子供の頃の話

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2022/02/18 06:09(更新日時)


「バイブ届きました」の主・高木亜紀の子供の頃の話を書いていきたいと思います。




※いじめ、犯罪行為、精神疾患、性的なシーン等ありますので苦手と思われる方にはスルー推奨させて頂きます。



※日記「バイブ届きました」の内容と重複するレスがありますのでご注意下さい。



18/04/04 01:58 追記
※人物名、地名、建物名等を除いてほぼノンフィクションです。


No.2623861 (スレ作成日時)

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No.1

ゆっくり書いていきます。

最後まで書けるといいな。

No.2



幼稚園入園式直後に転んで左手の指にひびを入れてしまった。

病院の先生から暫く幼稚園を休む様に、と言われ自宅療養する事になった。

療養と言っても左手が包帯ぐるぐる巻きで使えないだけだ。

落ち着きの無かった私は家中を走り回ったり、二階のベランダから玄関の屋根に飛び降りたりと暴れてばかりいて、まるで野生の猿の様だった。

なので怪我が完治するのに三ヶ月近く掛かってしまった。

その間は殆んど家の中にしかいなかったので、同年代の子達と遊ぶ事はおろか話もしなかった。

やっと幼稚園に通える様になった頃には回りの子達(特に女の子)は既にグループの様な物を作っていた。

足掛けゴム段やらなんやらしている子達を見て(私もやってみたいな……)とぼんやり思ったけれど、どうその子達に話し掛けていいのか分からなかった。

と、言うか言葉が頭に浮かばなかった。

三ヶ月程の間、まともに人と話をしなかったためか、コミュニケーションの取り方が全く分からなかったし、話し方すらも分からないと言うより知らなかった。

今でも人と接するのが難しく感じたり、話し下手口下手なのは多分この頃からだったのだと思う。

頭の中は空っぽで自分の半径数メートル程度しか見えていなかった。

本当に人間界に迷い込んだ猿みたいだった。


No.3



幼稚園に通い始めてからも、基本私は一人だった。

年少組の頃は回りの子に話し掛けられた覚えが殆んど無い(これは私が忘れているだけかも知れないけれど)。

とにかくどこに行くのも何をするのも一人でだった。

話さなかったからなのか、影も物凄く薄かったのだと思う。

実際「はないちもんめ」に参加させて貰っても一番最後まで残る様な奴だった。

だからと言って寂しいとか悲しいとかも特に感じず、休み時間になると園庭にある杉の木に一人で登って遠くを見ていたりした。

やっぱり猿だった。


No.4



私の中に自我の様なものが芽生えたのは、母に連れられて行ったアニメ映画を見てからだと思う。

タイトルは忘れてしまったが、悪人に囚われたお姫様を助ける為に王子様が剣を振るって戦う内容の物だった。

(なんてカッコいいんだろう!)と夢中になって映画を見ていた。

興奮が収まらなかった。

剣と剣を交えて悪人と戦う王子様。

勿論悪人は倒されて、塔から救い出したお姫様と王子様は熱いキスをしてハッピーエンド。

(私もあんな風になりたい!)と強く思った。

(強くてカッコいい王子様になりたい!)と。


No.5



お姫様にはちっとも興味が湧かなかった。

閉じ込められた塔の窓から「助けてー!」と叫ぶだけでロクに戦おうとも何ともしない奴に魅力なんて少しも感じ無かった。

フワフワのドレスもブロンドの長い巻き髪も羨ましいと思わないし、王子様の風になびくマントやキリリとした顔の方がずっと良い。

目指す物が決まった気がした。



年長組になっていた私は翌日からすぐに行動に出た。

幼稚園の使われていない、いつもシャッターの降りている薄暗いガレージに、これまた使用されていないボロボロのソファ(何故あったのかは分からない)を幾つも運び込む。

どう声を掛けたか全く覚えていないが、話に乗って来てくれた佳苗ちゃんと「王子様とお姫様」と題して、ガレージで二人舞台を始めた。

勿論他の園児達を無理矢理引っ張って来て見てもらった。

内容は……


佳苗ちゃん「王子様!」

私「姫!」

上手と下手からお互いに駆け寄り、抱き合って熱いキスをする。


………おわり


これだけ(笑)



こんな内容なのに観客の園児達には大好評だった。

目の前でぶっちゅ~う、と本当にするキスにみんな興奮していたみたいだ。


公演(笑)は一ヶ月程、毎日続いた。


暫くたってさすがに「王子様!」「姫!」ぶっちゅ~う、にもみんな飽きたのか集客率も悪くなり、やむ無く千秋楽を迎える事となった。

ソファを片付けるのが面倒だった。

何故だか先生方に怒られる事は無かった。


No.6



そんな頃、##くんという男の子と少し仲良くなった。

##くんは私の園庭での木登りを見て「すごい!すごい!」と誉めてくれた、同じ園の子だった。

いつも一緒だった訳では無かったが、たまに二人で木に登る様になった。

##くんと杉の木のてっぺんで、あそこに見えるのはどこどこで~とか、あっちは誰々ちゃんの家の方で~など、他にも色々話をした。


ある日、##くんは杉の木の上で
「ぼくの家ね、○△神社のすぐそばなんだ~。ほら、あっちの方だよ」
と教えてくれた。

○△神社は境内に小さな遊具が幾つか置いてある神社で、たまにだけれど私一人で遊びに行っていた場所だった。

「へー、じゃあ○△神社で遊んだりしてんの?」
と聞くと、##くんは
「ぼく、お友だちあんまりいないから、家で遊んでばっかりなの」
と、少し淋しそうな顔で言う。

「そっかぁ……、じゃあさ、こんど##くんち行って遊んでいい?」

「えっ!?ほんと!?うん!うちきて遊ぼう!!」

「うん、じゃあ遊びにいくね!」

「わぁー!ぜったいきてね!!」

##くんはすごく嬉しそうだった。

そんな##くんを見て私も嬉しくなった。


No.7



次の日曜日、ヒマだったので
「##くんのいえに遊びにいってみよう!」
と家を出た。

##くんの家に電話をして遊ぶ約束をするという考えが私には無かった。

この時にもし家にいた母に
「どこに行くの?誰かと遊ぶの?」
と聞かれていたら、あんな事にはならなかったかも知れない。

未だに私は思っている。

あの日、##くんの家に行かなければ良かった、と。


No.8



○△神社に着いた。

(##くんち、どこかな)

○△神社の回りは割と閑静な住宅街だ。

日曜日なのに人気も無く、○△神社で遊んでいる子供もその日はいなかった。

暫く神社の近くの家々の表札を見て回ったが##くんの苗字の札が中々見つからない。

30分程ウロウロとしていたら住宅と住宅の間に小路を見つけた。

(このおくかな?)

小路に入る。

20メートル程進むとポストがあり、そこに##くんの苗字が書いてあった。

(見つけた!)

また更に奥へ進む。

##くんの家らしき、少し大きめの木々に囲まれたお洒落な家が建っていた。

(……??あれ?)

その家の玄関らしいドアを見ると可笑しな事に気付いた。


No.9



(あれなんだろ?)

ドアノブにジャラジャラとした何か長い物がぶら下がっている。

ドアに近付いて見てみると鍵穴にキーが挿されていて、そのキーのアクセサリーの様だった。

(おうちの人がわすれてっちゃったのかな?)

どうしようかと迷った。

(……ぬいてポストとかにいれといたほうがいいかな?)

ただ、何ととなく、本物に何と無くだった。

(……さわらないほうがいいかな……)

キーに伸ばしかけた手を引っ込めて、

(帰ろう……)

と思い、ドアから少し離れた瞬間。

「!?」

その家の横の木の陰から突然男の人が現れた。


No.10



「…お嬢ちゃん何してるの?」

声を掛けられた。

(……おうちの人……かな……?)

「……あ……、えと……」

「今何しようとしてたの?」

男の人が近付いて来る。

何だか嫌な予感がして後ずさった。

「今これ触ろうとしてたでしょ」

男の人は直ぐ側まで来て

「……どろぼうしようとしてたの?」

(!?!?)

右手首を素早く掴まれた。

(違う!!)と言おうとしたけれど声が出なかった。

「中に入ろうと思ったんでしょ?」

手首を掴む男の人の力が強くて振りほどけない。

「……ち、ちが……」

何とか声を出したけれど(違う!)と最後まで言えない。

「ん?違うのかな?」


No.11



「……この家の子と遊びに来たのかな?」

男の人はそう言ったが手首は放してくれない。

「今日はここの子はいないみたいだよ」

「…………ッ…」

(放して!)と言いたかったがやっぱり声が出なかった。

「……おじさんが遊んであげようか」

そう言うと男の人は自分のズボンのジッパーに手を伸ばした。


No.12



男の人はジッパーを引き下げると空いている自分の左手をズボンの中に入れた。

赤黒い色のペニスがぼろん、とズボンから飛び出る。

(!!!)

咄嗟に顔を背けた。

右手首は掴まれたままだ。

「ほら、これ握ってごらん?」

頭の中はメチャクチャになっていて何が何だか解らない。

掴まれた手をペニスのそばに引っ張られる。

「ほら見て?美味しいよ。舐めてごらん?」

(………だ、だれか………だれかきて……)


No.13



「ほら、飴みたいにペロペロ舐めてみな?美味しいから。ほら!」

段々と男の人の語気が強まる。

ペニスを口元に近付けられた。

必死に顔を背ける。

「ほら!くわえてみな、口開けろよ!」

(……………!!……やだ、やだ…やだ…!!)


私と男の人がいたのは小路に入る表通りが見える所だった。

手首を掴まれる前に後ずさらなかったら、表通りからは見えない位置だったと思う。

(……だれか……だれか……!!)

顔を背けたのは表通り側だったが、誰も通らない。

「早く口開けろ!ほら!舐めろ!」

目をギュッと閉じた。口も。

(やだ!いやだ………!!)


No.14



(…やだ……やだ……!!)



フッ……と、掴まれた右手首が放された。

(!?)

目をそっと開ける。

顔を背けた側の表通りを警察官が一人歩いている。

だけれどこちらに気付いている様子はない。

男の人が「チッ!」と舌打ちを打つ。

ちらりと男の人を見ると両手でペニスを隠していた。



私は表通りに向かって走りだした。

途中、小路に敷かれた砂利に足を取られそうになったが、何とか転ばずに小路を抜ける事が出来た。

「……お!お、まわりさ、ん!!!」

通りを歩いている警察官を叫ぶ様に呼び止めた。


No.15



警察官が振り向く。

「??」

「………あ、…………ッ………」

声が上手く出てこない。

「?どうしたのかな?」

「………あ…ぅ…………」

「???」

警察官が眉を歪めて私を見下ろす。

なんと言えばいいのか分からない。

(……男の…………人、に?が?………)

(ど、………う、言ったら…………)

「……………………」

言葉が浮かんで来ないのと、声が上手く出なくて下を向いて黙ってしまった。




ここで私の記憶が途切れる。


この後、あの男の人がどうなったのか。

警察官はどうしたのか。

私はどうやって家に帰れたのか。



記憶からその後起こった事が抜け落ちてしまった。


14才のあの日に、とある人物が切っ掛けでこの時の全てを思い出す事になるのだが。


No.16



##くんとはいつの間にか遊ばなくなった。

私が避けたのか、##くんが私に構ってこなくなったのか、その辺もよく覚えていない。

ただまた私は一人に戻った。


No.17



父と母は私が幼稚園に入る前から喧嘩ばかりしていた。

一番古い記憶として残っているのが、私と歳の離れた兄がいるすぐ隣りの部屋で

母「女がいるんだろ!」
父「お前はキチガイだ!」

と大声で罵り合っているものだ。

その時、兄がそっと私の耳を手でふさいでくれたのを覚えている。



私が産まれる前から、父はお給料を家にまともに入れていなかったらしい。

私が成人を過ぎてもその事で母はずっと愚痴を垂れていたので、金銭的によっぽど酷い状態だったようだ。



幼稚園年長組に上がって暫く経ってから、母の様子がおかしくなった。

いつも家中の雨戸を閉めきり、台所でブツブツと良く分からない独り言を言う様になった。

ある日には「台所の窓から人が見てる!ほら!あそこ!」と、窓を指差してパニックをおこしたりもした。

勿論誰も窓から覗いてなどいない。

「だれもいないよ」と言っても、
「見てるじゃない!」と聞く耳を母は持たなかった。

段々と母は薄暗い家の中に閉じこもる様になった。

No.18



それでも母はなんとか私の幼稚園への送り迎えだけはしてくれていた。

朝家を出る時も帰って来てからも家の中は真っ暗で、電気も母は点けなかった。

それが怖くて暗い台所から逃げる様に外に遊びに出たり、唯一電気を点けても怒られない玄関横の階段で一人で遊んだりしていた。


ある日。

さようならの挨拶をして帰る時間になっても母は現れなかった。

みんなが嬉しそうに自分のお母さんの所へ走っていくのを見ていた。

(あれ……?)と思った。

(お母さん、どうしたんだろ……?)

30分。1時間。それ以上だろうか。

待っても待っても母は来なかった。

みんなとっくに帰ってしまい、私は最後の一人になっていた。

(なにかあったのかな?)

初めて一人で家に帰った。


No.19



道に迷わずに無事に家の前に着いた。

(あ、いえのカギもってない)

そう思ったけれど母は家の中にいるだろうし、とドアノブを回したら鍵は掛かっていなかった。

(やっぱりいえにいたんだ)とドアを開けて中に入った。

「……おかーさーん?」

居間の扉が開いた。

出て来たのは遠方に住んでいるはずの祖母と叔母だった。

「亜紀ちゃんお帰り」

叔母さんが私に言う。

(なんでおばあちゃんとおばさんがいるんだろ?)

「あ……おかあさんは?」

ただいまも言わずに聞いた。

「亜紀ちゃんお腹空いてない?何か食べに行こうか」

私の質問には答えずに叔母が話す。

「お腹すいてないよ、それよりおかあさんは……」

「お母さんね、ちょっと遠くに行く事になったの」

それまで祖母は黙ったままだったけれど、急にイライラした様な感じで、

「いいから蕎麦でも食べに行くよ!!」

と大声を出した。


No.20



仕方ないので祖母と叔母に連れられて近所の蕎麦屋に向かう。

その間、何度も「おかあさんは?」や「とおくってどこ?」と聞いたけれど祖母も叔母も教えてくれなかった。


蕎麦屋に着いたはいいけれど、お腹はちっとも空いていなかった。

祖母が私には何も聞かずにざるそばを三枚勝手に注文する。

また「おかあさんは?」と言ったら、叔母が「おそばを全部食べたら教えてあげるから」と言う。


目の前に注文したざるそばが置かれた。

ざるそばは大人の人が食べる量だった。

それでも母に何があったか知りたかった私は、飲み込むようにざるそば一枚を何とか全部食べた。

食べ終わってすぐに

「おかあさんどこにいったの!?」

と聞くと、祖母は

「本当にこの子は父親そっくりだ!!」

と叫ぶ様に言った。

叔母が他にも色々と口汚く騒ぐ祖母に何か言っていたけれど、私は祖母の急な癇癪に驚いてしまった。

暫くして祖母は騒ぐのを止めたが、物凄く恐い顔をしたままだった。



叔母がゆっくりと話し出す。


お母さんは病気になってしまったの

少しの間病院にお泊まりする事になったの

寂しいかもだけどお母さんはちゃんと帰ってくるから、それまで待てるよね?



それだけ聞いても何がなんだか私にはさっぱり分からなかった。

けれどそれ以上何か聞いたらまた祖母が怒るんじゃないかと思い

「うん……」

とだけ答えた。

飲み込んだお蕎麦を吐きそうになったけれど、それも我慢した。


No.21



翌日から行きも帰りも幼稚園へは一人で歩く事になった。

行くのには問題は無かったのだけれど、帰りが面倒だった。

さようならの挨拶をして出入り口に向かうと、他の園児のお母さん達が沢山迎えに来ている。

年長組の子でもまだまだ小さいので、自分のお母さんの所へ嬉しげに走って行き、手を繋いで帰っていく。

そんな和気あいあいとした場に混じらなくて済むように、何かと理由を付けては教室に他に誰もいなくなるまで残っていた。

No.22



幼稚園側には母の事はすでに連絡が行っていた様で、最後になるまで教室にいる私に特に何も言ってはこなかった。

少しイラついていた事があった。

母の入院から暫く、祖母と叔母は私の家に泊まっていた。

それなのに「幼稚園までの道が分からないから」と言う理由で私は一人で通園させられたからだ。

幼稚園までは子供の私の足で15分程度の距離だったのだが、結局めんどうなだけなのだろうと思った。

そういう人達なのは前から気付いていた。

もうなんだかあの人達の事は色々どうでもよく感じて、帰り道は好き勝手する様になっていった。

幼稚園から家までの途中にある大きな公園の遊具で遊ぶ。

家の側の公民館に入り、置いてある大型のテレビを見たり、館の中をあちこち探検したりした。

特に公民館には無料の水飲み機があったので、まだ今の様に水筒など持ち歩かなかった当時は「こんなに冷たくておいしい水がタダ!」と嬉しくて何度も水を飲んだ。

毎日毎日そんな感じで、家に帰るのは空が赤くなる頃だったけれど、祖母も叔母も怒る訳でも心配する訳でもなさそうだった。

(おばあちゃんもおばさんも、なんでうちにいるんだろ?)

口には出さなかったけれどいつも思っていた。

No.23



母が入院してから数週間が経った。

結局どんな病気で、どこの病院に入院しているか誰も教えてくれないままだった。

祖母と叔母はまだ私の家にいたのだが、初めて父も含めて4人で母のお見舞いに行く事になった(兄は何故か来なかった)。


どこをどう歩いて着いたのか覚えが無いが、見た目結構大きな病院で、中の待合室は薄暗くてなんだか雰囲気も悪かった。

父が受付らしき窓口から帰ってきて、3階だか2階だかへ階段で上がる。

やたらと重そうなドアを内側から開けてもらって病棟内に入った。

待合室と違って中は明るかった。

ただ何か妙な感じがした。

中にいる人達が壁に向かって一人で話していたり、持ってもいないバイオリンを弾いている人もいた(今で言うならエアバイオリンだろう)。

急に声を掛けてきた人もいた。

何を言っていたかは忘れてしまったが、同じ事を何度も繰り返し質問された。

逃げる様に離れた。

(ここ、なんなんだろう……)




一番奥の病室に父達に連れて行かれる。

端っこの窓のすぐ横のベッド。

そこに母はいた。

No.24



暫く見ない間に母は大分痩せていた。

長かった髪はショートになっていて、別人の様に感じた。

病室内は窓が大きくて、その日は天気も良くてとても明るかった。

そんな所にいる母にびっくりした。

あれだけ頑なに窓を開けて日を入れるのを拒んだ母がこんな所にいる。

(あぁ、ふつうになったんだ)と、嬉しく思った。

ただ久しぶりに母の顔を見たら、恥ずかしい様なちょっと怖い様な気がして、父の後ろに隠れていた。

父と祖母と叔母が母と何か話していたのだが、急に母が私に気付いたらしい。


「まぁ!かわいい子!おいくつ?」


母は私の事を自分の子供だと分かっていなかった。

No.25



私はその言葉に大きなショックを受けた。

何も言わずにまたさらに父の後ろに隠れた。

「恥ずかしいのかな?」と、ふふ、と母が笑う。

結局その日は母とは一言も話さずに帰る事となった。

いまいちよく覚えていないのだが、私は泣かなかったと思う。

帰り道に何か話したかどうかも分からない。

お見舞い後の記憶がほとんど無いのだけれど、やっぱり母が私の事を忘れていたのを(どうして?)と思ったのは確かだ。



祖母と叔母は一ヶ月近く私の家にいた。

その間に父が転職をした。

父は元は東京の商社に日中勤めていたのだが、転職したのは夜間の大きなお弁当工場だった。

朝の6時頃に父が帰って来て私を自転車で幼稚園に送る。

昼の内に寝て幼稚園が終わる時間に迎えに来て、夕方から工場へ仕事に出る。

夜は兄と私の二人きり。

そんな日々が始まった。


No.26



最初の内は父が幼稚園へ送り迎えしてくれるのが嬉しくてたまらなかった。

帰り道、スーパーに寄って買い物をして帰る。

時々だったがスーパーのフードコーナーでたい焼きやアイスを買ってもらって食べたりもした。

もう家に帰ってもいつも険しい顔の祖母も口ばかり立派な叔母もいない。

やっと安心出来る様になった気がした。

ただ、父は夕方になるといなくなってしまう。

転職の事など全く分からなかった私は「行かないで」と泣いては父を困らせた。



暫くはそんな日々が続いたのだが、段々と慣れて来たと言うか不満を感じる様になってきた。

朝、幼稚園に送ってもらえるのは変わらず嬉しかったけれど、帰り道に公園や公民館で遊べなくなったのがつまらなく感じ始めた。

勿論たまのたい焼きやアイスは魅力的だったけれど、いつしかそれにも贅沢な事に慣れてしまい、スーパーに行くのも面倒になってきた。

今でもだけれど本当に我が儘な子供だった。


No.27



結局3ヶ月ほど不満を抱えながら、そのまま卒園式を迎えた。

まだ母は入院していて、卒園式には父が休みを取って来てくれた。

子供の頃のアルバムに式の写真が貼ってあるのだが、並んでいる保護者で男性は私の父ひとりだけだった。

今思うと本当に父は私の為に頑張ってくれたんだなぁ、と思う。

ただこれは後に聞いた話だけれど、父は兄に暴力を振るっていたらしい。

私が生まれる前の事だった様だが、兄を野球のバットで殴ったりした事もあったそうだ。

私にその話をした兄は口癖の様に
「いつかオヤジを殺してやる」とよく言っていた。

父も兄も大好きだったから悲しかったし怖かった。


因みに兄と私は12才離れている。

これも兄に後になって聞いたのだが、兄は中学生の頃、胃潰瘍になったらしい。

兄が学校に行っている間に父や母が私を殴ったりして殺してしまうのではないかと心配で堪らなかったそうだ。

そのストレスから体調を崩し、内科に一人で行ったら胃に穴が開いていると言われ、薬を飲んでいたのだという。

兄も色々ととても辛い思いをしていた様だった。


No.28



時間が少し戻るのだが、卒園式より前、父とデパートにランドセルを買いに行った。

私は最初から欲しい色が決まっていた。

赤ではなく黒いランドセルが欲しかった。

赤より黒の方が断然カッコいい。

デパートの入口すぐに小学校入学準備の特設コーナーがあり、沢山のランドセルが棚に並んでいた。

私は黒いランドセルを手に取って「これがいい!」と父に言った。

「赤じゃなくていいのか?」と父に言われたが「絶対これ!」とランドセルを抱き締める様にして答えた。

同じ黒でもいくつかの種類のランドセルがあったので、父と吟味する。

暫く見ていると店員さんが近付いて来て話し掛けられた。

「お決まりですか?」と声を掛けられ父が「はい、この黒の……」と答えると、店員さんが「えっ!?」と驚く。

(??)と思った。

父も同じ様に思った様だった。

店員さんが話し出す。

女の子ならやっぱり赤色がいいと思いますよ
女の子で黒をお買い上げになられるお客様はほとんどいらっしゃいませんし

少し早口にそんな事を言っていたが、それでも私は黒がいいと父に言った。

父も「いえ、この子が黒が欲しいと言っているので……」と言うと、更に店員さんはこんな事を言った。

女の子で黒いランドセルですと学校でからかわれたりしますよ


No.29



(??からかわれる?)

黒のランドセルをカッコいいと言われるなら分かるが、からかわれるってなんで??

女の子だからと言って赤でないといけないなんて決まってないはずだ。

私は店員さんを無視してまた黒いランドセルをいくつか触ったり中を開けて見ていた。

その間父は暫く考えていた様だが、私に「やっぱり赤がいいんじゃないか?」と言ってきた。

「えっ?嫌だよ、黒いのがいい!」

「だけど赤の方が女の子らしいだろ?」

店員さんがうんうん、といった感じで頷く。

「それにからかわれるの嫌だろう?」とも言う。

「やだ!絶対黒いのがいい!」とまた答えたが、「亜紀、赤色のにしておきなさい。」と父。

何度も黒!と言ったのだが聞き入れて貰えなかった。

結局赤いランドセルを買う事になってしまった。

店員さんにも勿論だが、父にも(黒でもいいって言ってたのに!!)と腹を立てながら家に帰った。


No.30



小学校に通い始めた。

勿論あの嫌いな赤いランドセルを背負って。

入学して暫くは授業の為の準備などで忙しかった。

みんなそうだったのかも知れないが、初めての自分の机やイス、大きな黒板、天井から吊り下げられているテレビに驚いた。

配られた教科書も中を見ると沢山の言葉や絵が書かれていて、幼稚園で見ていた紙芝居や絵本と全然違うのにもびっくりした。

(小学校ってこんななんだ)と、ドキドキと緊張が凄かった。

不安感も強かった。

授業中は自分の机でイスに座ってじっとしていなければいけない、と担任の先生が言っていたからだ。

(じっとしてるなんて出来るのかな……)

幼稚園では自由気まま、いや、自分勝手に動き回って先生にいつも怒られていた私だ。

怒られても好き勝手をやめなかったので、小学校のシステムに自分が合わせられるかどうか不安だった。

(だって小学校の先生ってすごくこわいってだれか言ってた………)

どんな風に怒られるのか想像も付かなくて、怖くて怖くて毎日身体はガチガチだった。

No.31



緊張やら不安やらでガチガチの中、これだけは絶対にする!と決めていた事があった。

絵の具箱の注文だ。

授業準備期間は一週間程度だったと思うが、その間に色々と物を揃える為の書類も配られた。

その中に絵の具箱の注文書もしっかりあった。

先生が「お家の人に書いてもらって学校に持って来て下さい」と言っていたので、帰ってすぐに父に注文書を渡す。

書いて貰ったのは名前、クラス、出席番号のみ。

父に「ここは書かなくていいみたい」と嘘を付いた。

色指定の欄だ。

翌日の朝、学校で注文書の色指定の欄に

【あお】

と自分で書いて先生に渡した。

渡す時ドキドキが止まらなかった。

運良くその場で確認されなかったので、

(やった!!)と心の中で叫んだ。

No.32



二週間ほど後、教室に青とピンクの絵の具箱が沢山届けられた。

教卓の上に積まれた箱を、先生が男子から名前順に呼んで一人ひとりに手渡していく。

男子が受け取ったのは全て青色だった。

ピンクの箱を手にした男子は誰もいなかった。

次に女子がやはり名前の順に呼ばれる。

私の名前が呼ばれるまでに14人。

それまでやっぱりと言うか全員ピンクの箱を受け取る。

「高木さん」

名前を呼ばれて教卓へ向かう。

クラスにざわめきが起こった。

先生が私に絵の具箱を手渡しながら、
「高木さん、これで良かったの?」と聞いて来た。

はい、も、うん、も言わずに首だけ縱に振る。

絵の具箱を受け取って自分の席に戻る途中で、クラスの男子誰かが

「高木さん女なのに青なんて変なのー!!」

と、大きな声で言った。

またクラス中がどよめく。

何も言わずに席に着いた。

腹の中では、

(女なのにってそんなの関係ないじゃん!!)

と、ムカついていたが、それよりも念願の青い絵の具箱を手に入れられた嬉しさの方がムカつきよりも何倍も上だった。

結局女子は私以外全員ピンク色の絵の具箱だった。

青色の絵の具箱を撫でたり擦ったりとニコニコしていた女子は私だけだった。

No.33



小学校に上がって数ヶ月経っても私の緊張は全くと言っていい程取れなかった。

授業中、自分の席で固まっていた。

(うごいちゃいけない。うごいちゃいけない。)

頭の中はそればかり。

授業はそこそこ進んでいたが全然聞こえなかった。

(うごいちゃいけない。うごいたらおこられる。)

ずーっとそれだけ考えていた。

教科書を開いていても黒板を見ていても、何も頭に入って来なかった。

他からしたらただぼーっとしている様にしか見えなかったと思うが、冷や汗を背中にかく程に緊張していた。

誰も私のそんな様子に気付いてはいないようだった。

そういう感じで時間はどんどん過ぎて行って、一学期が終わったと思う。

友だちは出来ていなかった。

夏休みはほとんど一人でか父や兄と遊んでいた。

No.34



二学期に入ってから数人の友だちが出来た。

全員男子だ。

その頃には青い絵の具箱についてからかってくる奴は誰もいなくなっていた(一学期の内は少しの間、女なのにと言われた)。

何故か女子の友だちは出来なかった。



休み時間になると授業中の極度の緊張の反動だったのか、男子達と学校中を走り回った。

追いかけっこをしたり、かくれんぼをしたり、更には登ったらいけないと言われている大きな杉の木や桜の木に登って遊んだ(勿論先生に怒られた)。

男子達と外で遊ぶのが多くて休み時間に教室にはほとんどいなかった。

同学年の女子が外遊びをしているのは余り見かけた覚えが無い。

幾つか上の学年のお姉さん達が縄跳びやゴム段をしている程度で、女子は大体教室や体育館で遊んでいた様だった(これは後で知った)。



私はいつの間にか「アッキー」と呼ばれる様になった。

名前の亜紀から付けられたあだ名は大人になった今でも変わらなくて、昔からの友人にはまだそのままで呼ばれている。



休み時間になると仲の良くなった男子達に「アッキー、校庭いこー!」と声を掛けられ、すぐに席を立った。

女子達が何をしているか、どんな風に遊んでいるのか知らなかったし興味も全く湧かなかった。

毎日毎日、お休みの日まで男子と遊んでいた。

No.35



毎日のように男子達と遊んでいた。

二学期、私達の間ではかくれんぼがもの凄く流行っていて、朝に目が覚めると一番に(今日はどこにかくれよう)と一人で作戦を練ったりしていた。

友だちと外で遊ぶのはとても楽しかった。

授業が終わって家にランドセルを置いてからまた小学校に集まって、飽きもせずに夕方近くまでみんなでかくれんぼをした。




母は夏休みの間に退院して家に帰って来ていた。

病院から戻って来た母は家から出られなくなっていた。

居間の電気は点ける様にはなったが、また雨戸を閉めて家に閉じ籠っていた。

母はもの凄く外や人を怖がった。

家の目の前のゴミ捨て場にゴミを出しに行く事も出来ないし、新聞の集金のおじさんに会うのも嫌がった。

スーパーなど行ける訳もなく、相変わらず夜勤帰りに父が買い物をして帰って来る。

いつの間にかゴミ捨てや、新聞や家賃の支払いなどは私の係になっていた。



外へ遊びに行こうと準備をしている途中で母に「今日は集金のおじさんが来るから家にいて」とたまに言われる。

内心母に対して(なんでそんなこともできないの!?)と思っていたが口には出さなかった。

かくれんぼに行けなかったのはとても残念だったけれど仕方ない。

母にお金(ハンコも)を用意してもらって、集金のおじさんが来たらそれを渡していた。

かくれんぼブームは三学期の半ばには終わってしまったが、母の閉じ籠りはその後、十数年間続く事になる。

No.36



秋になりそろそろ寒くなってきて、放課後のかくれんぼのメンバーが少しずつ減っていった。

それでもブームはまだ続いていて、風邪を引いてマスクを着けながらでもかくれんぼに参加する強者も中にはいた。

私も大分隠れるのが上手くなっていて、時には小学校の体育倉庫の屋根の上に登ったり、プールの更衣室の屋根に登ったり、とアチコチ登って隠れていた。

学校の休み時間だと短いので、お昼休みの間はケイドロ(ドロケイと呼ぶ子もいた)も流行り始めた。

私はかくれんぼにもケイドロにも奮って参加した。

やっぱりアチコチ登っていた。

ケイドロに参加するメンバーには女子もいた。

どこに隠れようか迷っている女子を見付けた時には、こっそりとその子達を呼んで、こんな良い場所がある、と体育倉庫の屋根に一緒に登ったりした。

だからと言ってその女子達と仲良くなれた訳でもなかった。

ケイドロ以外ではやっぱり女の子と関わる事もほとんど無く、友だちは男子だけだった。

No.37



三学期に入ってかくれんぼブームが落ち着きを見せた頃、絵を描く宿題が出た。

先生の出した絵の課題は【遊んでいるところ】だった。

クラス全員に真っ白の画用紙が配られ、一週間の内に描いて先生の所へ持って来る様に、と言われた。

何を描くか考えた。

かくれんぼやケイドロにしよう、と思ったのだがなにぶんいつも参加する人数が多い。

何人も描くのはめんどくさく感じた。

しかも私は男の子を上手に描く自信が無かった。

実際に下書きとして何人か男の子を描こうとしたが、みんな女の子の顔になってしまう。

お絵かきは幼稚園の頃から好きだったが、描いていたのはいつも何故かお姫様か動物ばかりだった。


困った。

どうしよう、描けない。

男の子が女の子だと女の子になってしまう。

うーん、困った………。

No.38



翌日になっても3日目になっても思った様に描けない。

何度も何度も下書きを描いては消した。

(どうしよう……どうしよう)

段々と焦りが強くなる。

4日目。

(もう無理だ!)

かくれんぼやケイドロを描くのを諦めよう!と決めた。

じゃあ何を描くか?

パッと頭に浮かんだ物があった。

(ブランコ!!)

そうだ!ブランコを描こう!!

自分的に世紀の大発想並のアイディアだと思った。

幼稚園児の頃、一人で帰り途中に寄った公園でブランコに乗るのが好きだったし、漕ぐのも小学生の今だって得意だ。

何よりブランコを描いちゃうなんて、絶対絶対すごいことだ。

きっと他のみんなは男の子や女の子を並べて描くだけで、ブランコを描く子なんていない。

私ってすごい!!

そうと決めたら一直線と言った感じで、下書きを描いては消しすぎてクシャっとなった画用紙にブランコを描き始めた。

ブランコは思っていたより簡単に描けて余計に、自分すごい!!と自画自賛する。

そしてブランコの横に女の子を一人立たせる事にした。

色を塗って完成!!

すばらしい出来映えだと自信満々で、次の日その絵を先生に渡した。



思っていた通り、私はクラス全員の前で先生に誉められた。

色使いも良いしブランコも上手に書けていますね
隣にいる女の子もちゃんと書けていて良いですね

その時初めて先生に誉められたと思う。

もの凄く嬉しかった。



その日の授業が終わって帰る支度をしていたら、先生に「高木さん、ちょっとお話があります、残って下さい」と声を掛けられた。

(……もしかしたらあの絵がなにか賞をとっちゃったりするのかな??)

一人教室に残ってドキドキした。

No.39



帰りの会が終わってみんな教室からぞろぞろと出て行く。

私以外の生徒全員がいなくなるのを確認した様子の先生は
「高木さん、こっち」と、教員用のイスに腰かけて言った。

(やっぱり賞かな??)とドキドキしながら座っている先生の前に立った。





「高木さん!!なんでこんな絵にしたの!!書き直してきなさい!!」

…………???

いきなり怒鳴られた。

先生は凄く怖い顔で私を怒り続けた。

「みんなはちゃんとお友達を何人も書いているじゃない!!どうして女の子一人しか書かないの!!」

他にも何か言っていた気がするが怖くてよく覚えていない。

「明日までにちゃんと書き直して持ってきなさい!!」
とまた書き直しを命じられてその日は帰らされた。



帰り道、頭の中はいつも以上に真っ白になっていた。

描き直しを強要されたのもショックだったし、先生のクラス全員の前での態度との違いにびっくりした。

あんなに人に怒鳴られたのは初めてだった。

よく分からなかったけれど、とてもとても傷ついた様な感じがした。




その日の内に元の絵の女の子の周りに更に女の子を二人描いて、適当に色を塗った。

次の日に先生の所へ絵を持っていった。

先生は暫く何も言わずに絵を見ていたが「……まぁ、いいでしょう」と小さな声で言った。

前日の様に誉められる事は無かった。

前以上に緊張と恐怖でガチガチの日々がまた始まった。

No.40



一年生の三学期も半ばを過ぎた。

先生に絵の件で酷く怒られてから、恐怖と緊張で身体がガチガチになりならがも、ぼんやりと思っていた事があった。

それは「みかんはなんでみかんって言うんだろう」と言う事だった。

何故みかんはみかんと呼んでいるけれど、りんごじゃ駄目なのか。

他にも教室の黒板を見れば「どうして黒板は黒板って呼ぶのかな。他の名前じゃなんでダメなんだろう」

吊り下げられたテレビを見ては「テレビはなんでテレビって言うのかな」

しまいには「どうして机の角は四角いんだろう?」とまで考える様になっていた。

相変わらず授業の内容は頭に入って来なかったけれど、そんな事ばかりをずっと考える様になっていた。

No.41



いくら考えても何故みかんはみかんでりんごではないのか分からなかった。

ある日。

休み時間に先生の回りに女子が集まって楽しそうに話をしているのを見て、(今なら先生に聞けるかも)と思い、談笑している中にそろりと入った。

「あの……先生……」

おしゃべりをしていた女子達と先生が「なんだ?」と言った感じで私を見る。

「あの……どうしてみかんはみかんなの?りんごじゃダメなの?」


一瞬、間を開けて女子達に大笑いされた。

「あははは!アッキー変なのー!そんなの当たり前だよー!」

「え……でも、みかんじゃなくてりんごでもよかったんじゃ……」

「みかんがみかんって、そんなの当たり前じゃん!なに言ってるのー?変だよー!」

あははは、と女子達はまたひとしきり笑って、私に背を向けて別の話をし始めた。

私が質問している間、先生はただ微笑んでいるだけで答えを教えてはくれなかった。



聞きに行くのに結構勇気がいったのに、女子達に笑われたのはショックだった。

それに変呼ばわりされたのも。

(そんなに変かな……)


それからは(みかんはどうしてみかんなんだろう)という疑問を口に出さなかった。

(だれかに言ったらまた笑われる)

笑われるのも、変と言われるのも嫌で、ただただ一人、頭の中で考え続けた。

前よりもっと話さなくなった。

考えて考えて、でも分からなくて時間ばかりが過ぎて行った。

気付いたら三年生になっていた。

No.42



二年生の間、何をしていたか覚えていない。

ただひたすら、みかんやりんごや黒板、テレビ。机にイス。

他にも沢山の物の名前や形の事ばかり考えていた。



ひとつだけ覚えている事がある。

学校での事では無いのだけれど、父に連れられて遊園地に行った時の事だ。

遊園地で遊んだ帰り道での出来事。

閉園時間が近付いて、父と駅までの道を歩いていた。

結構な人がいるなか、大学生らしき二人組が突然ケンカを始めた。

胸ぐらを掴みあって大きな声をあげていたのだが、そこに父が割って入った。

「お前達、こんな所で喧嘩なんかするな!やるなら向こうの見えない所でやれ!回りの迷惑だ!」

そう言って父はケンカを止めてしまった。

私はその時に正直(お父さんってカッコいい……)と思った。

この時の父の行動は後の私の行動原理(と言うとおおげさかも知れないが)となる。

今でも私はお節介な所があるのだが、あの時の父の姿が忘れられない。

「あの父の血を引いてるんだ」と思うと、つい動いてしまう。

それだけあの時の父は本当にカッコ良かった。

No.43



私の通っていた小学校は二年毎にクラスの組み替えがあった。

二年生までは女の先生だったが今度は男の先生に変わった。

仲の良かった男子達とも大半が別のクラスになってしまい、休み時間はまたほとんど一人で過ごす様になった。

一人でいるようになったのには他にも理由があった。

三年生になってから男女を異性として回りの子達が意識し始めたからだ。

いつの間にか男子と女子が一緒にいるだけで「○君は○ちゃんが好きなんじゃないか」など噂が立つようになった。

そんな事にしばらく気付かなかった私は、前の様に男子の側に寄っていったのだが、男子達側が私が近付くのを嫌がった。

それでも中には相変わらず私と仲良くしてくれた男子もいたが、やっぱり噂になってしまい、自然と遊ぶ事は減っていった。


その頃、母の二度目の入院が決まった。

No.44



母の入院が決まる少し前。

変わらず私は授業もそっちのけで物の名前や形を考え続けていた。

三年生になって授業は大分進んでいたのだが、私は全く何も聞いていないし見ていなかった。


算数の授業中だった。

先生に急に「高木、この問題わかるか?」と言われてハッとした。

名指しで呼ばれて立ち上がったが、何が何だか分からない。

「えっ……と、時間が…30分?で……、1?キロメートルだから……、3?2?回で………えっと……」

分かりませんと何故だか言えず黙りこくってしまったら、クラスに爆笑が起こった。

下を向く私に「うん、高木、言いたい事は大体分かるんだけどな、ちゃんと授業聞こうな」と先生も笑いながら言う。

座っていいと言われて注目からは外れたけれど、恥ずかしくて堪らなかった。

完全に落ちこぼれになっていた。

暫く、

自分が全く授業を聞いていなかった事。

授業の内容がさっぱり分からない事。

みんなに笑われた事。

が恥ずかしくて、また授業中先生に指されて答えられなかったらどうしようとビクビクする様になった。


ただ、やっぱりこのままではマズいと思い、家で勉強を始めた。

しかし教科書やノートを見ても何が何だかさっぱりだった。

そりゃそうだ、授業を聞いていないしノートに何も書いていないのだから。


どうしても問題の意味も答えも分からないので、「そうだ!お母さんに教えてもらおう!」と居間にいる母に声を掛けた。

No.45



「お母さん!」

居間でこたつに頬づえをついている母に声を掛けた。

居間の電気は相変わらず点けておらず、暗い中で母はため息をついていた。

「…………」

声を掛けたが無視された。

「ねぇ、お母さん!ねぇ!」

母はこちらを見もせずに

「……何……?」

と、めんどくさそうに答えた。

「あのね、お母さん、これがわからなくてね、教えて!」

教科書をこたつの上に乗せて、「これなんだけど」と言ったら、

「……お父さんに教えて貰って」

「だって今お父さん仕事じゃん。わかんないの、お母さん教えて」

はー、っと息を吐く母。

「…だから、お父さんが帰ってきたら教えてもらいなさい。お母さん、分からないから」

そう言われても私は引き下がらなかった。

「わからなくてもいいよ、いっしょに考えてくれるだけでもいいから!ねぇ、お母さん、お母さん!」

パンッ

頬を叩かれた。

「お父さんに聞きなさいって言ってるでしょ!?しつこいっ!あっち行きなさい!」

そう言うと母はまた頬づえをついて、ブツブツと何か独り言を言い始めた。



自分の部屋に戻った私はまた机に向かった。

教科書を開いて問題を読む。

ちっとも頭に入ってこなかった。

頬を叩かれて頭の中は真っ白になっていた。

訳も分からずイライラして、鉛筆を放り投げた。



結局、帰って来た父に勉強を教わる気も失せてしまった。

その日から机に向かって勉強する事は無くなり、私の机はただの物置きになった。

No.46



廊下側一番はじ、前から二番目が教室での私の席だった。

後ろをちらりと見ればクラス全体ほとんどが目に入る。

その日の給食はパンにカレー、牛乳と他に何かあったと思うが覚えていない。

好物のカレーがメニューで嬉しかった。

さて食べよう、とスプーンを手に取った時、私の席から3つ机を挟んだ遥奈(はるな)ちゃんの席回りがなんだか騒がしかった。

よくよく見ると数人の男子と女子が遥奈ちゃんの給食のトレイに何かをかけている。

(なにやってんだ??)

少し気になったので見に行った。

男子が「ほら、食えよー。給食残すなよな」と言いながら、遥奈ちゃんの給食に牛乳を回しかけてニヤニヤ笑っていた。

回りの女子も「はるちゃん、全部食べなよー?」とくすくすと笑いながら見ている。

(……こいつら……)

遥奈ちゃんは怒った様な顔でじっと牛乳がかかったトレイを見ている。

私は自分の席に戻り、牛乳をカレーにかけて食べた。

そしてまた遥奈ちゃんの席に向かった。

「ねぇ」

「!?」と遥奈ちゃんが鋭い目付きで私を睨む。

カレーを指差して「食べてみなよ。おいしいよ」と言って、また席に戻った。


暫くして、遥奈ちゃんが私の席に来た。

「…………」

「なに?」カレーを頬張りながら聞く。

「……どうしてアッキーのカレー、牛乳がはいってるの」

「ん?あぁ、自分でいれたんだよ。おいしいから、はるも自分の食べてみなよ」また牛乳カレーを口に運ぶ。

「……馬鹿なんじゃないの……」

「んー?んー、そうかもー」と言いながら牛乳をパンにもかけた。

「これも美味しいんじゃない?」と、ニカッと遥奈ちゃんに笑った。

「……何カッコつけてんの、ばーか」

そう言うと遥奈ちゃんは自分の席に戻っていった。

No.47



何日か遥奈ちゃんの給食トレイに数人の男子や女子が牛乳をかける日が続いた。

それが始まってからもう何日も遥奈ちゃんは給食を食べていなかった。

(食べられるものだけでも食べたらいいのに)そう思っていたし、

(たおれたらどーすんの)と、心配でもあった。



その日の給食はソフト麺とミートソースに、牛乳、フルーツが何か付いていた。

遥奈ちゃんの机の回りにまたあいつらが集まって、トレイに牛乳をかけて笑っている。

いい加減ムカつきもピークに達していた。

遥奈ちゃんの席に向かう。

男子の持っている牛乳パックを引ったくる様に奪って、遥奈ちゃんのトレイ上のミートソースに牛乳をかけた。

「これだったら食べられるよ。おいしいから食べな」

回りにいた子達がイヤらしい顔をしながら「アッキーやる~!」と笑った。

自分の席に戻り、牛乳入りのミートソースを食べた。

ガタッ

遥奈ちゃんが立ち上がって私の所へやって来る。

「……また自分のにかけたの」

「うん、けっこうおいしいよ。はるも食べてみなよ」

遥奈ちゃんは牛乳パックを持って来ていた。

「……アッキー、これ頭にかけていい?」

牛乳パックを私の頭の上に持ってくる。

「………いいよ」

遥奈ちゃんがパックを握って私の頭に牛乳をかけた。

「…………ぷっ!あはははは!!」

大きな声で笑う私に「アッキー、頭おかしいでしょ」と遥奈ちゃん。

「ははは!えー?そうかな?あははは!」

「……また明日もかけるから」

「いーよいーよ、かけにきなー、あはははは!」

次の日、そのまた次の日も遥奈ちゃんは牛乳を私にかけに来た。

それが数日続いた。

何日目かにクラスの女子何人かが「はるちゃんやめなよー」と言ってきたが、「いーのいーの。あははは!」と笑って牛乳をかけられるのを拒まなかった。


いつの間にか男子や女子達は遥奈ちゃんの給食に牛乳をかけるのを止めたらしい。

遥奈ちゃんもそれにしたがってか、私に牛乳をかけるのを止めた。

私の知らない所で話し合いでもあったのかも知れない。

普通に給食を食べる様になった遥奈ちゃんを見て(良かった、食べてる)と安心した。

No.48



次の日曜日。

遥奈ちゃんから電話がかかってきた。

「アッキー、今から出てきて」

遊ぼう、とは言われず、命令口調でそう遥奈ちゃんに言われた。

(なんの用だろ?)と家を出た。


待ち合わせたのは小学校の校門前。

遥奈ちゃんは先に来ていて

「アッキーおそい!来てって言ったらすぐ来て!」

なんでこんなに偉そうなのか分からなかったので何も答えなかった。

「行こう」と遥奈ちゃんが歩き出して、良く分からないまま後を付いていく。

何をする訳でもなく、ただ学校の近くを歩くだけ。

遥奈ちゃんは何も話さない。

私も話す事は特に無いので、お互い無言のまま歩き続けた。

暫くして「つまんない、帰る」と勝手に遥奈ちゃんは帰ってしまった。

(なんだったんだ??)

分からないまま私も家に帰った。



次の日から学校の休み時間毎に、遥奈ちゃんが自分の席から「アッキー、来て」と私を呼ぶ様になった。

私は何も話さなかったが、遥奈ちゃんはクラスの誰が馬鹿だの頭が悪いだのと一人でベラベラ喋っていた。

たまに遥奈ちゃんに「アッキーもそう思わない?」と言われたけれど、私は答えず黙っていた。



だんだんと遥奈ちゃんといる時間が増えた。

家にも連れて行かれる様になった。

別に一緒に遊ぶ訳でもなく、プロレスが好きな遥奈ちゃんは私に技をかけて来たりした。

時には台所から大きめの包丁を持ってきて私に向ける事もあった。

私は遥奈ちゃんのそういった行動の意味が何となく分かっていたので、プロレス技をかけられても包丁を向けられても怖くなかった。

No.49



遥奈ちゃんとの良く分からない関係が一ヶ月程続いた頃、クラスに孝子(たかこ)ちゃんという転入生が来た。

初めての転入生に皆が珍しがって、孝子ちゃんの回りにはクラスの子達が集まっていた。

孝子ちゃんは明るくて話も面白い、少しふっくらとしている子だった。

いつの間にか孝子ちゃんは、クラスでちょっと目立つ遥奈ちゃんと仲良くなっていたみたいで、遥奈ちゃんと孝子ちゃんと私とで一緒にいる事が増えた。

私はやっぱり余り喋らなかったのだけれど、そんな私が孝子ちゃんには珍しく見えたのかも知れない。

孝子ちゃんは気さくな子で、三人でいても遥奈ちゃんと違って私にも会話を振ってくれたりしていた。



そんな感じで一、二ヶ月経った頃だった。

日曜日、遥奈ちゃんから電話が来た。

また「アッキー、今から来て」と呼ばれた。

特に用事も無かったので、言われた通りに遥奈ちゃんの家に向かった。

No.50



遥奈ちゃんの家に着くと「アッキー、こっち!」と呼ばれた。

遥奈ちゃんの家の前の小さなガレージ。

見るとそこには孝子ちゃんも来ていた。

(今日は何するんだろ?)と思ったら「アッキー、そこに立って」と遥奈ちゃんが言う。

どうやら足かけゴム段をするのに、ゴムひもを足にかけて押さえる人数が、遥奈ちゃんと孝子ちゃん二人だと足りなかったらしい。

「アッキー、ゴムひも押さえてて!」と、遥奈ちゃんに言われる通りにゴムひもを足にかけて押さえる。

遥奈ちゃんと孝子ちゃんは暫く交替にゴム段で遊んでいた。

私はぼーっと突っ立って(早く終わんないかなぁ)と思っていた。

30分くらいしたらただ立っているのが辛くなって来た。

孝子ちゃんがそれに気付いたのかは分からないが「アッキー、次とぶ?」と言ってくれた。

けれど私はゴム段の仕方を知らなかったので「ううん、私は……」と言いかけた。

……ら、遥奈ちゃんが「アッキーはいいの!!」と孝子ちゃんに言う。

「でも……」と言う孝子ちゃんの言葉を遮って、遥奈ちゃんは。

「アッキーは私の言うこと何でも聞くんだからいいの!!」




(バカバカしい……)

「帰る」

足にかけたゴムひもを外してガレージから歩き出した。

遥奈ちゃんが何か叫んでいたけれど無視して家に帰った。

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