コーナーがあり、沢山のランドセルが棚に並んでいた。
私は黒いランドセルを手に取って「これがいい!」と父に言った。
「赤じゃなくていいのか?」と父に言われたが「絶対これ!」とランドセルを抱き締める様にして答えた。
同じ黒でもいくつかの種類のランドセルがあったので、父と吟味する。
暫く見ていると店員さんが近付いて来て話し掛けられた。
「お決まりですか?」と声を掛けられ父が「はい、この黒の……」と答えると、店員さんが「えっ!?」と驚く。
(??)と思った。
父も同じ様に思った様だった。
店員さんが話し出す。
女の子ならやっぱり赤色がいいと思いますよ
女の子で黒をお買い上げになられるお客様はほとんどいらっしゃいませんし
少し早口にそんな事を言っていたが、それでも私は黒がいいと父に言った。
父も「いえ、この子が黒が欲しいと言っているので……」と言うと、更に店員さんはこんな事を言った。
女の子で黒いランドセルですと学校でからかわれたりしますよ
★
結局3ヶ月ほど不満を抱えながら、そのまま卒園式を迎えた。
まだ母は入院していて、卒園式には父が休みを取って来てくれた。
子供の頃のアルバムに式の写真が貼ってあるのだが、並んでいる保護者で男性は私の父ひとりだけだった。
今思うと本当に父は私の為に頑張ってくれたんだなぁ、と思う。
ただこれは後に聞いた話だけれど、父は兄に暴力を振るっていたらしい。
私が生まれる前の事だった様だが、兄を野球のバットで殴ったりした事もあったそうだ。
私にその話をした兄は口癖の様に
「いつかオヤジを殺してやる」とよく言っていた。
父も兄も大好きだったから悲しかったし怖かった。
因みに兄と私は12才離れている。
これも兄に後になって聞いたのだが、兄は中学生の頃、胃潰瘍になったらしい。
兄が学校に行っている間に父や母が私を殴ったりして殺してしまうのではないかと心配で堪らなかったそうだ。
そのストレスから体調を崩し、内科に一人で行ったら胃に穴が開いていると言われ、薬を飲んでいたのだという。
兄も色々ととても辛い思いをしていた様だった。
★
最初の内は父が幼稚園へ送り迎えしてくれるのが嬉しくてたまらなかった。
帰り道、スーパーに寄って買い物をして帰る。
時々だったがスーパーのフードコーナーでたい焼きやアイスを買ってもらって食べたりもした。
もう家に帰ってもいつも険しい顔の祖母も口ばかり立派な叔母もいない。
やっと安心出来る様になった気がした。
ただ、父は夕方になるといなくなってしまう。
転職の事など全く分からなかった私は「行かないで」と泣いては父を困らせた。
暫くはそんな日々が続いたのだが、段々と慣れて来たと言うか不満を感じる様になってきた。
朝、幼稚園に送ってもらえるのは変わらず嬉しかったけれど、帰り道に公園や公民館で遊べなくなったのがつまらなく感じ始めた。
勿論たまのたい焼きやアイスは魅力的だったけれど、いつしかそれにも贅沢な事に慣れてしまい、スーパーに行くのも面倒になってきた。
今でもだけれど本当に我が儘な子供だった。
★
私はその言葉に大きなショックを受けた。
何も言わずにまたさらに父の後ろに隠れた。
「恥ずかしいのかな?」と、ふふ、と母が笑う。
結局その日は母とは一言も話さずに帰る事となった。
いまいちよく覚えていないのだが、私は泣かなかったと思う。
帰り道に何か話したかどうかも分からない。
お見舞い後の記憶がほとんど無いのだけれど、やっぱり母が私の事を忘れていたのを(どうして?)と思ったのは確かだ。
祖母と叔母は一ヶ月近く私の家にいた。
その間に父が転職をした。
父は元は東京の商社に日中勤めていたのだが、転職したのは夜間の大きなお弁当工場だった。
朝の6時頃に父が帰って来て私を自転車で幼稚園に送る。
昼の内に寝て幼稚園が終わる時間に迎えに来て、夕方から工場へ仕事に出る。
夜は兄と私の二人きり。
そんな日々が始まった。
★
母が入院してから数週間が経った。
結局どんな病気で、どこの病院に入院しているか誰も教えてくれないままだった。
祖母と叔母はまだ私の家にいたのだが、初めて父も含めて4人で母のお見舞いに行く事になった(兄は何故か来なかった)。
どこをどう歩いて着いたのか覚えが無いが、見た目結構大きな病院で、中の待合室は薄暗くてなんだか雰囲気も悪かった。
父が受付らしき窓口から帰ってきて、3階だか2階だかへ階段で上がる。
やたらと重そうなドアを内側から開けてもらって病棟内に入った。
待合室と違って中は明るかった。
ただ何か妙な感じがした。
中にいる人達が壁に向かって一人で話していたり、持ってもいないバイオリンを弾いている人もいた(今で言うならエアバイオリンだろう)。
急に声を掛けてきた人もいた。
何を言っていたかは忘れてしまったが、同じ事を何度も繰り返し質問された。
逃げる様に離れた。
(ここ、なんなんだろう……)
一番奥の病室に父達に連れて行かれる。
端っこの窓のすぐ横のベッド。
そこに母はいた。
★
幼稚園側には母の事はすでに連絡が行っていた様で、最後になるまで教室にいる私に特に何も言ってはこなかった。
少しイラついていた事があった。
母の入院から暫く、祖母と叔母は私の家に泊まっていた。
それなのに「幼稚園までの道が分からないから」と言う理由で私は一人で通園させられたからだ。
幼稚園までは子供の私の足で15分程度の距離だったのだが、結局めんどうなだけなのだろうと思った。
そういう人達なのは前から気付いていた。
もうなんだかあの人達の事は色々どうでもよく感じて、帰り道は好き勝手する様になっていった。
幼稚園から家までの途中にある大きな公園の遊具で遊ぶ。
家の側の公民館に入り、置いてある大型のテレビを見たり、館の中をあちこち探検したりした。
特に公民館には無料の水飲み機があったので、まだ今の様に水筒など持ち歩かなかった当時は「こんなに冷たくておいしい水がタダ!」と嬉しくて何度も水を飲んだ。
毎日毎日そんな感じで、家に帰るのは空が赤くなる頃だったけれど、祖母も叔母も怒る訳でも心配する訳でもなさそうだった。
(おばあちゃんもおばさんも、なんでうちにいるんだろ?)
口には出さなかったけれどいつも思っていた。
★
仕方ないので祖母と叔母に連れられて近所の蕎麦屋に向かう。
その間、何度も「おかあさんは?」や「とおくってどこ?」と聞いたけれど祖母も叔母も教えてくれなかった。
蕎麦屋に着いたはいいけれど、お腹はちっとも空いていなかった。
祖母が私には何も聞かずにざるそばを三枚勝手に注文する。
また「おかあさんは?」と言ったら、叔母が「おそばを全部食べたら教えてあげるから」と言う。
目の前に注文したざるそばが置かれた。
ざるそばは大人の人が食べる量だった。
それでも母に何があったか知りたかった私は、飲み込むようにざるそば一枚を何とか全部食べた。
食べ終わってすぐに
「おかあさんどこにいったの!?」
と聞くと、祖母は
「本当にこの子は父親そっくりだ!!」
と叫ぶ様に言った。
叔母が他にも色々と口汚く騒ぐ祖母に何か言っていたけれど、私は祖母の急な癇癪に驚いてしまった。
暫くして祖母は騒ぐのを止めたが、物凄く恐い顔をしたままだった。
叔母がゆっくりと話し出す。
お母さんは病気になってしまったの
少しの間病院にお泊まりする事になったの
寂しいかもだけどお母さんはちゃんと帰ってくるから、それまで待てるよね?
それだけ聞いても何がなんだか私にはさっぱり分からなかった。
けれどそれ以上何か聞いたらまた祖母が怒るんじゃないかと思い
「うん……」
とだけ答えた。
飲み込んだお蕎麦を吐きそうになったけれど、それも我慢した。
★
道に迷わずに無事に家の前に着いた。
(あ、いえのカギもってない)
そう思ったけれど母は家の中にいるだろうし、とドアノブを回したら鍵は掛かっていなかった。
(やっぱりいえにいたんだ)とドアを開けて中に入った。
「……おかーさーん?」
居間の扉が開いた。
出て来たのは遠方に住んでいるはずの祖母と叔母だった。
「亜紀ちゃんお帰り」
叔母さんが私に言う。
(なんでおばあちゃんとおばさんがいるんだろ?)
「あ……おかあさんは?」
ただいまも言わずに聞いた。
「亜紀ちゃんお腹空いてない?何か食べに行こうか」
私の質問には答えずに叔母が話す。
「お腹すいてないよ、それよりおかあさんは……」
「お母さんね、ちょっと遠くに行く事になったの」
それまで祖母は黙ったままだったけれど、急にイライラした様な感じで、
「いいから蕎麦でも食べに行くよ!!」
と大声を出した。
★
それでも母はなんとか私の幼稚園への送り迎えだけはしてくれていた。
朝家を出る時も帰って来てからも家の中は真っ暗で、電気も母は点けなかった。
それが怖くて暗い台所から逃げる様に外に遊びに出たり、唯一電気を点けても怒られない玄関横の階段で一人で遊んだりしていた。
ある日。
さようならの挨拶をして帰る時間になっても母は現れなかった。
みんなが嬉しそうに自分のお母さんの所へ走っていくのを見ていた。
(あれ……?)と思った。
(お母さん、どうしたんだろ……?)
30分。1時間。それ以上だろうか。
待っても待っても母は来なかった。
みんなとっくに帰ってしまい、私は最後の一人になっていた。
(なにかあったのかな?)
初めて一人で家に帰った。
★
父と母は私が幼稚園に入る前から喧嘩ばかりしていた。
一番古い記憶として残っているのが、私と歳の離れた兄がいるすぐ隣りの部屋で
母「女がいるんだろ!」
父「お前はキチガイだ!」
と大声で罵り合っているものだ。
その時、兄がそっと私の耳を手でふさいでくれたのを覚えている。
私が産まれる前から、父はお給料を家にまともに入れていなかったらしい。
私が成人を過ぎてもその事で母はずっと愚痴を垂れていたので、金銭的によっぽど酷い状態だったようだ。
幼稚園年長組に上がって暫く経ってから、母の様子がおかしくなった。
いつも家中の雨戸を閉めきり、台所でブツブツと良く分からない独り言を言う様になった。
ある日には「台所の窓から人が見てる!ほら!あそこ!」と、窓を指差してパニックをおこしたりもした。
勿論誰も窓から覗いてなどいない。
「だれもいないよ」と言っても、
「見てるじゃない!」と聞く耳を母は持たなかった。
段々と母は薄暗い家の中に閉じこもる様になった。
★
警察官が振り向く。
「??」
「………あ、…………ッ………」
声が上手く出てこない。
「?どうしたのかな?」
「………あ…ぅ…………」
「???」
警察官が眉を歪めて私を見下ろす。
なんと言えばいいのか分からない。
(……男の…………人、に?が?………)
(ど、………う、言ったら…………)
「……………………」
言葉が浮かんで来ないのと、声が上手く出なくて下を向いて黙ってしまった。
ここで私の記憶が途切れる。
この後、あの男の人がどうなったのか。
警察官はどうしたのか。
私はどうやって家に帰れたのか。
記憶からその後起こった事が抜け落ちてしまった。
14才のあの日に、とある人物が切っ掛けでこの時の全てを思い出す事になるのだが。
★
○△神社に着いた。
(##くんち、どこかな)
○△神社の回りは割と閑静な住宅街だ。
日曜日なのに人気も無く、○△神社で遊んでいる子供もその日はいなかった。
暫く神社の近くの家々の表札を見て回ったが##くんの苗字の札が中々見つからない。
30分程ウロウロとしていたら住宅と住宅の間に小路を見つけた。
(このおくかな?)
小路に入る。
20メートル程進むとポストがあり、そこに##くんの苗字が書いてあった。
(見つけた!)
また更に奥へ進む。
##くんの家らしき、少し大きめの木々に囲まれたお洒落な家が建っていた。
(……??あれ?)
その家の玄関らしいドアを見ると可笑しな事に気付いた。
★
そんな頃、##くんという男の子と少し仲良くなった。
##くんは私の園庭での木登りを見て「すごい!すごい!」と誉めてくれた、同じ園の子だった。
いつも一緒だった訳では無かったが、たまに二人で木に登る様になった。
##くんと杉の木のてっぺんで、あそこに見えるのはどこどこで~とか、あっちは誰々ちゃんの家の方で~など、他にも色々話をした。
ある日、##くんは杉の木の上で
「ぼくの家ね、○△神社のすぐそばなんだ~。ほら、あっちの方だよ」
と教えてくれた。
○△神社は境内に小さな遊具が幾つか置いてある神社で、たまにだけれど私一人で遊びに行っていた場所だった。
「へー、じゃあ○△神社で遊んだりしてんの?」
と聞くと、##くんは
「ぼく、お友だちあんまりいないから、家で遊んでばっかりなの」
と、少し淋しそうな顔で言う。
「そっかぁ……、じゃあさ、こんど##くんち行って遊んでいい?」
「えっ!?ほんと!?うん!うちきて遊ぼう!!」
「うん、じゃあ遊びにいくね!」
「わぁー!ぜったいきてね!!」
##くんはすごく嬉しそうだった。
そんな##くんを見て私も嬉しくなった。
★
お姫様にはちっとも興味が湧かなかった。
閉じ込められた塔の窓から「助けてー!」と叫ぶだけでロクに戦おうとも何ともしない奴に魅力なんて少しも感じ無かった。
フワフワのドレスもブロンドの長い巻き髪も羨ましいと思わないし、王子様の風になびくマントやキリリとした顔の方がずっと良い。
目指す物が決まった気がした。
年長組になっていた私は翌日からすぐに行動に出た。
幼稚園の使われていない、いつもシャッターの降りている薄暗いガレージに、これまた使用されていないボロボロのソファ(何故あったのかは分からない)を幾つも運び込む。
どう声を掛けたか全く覚えていないが、話に乗って来てくれた佳苗ちゃんと「王子様とお姫様」と題して、ガレージで二人舞台を始めた。
勿論他の園児達を無理矢理引っ張って来て見てもらった。
内容は……
佳苗ちゃん「王子様!」
私「姫!」
上手と下手からお互いに駆け寄り、抱き合って熱いキスをする。
………おわり
これだけ(笑)
こんな内容なのに観客の園児達には大好評だった。
目の前でぶっちゅ~う、と本当にするキスにみんな興奮していたみたいだ。
公演(笑)は一ヶ月程、毎日続いた。
暫くたってさすがに「王子様!」「姫!」ぶっちゅ~う、にもみんな飽きたのか集客率も悪くなり、やむ無く千秋楽を迎える事となった。
ソファを片付けるのが面倒だった。
何故だか先生方に怒られる事は無かった。
★
幼稚園入園式直後に転んで左手の指にひびを入れてしまった。
病院の先生から暫く幼稚園を休む様に、と言われ自宅療養する事になった。
療養と言っても左手が包帯ぐるぐる巻きで使えないだけだ。
落ち着きの無かった私は家中を走り回ったり、二階のベランダから玄関の屋根に飛び降りたりと暴れてばかりいて、まるで野生の猿の様だった。
なので怪我が完治するのに三ヶ月近く掛かってしまった。
その間は殆んど家の中にしかいなかったので、同年代の子達と遊ぶ事はおろか話もしなかった。
やっと幼稚園に通える様になった頃には回りの子達(特に女の子)は既にグループの様な物を作っていた。
足掛けゴム段やらなんやらしている子達を見て(私もやってみたいな……)とぼんやり思ったけれど、どうその子達に話し掛けていいのか分からなかった。
と、言うか言葉が頭に浮かばなかった。
三ヶ月程の間、まともに人と話をしなかったためか、コミュニケーションの取り方が全く分からなかったし、話し方すらも分からないと言うより知らなかった。
今でも人と接するのが難しく感じたり、話し下手口下手なのは多分この頃からだったのだと思う。
頭の中は空っぽで自分の半径数メートル程度しか見えていなかった。
本当に人間界に迷い込んだ猿みたいだった。
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