子供の頃の話
「バイブ届きました」の主・高木亜紀の子供の頃の話を書いていきたいと思います。
※いじめ、犯罪行為、精神疾患、性的なシーン等ありますので苦手と思われる方にはスルー推奨させて頂きます。
※日記「バイブ届きました」の内容と重複するレスがありますのでご注意下さい。
18/04/04 01:58 追記
※人物名、地名、建物名等を除いてほぼノンフィクションです。
- 投稿制限
- 参加者締め切り
★
「………………だめだ、わかんない、もといた所からどっちの方がくに来たのかわかんないし」
「なんかひろばみたいになってるとこ地図にない?」
「………………たくさんある……………」
##くんは地図から目を離さないまま答える。
(やっべぇ……カンペキまよったか………)
私は腰に手を当ててため息をついた。
(無理やりでも止めりゃよかった………)
「………でも、ゴールはいけるかも」
##くんが地図に目を落としたままそう言った。
『!!』
皆が##くんを見る。
「ゴールは山の上のほうなんだよ。だから上に行けば、たぶん」
##くんのその言葉に皆それぞれホッとした様子で、それまでの緊張した空気が柔らかくなった。
「あの……………みんな、ごめん……………」
それまで黙っていた、一番最初に草むらに入って行った背の低い小柄な男子が
「おれが行こうっていったから…………」
と下を向く。
★
「おれが行こうっていったから…………」
そう言って下を向く男子に他の子達が
「きみだけ悪いんじゃないし…」
「あやまんなくていいよ!おれらも悪かったもん!」
など他にも声を掛ける。
小柄な男子は津田(つだ)くんというらしかった(ゼッケンの漢字が読めた)。
津田くんは顔を上げると
「##くんがいてくれてよかった……」
と少し笑顔になった。
##くんが「行こう」と言って歩き出す。
皆、##くんに続く。
5分程歩くがゴールらしき場所は見えない。
まだ皆、元気があるらしく
「今日あついねー!」
とか
「ハラへんない~?」
等、軽口を叩く余裕があったみたいだ。
15分。
いつの間にか黙って歩くのみになった。
「住吉」さんはハァハァと息を切らす程疲れてしまった様子だったので、それを見て私が
「ね~、ちょっと休まん?つかれたよ~」
と言ったのだが
「休んでるひまなんかないよ!!」
と怒られてしまった。
皆イライラし出しているのが分かる。
(……よくないな、このカンジ……)
何分歩いて、どのくらい進んだのかも分からなくなっていた頃。
皆の後ろの方を歩いていた「住吉」さんが急に立ち止まって大声を出した。
★
急に立ち止まった「住吉」さんが
「なんでっ!?なんで迷っちゃったの!?」
と、先程までとは別人かと思う様な大声を出した。
皆が立ち止まる。
「住吉」さんは続けて
「なんなの!?だれのせいで迷っちゃったのっ!?だれのせいっ!?ねぇっ!!」
と捲し立てた。
皆、黙っている。
私は頭の中で
(おいおい、今はんにん探ししてもしょーがないっしょ……)
と思っていた。
「住吉」さんは
「一番悪いのだれっ!?だれのせい!?」
とずっと喚いている。
##くんが
「津田くんじゃない?」
と口を開いた。
「津田くんが一番さいしょに行っちゃったから迷ったんだよね?」
大して怒ってもいなさそうな、ただ事実を言っているだけ、といった感じで##くんは話す。
津田くんを見てみるとショックを受けた顔をしていた。
追い討ちをかける様に##くんが
「津田くんが悪いと思うひと、手あげようよ」
(はぁ??##、何言ってんだ!?)
今それをする必要がどこにあるんだ!と右手を挙げる##くんに言おうとした。
が、「住吉」さんがすぐに手を挙げた。
それに続いて男子のうちの一人も右手を挙げる。
私の後ろにいた白田さんを見ると、少し迷ってからやはり顔の高さまで手を挙げた。
(ちょっとちょっと……みんな何やってんだよ!)
手を挙げていないのは津田くんと私ともう一人の男子だ。
(おいおいおいおい!!)
手を挙げていない男子は困った様な顔で腕組みをしている。
(よかった!まともなやついた!)
そう思ったが
「きみ、手あげないの?だって津田くんがさいしょに行っちゃったんだから津田くんが一番悪いと思わない?だれが一番かで言ったら津田くんだよね?」
「##っ!!」
津田くんが悪いだろと言い張る##くんを止めようとしたが遅かった。
もう一人の男子がゆっくりと手をあげた。
(##、バッカやろ………!!!)
★
「……なんだよ……みんな、さっきはおれだけが悪いんじゃないとか言ってたじゃんか………」
津田くんが泣きそうな声を出す。
「高木も手あげなよ。津田くんが悪いと思うだろ?」
##くんがそう言って私を見る。
「………思わないね」
そう私が答えると皆が驚いた顔をしてこちらを見た。
「はぁ?なんでだよ、だって津田くんが…」
「思わないっつってんだろ!!」
大声を出して##くんの言葉を遮る。
「津田くんだけが悪いなんてない!止めようと思えば無理やりでも私は止められた!うで、つかんででも!だけど私は止めなかった!!」
他の皆は黙っている。
「止めるちからがあるのに使わなかった!だから私だって悪い!!津田くんだけが悪いなんてことない!!」
津田くんは下を向いて今にも泣き出してしまいそうだ。
「津田くん。津田くんが悪いなら私も悪いんだからさ。だからそんな顔しないでいいよ」
……………………………。
「……ごめん、津田くん」
「住吉」さんの後に手を挙げた男子が言った。
「津田くんだけが悪いとかじゃないよな……」
ゼッケンに「田口(たぐち)」と書いてあるその男子は手をおろす。
白田さんも、##くんに言われるまで腕組みをしていた男子も手をおろした。
「なんで!?じゃあ誰のせいなの!?なんでこんな……」
「住吉」さんがまた大声を出したが白田さんが
「私も止められたけど止めなかったもん……。誰のせいとか誰が一番とかじゃないよ……」
と言うと、諦めた様にやっと手をおろして「住吉」さんはその場にしゃがみこんだ。
「……迷っちゃうとかなんなの……!!」
★
「だから、津田くんのせいだってば。津田くんが悪いんだよ」
##くんがまだ言うので
「##!お前ふざけんな!!だまれよ!!」
##くんに近付きジャージの胸ぐらを掴む。
「お前もうしゃべんな!!」
「なんだよ高木!!」
「だまれっつってんだよ!!」
「ちょ、ちょっと!アッキー!!」
白田さんに後ろから羽交い締めにされて##くんから引き離された。
「##!お前もうしゃべんじゃねーぞ!?!?」
##くんが黙って私を睨み付ける。
「……ねぇ、どうするの……?」
そう言う「住吉」さんの声はまた元どおり小さくなっている。
田口くんが
「とりあえず上のほうにいこうよ。ここにいてもさ、それよりちょっとでも歩こう」
津田くんはまだ下を向いている。
「な?みんな、いこう?」
田口くんの声掛けに「住吉」さんが何とか立ち上がって
「…………はやく家帰りたい…………」
とボソッと言ったのが聞こえた。
★
田口くんの声掛けに従って私達は再び歩き始めた。
津田くんは下を向きながら、「住吉」さんはやはりハァハァと息をしながら、他の子達は皆、口をきく事もなく歩く。
大きく開けた場所に出た時に回りを見回したが、目に入ってくるのは一面緑の山並だけで遠くに市街地すら見えない。
(なんつーとこつれてくんだよ、うちの学校……)
そう考えながらも
(まぁ、なんとかなるだろ)
とも思っていた。
開けた場所があるのが分かったので、いざとなれば木が密集していない所を選べば救助の際に見つかり易いだろう。
暑くてとっくに上は脱いでいたが、着ているジャージは結構分厚く、一晩位なら寒さもなんとか凌げそうに思えた。
もし夜になってしまったら草を集めてその中に潜り込めば多少の暖も取れそうだ。
そして実は私のリュックサックにはマッチが一箱入っていた。
だが火を起こすのは最終手段だと思い、皆にはマッチの事は話さなかった。
こんな山の中で火など起こせば山火事に成りかねない。
そんな事になったら一番危険なのは逃げる方角も分からない私達だ。
(うーん、雨ふったらどーすっかな……)
色々な事を考えながら歩いていた。
草や木が少しでも生えていない所を選んで進む。
けれど人が通った様な跡は無く、どれだけ歩いても道らしい道は見つからなかった。
崖の様な土の斜面を皆で協力して登ったりもした。
ぐるぐると回ってしまった様で、3度も同じ場所に戻って来てしまったりもあった。
皆、体力も気力も大分磨り減っていたみたいで、誰もまともに口をきかないし、息も荒くなっていた。
何度目かの私の
「ちょっと休もうよ~」
の声にやっと皆が賛成してくれて、サッカーボール大の石ころが幾つも転がっている場所で休憩する事にした。
★
ごろごろと沢山転がっている、丁度良さそうな大きさの石ころに「住吉」さんが疲れ果てた感じで腰を下ろす。
白田さんと私も「住吉」さんの近くの石に座った。
田口くんが
「おれ、しょんべんしてー!」
と言って、津田くんと##くんともう一人の男子に
「しょんべんしたくね?いっしょにいかね?」
と声を掛けた。
(わざわざデカい声で言うなっつの……)
と思ったが黙っていた。
4人の男子に
「遠くいくなよ?はぐれたらヤバいからね?」
と言って、リュックサックから水筒を取り出す。
男子達は連れ立って草むらに入って行った。
水筒の中の氷はまだ溶けておらず、麦茶もたっぷりと残っている。
(せつやくしといて良かったな)
コップがわりのフタに麦茶を注いでぐびぐびと飲んだ。
日差しはまだ強くて暑い。
冷たい麦茶が体に染み込む。
「住吉」さんをちらりと見ると、膝に置いた両腕に顔を埋めていた。
白田さんが
「大丈夫?」
と心配そうに声を掛けるが、「住吉」さんは答えず顔もあげない。
(だいじょぶなのかな、この子)
なんだかちょっと変わった子なのかな、と思った。
「……えーと……なに、さん、だっけ?すいとう、まだ中入ってる?のめば?」
そう私が声を掛けると「住吉」さんは怠そうに顔をあげた。
やっぱり何も答えずリュックサックから水筒を引っ張り出して、こぽこぽと中身をコップに注ぎ一気に飲み干す。
「はあっ!………つかれた………」
大きく息をついて「住吉」さんがやっと声を出した。
★
一杯目を飲み干した「住吉」さんは二杯目をコップに注いで、今度はゆっくりと啜った。
はーっ……ともう一度ため息をつくと、項垂れて目を閉じる「住吉」さん。
白田さんと私は顔を見合わせて
(この子なんか……ねぇ……?)
と、アイコンタクトを交わした。
白田さんも「住吉」さんも私も無言で男子達が戻って来るのを待つ。
コップに口を付けながら辺りを見回したが、やはり回りは木と草と石ころだけで、私達以外の人の気配は感じない。
(クマとかいたらやべーな……)
死んだふりは効かないんだよな、と、図書館で前に借りて読んだ「山の歩き方」という本の内容を思い出す。
(音だすんだっけ、バクチクとかがききめあるって書いてあったけど……ないしなぁ)
そんな事を考えている私の隣で「住吉」さんは何度もため息をついている。
10分近く経ったのに男子達はまだ戻ってこない。
いい加減心配になったらしく、白田さんが
「ねぇ、男子おそくない?」
と口を開いた。
石ころから立ち上がり、男子達が入って行った草むらに向かって
「おーい!あんたら、まだー!?」
そう私が声を掛けると、少しして男子4人が姿を現した。
(???)
何となく男子達の顔つきが先程までと違う。
お茶を飲んでいる私達を見て田口くんが
「あっ!おれもお茶のもー!」
と言うと、他の男子達も背負っているリュックサックを下ろして水筒を取り出し、各々飲み始めた。
(なんだろな?こいつら、なんか元気になってないか??)
津田くんを見るとずっと下を向いていた筈なのに、他の男子達と仲良く喋っている。
(まぁ、いっか)
元気な方がいいんだし、と思いながら水筒の中蓋を外して
「ねー、あんたらちょっとこっち来て」
と男子達に向かって手招きをした。
★
「なにー?」
「いーから、こっちこっち。ちょい来て」
水筒を手に男子達を呼んだ。
「なに?どしたの?」
7人で輪になる。
「へへへ♪白田さん、ちょいそのコップ出して?」
「??」
白田さんの差し出したコップに水筒の中から上手く氷をふたつ落とす。
「わっ!えっ!?氷!?」
「へへ~♪みんなも氷ほしい?」
「ほしいっ!」「おれも!」「ちょーだい!ちょーだい!」
一気に騒がしくなった。
「住吉」さんだけは騒ぎには乗ってこず、氷入りのお茶を嬉しそうに飲む皆を見ているだけだ。
「えーと……いらない?冷たくておいしーよ?つかれ取れるんじゃないかな」
「住吉」さんにも声を掛ける。
「………おなかいたくならないかな」
やはりか細い声で答えた「住吉」さんに
「だいじょぶっしょ。氷いっことかならさ」
と私。
「住吉」さんは少し考えて
「……じゃあちょっとだけ……」
と自分のコップを渡してきた。
「はらへったー!!」
田口くんが空を仰いで言う。
「なぁ、おべんとーたべない?」
そう言う田口くんに
「とっといたほーがよくない?」
(まだもどれるかもわかんないし)
と思った事の前半だけを伝える。
「……うーん……ガマンするわ……」
残念そうな田口くん。
田口くんは田口くんなりに似たような事を考えていたのかも知れない。
(今日中に帰れっかな……)
けれど氷入りのお茶のおかげか、皆の顔つきは明るくなっていた。
(氷入れてきて良かったな)
もう誰が悪いとかで揉める事もなさそうだ。
ほっ、と小さく息を吐いた。
★
長めの休憩を終わらせてまた歩き出した。
元気が出すぎたのか、男子達はギャーギャー騒ぎながら歩いていたが、少しして津田くんだけがついっ、と私の横に並んだ。
「高木、さん」
他の皆に聞こえない程度の声で呼ばれて津田くんを見る。
「??なに?」
「………あのさ、さっきしょんべんいった時にさ」
「しょんべ……って」
「???」
「あ、いや、まぁいんだけど」
「??しょんべんいった時さ……田口くんともうひとりの…名前わかんないけど……。さっきはごめんってあやまってくれたんだ」
(……あぁ、だからか……)
「そっかぁ」
「うん、おれももう一回ごめんって言って。したら、もうあやまるのなしにしようって言ってくれて」
「うん」
「………##くんはなにも言わなかったけど……」
「チッ!あのやろー」
舌打ちをする私に津田くんがぶっ!と吹き出す。
「た、高木さんてなんかおもしろいね」
「そかな?」
「うん。……………うん、あの……」
笑った顔のまま津田くんは軽く下を見ながら何か言いたげにしていたが、どんな事を言いたいのかすぐに分かった。
「津田くん、良かったね」
「………うん。……あの……さっきは……」
「いーからいーから。ほら、あいつら前のほう行ってるよ!おいかけないの?」
「あ、うん!」
津田くんの背中を見ながら、あの場面で怒って正解だった、と先程よりも深く息を吐いた。
他の皆もそうだったのかも知れないが、顔には出さなかったが私は大分疲れていた。
しかもどこかで捻ったらしく、右足首に鈍い痛みがあった。
(足、まじーな……クッソ)
皆にばれないように歩くが痛みは引かないまま、また10分程歩いた頃だった。
一番後ろの私の前を歩いていた「住吉」さんが急にしゃがみ込んだ。
★
(おいおい……またなんかモンクか?)
しゃがみ込んだ「住吉」さんに正直苛ついた。
が、近寄って見ると何か変だ。
「住吉」さんの顔はまっ赤になっていて、息もゼイゼイと荒い。
「ちょ、ちょっと!どしたん!」
私の声に他の皆が振り返って「住吉」さんの回りに集まった。
「だいじょうぶ?顔、すごい色だよ?」
津田くんが聞くが、「住吉」さんは苦しそうにしたまま答える事も出来ない様だ。
「ねつあるんじゃない?」
白田さんがそう言って「住吉」さんの側に腰を落とす。
「ちょっとおでこごめんね」
「住吉」さんの額に手を当てた白田さんは
「わっ!」
と声をあげた。
「………すっごい熱い、そうとうねつ高いよ!」
白田さんが手を離す。
津田くんがまた
「ねつあるの?歩ける?」
と、言うと「住吉」さんは立ち上がろうとしたがよろけてまた座り込む。
「おれ、おんぶしてやろうか?」
田口くんがそう言ったが、「住吉」さんはぶんぶんと首を横に振った。
「……………歩く……………」
「いや、むりでしょ、おんぶしてやるって」
田口くんの言葉にまた首を振る。
「私おぶってくわ」
私が言うと「住吉」さんが顔をあげた。
「え?でも高木さん、女だしむりじゃない?」
田口くんが言うので睨みつけた。
「背とかあんたとかわらないじゃん。つーか、私の方がデカいっしょ。女とかかんけーないよ」
睨まれた田口くんは少しバツの悪そうな顔をした。
「ね、立てる?おんぶしたげるからさ、ちょいがんばれる?」
「………でも………」
「だいじょぶだからさ、ね?ちょっとだけがんばろ?」
「…………うん…………」
★
「住吉」さんを背負って歩く。
思っていた通り「住吉」さんはとても軽かった。
「……ごめんね……重いでしょ……」
ゼイゼイ言う息の下から無理矢理声を出しているのが分かった。
「いやー。ぜんぜんかるいよ?なんもおんぶしてないみたい。それより寝てていーよ?」
「…………うん………ごめんね………」
「だいじょぶだいじょぶ!つーか、むりしてしゃべんなくていいからさ」
「…………うん………」
皆、心配そうに私と「住吉」さんの回りを歩く。
「早く病院いかないとだめだね」
白田さんの言葉に続いて田口くんが
「高木さん、つかれたら言ってな。おれがつぎおんぶするからさ」
と言ってくれる。
有りがたかったがそれは無理だと思った。
多分「住吉」さんは男子に背負われるのは嫌がるだろうな、と考えた。
やはりと言うか「住吉」さんの胸が私の背中に当たっている。
ブラジャーはまだ着けていなさそうだったが、十分に『女性』だ。
男子に背負わせる訳にはいかない。
右足首は痛かったが、転ばない様に足下に集中していると痛みを少し忘れられた。
どうやら「住吉」さんは熱があっても眠れない様で、私や白田さんと話をしている方が気が紛れたみたいだ。
「スミキチ」さんかな?と思っていたが「スミヨシ」さんだった。
読めなかったのは恥ずかしくて言わなかった。
他にも、小さい頃から体が弱くすぐに熱を出してしまう事や、一人っ子で大事に育てられたという様な事も話してくれた。
話の中で
「たぶん体が冷えたんだと思う」
と住吉さんが言った時に
(あぁ、私のせいだ……)
と思った。
(氷あげちゃったからだ……)
いい気になっていたさっきの自分のせいだと思い
「ごめん……」
と謝った。
住吉さんは
「ううん、高木さんのせいじゃないよ。歩いて、あせいっぱいかいたからだよ」
そう言ってくれた。
段々と私の歩くスピードが落ちてきた頃だった。
「ねえっ!人の声する!!」
津田くんの大きな声に驚いた。
「あっ!あれ、道じゃね!?」
津田くんが指差す方を見る。
歩いていた場所から数十メートル先に舗装された道があり、何人かの人が歩いていた。
「やったー!!帰れるー!!!」
津田くんと田口くんが騒ぎながら道に向かって走りだす。
★
舗装された道と人の姿を見て心底ホッとした。
「住吉さん!道!」
と声を掛けたが、住吉さんはいつの間にか眠ってしまった様だ。
「良かったぁ~!!」
そう言って白田さんが、はーっ、とため息をついて小走りで道に向かう。
##くんは
「先行くなよ!!」
と津田くん達を追いかけていった。
私の側に残っている男子に
「………あんた、いかないの?」
と言うと
「いや、うん、………ていうかキミだいじょうぶ?」
と逆に聞かれた。
「は?」
「つらいんじゃないの?その人、おれがおんぶしようか?」
(……ほんっと、男ってわかんないんだな……)
「ん、だいじょぶ」
「無理しなくていいよ」
「いいよ、だいじょぶだから」
「…………無理だったら言って」
「……はぁ……どーも」
声を掛けてきた男子は道に迷ってから少しして、ジャージの上を脱いで肩にかけ、袖口を胸元で縛っていた。
そのせいでずっと体操着のゼッケンが見えなかった。
(名前とかどーでもいーか)
と思っていたので聞かなかったし、今も聞く気にならなかった。
(こいつ、人にはっきり自分のイケンとか言えないヤツかな)
でも。
(さっきさいごまで手ぇあげなかったのはエライか)
そんな風に考えていたら突然
「ねぇ、キミさ、さっきほんとにおこってた?」
「!!」
★
「キミ、さっきほんとにおこってた?」
「!!」
(なんだこいつ!!なんで!!)
びっくりし過ぎて黙ってしまったら、じっ……と私の顔を見る。
「………………………」
「…………ちがうか」
「………………………」
「まぁ、ほんとつらかったら言って。かわるから」
そう言ってその男子は私の前を歩き出した。
舗装された道を歩いていた人達は、どうやら他校の人達で、ハイキングの途中だった様だ。
道を聞いて、なんとか私達の学校の先生がいる場所に戻れたが、戻った場所は最初にバスから降りたただっ広い駐車場だった。
他の生徒達は皆、別のゴール地点にいるらしく
「何をやってるんだお前達は!!」
と、私達の為に残っていてくれた男の先生にこっぴどく叱られた。
住吉さんは私達が叱られる前に、別の先生にバスでどこかへ連れていかれたみたいだ。
多分病院かな、と思った。
まだおべんとう食べてないです
と誰かが言ったが、誰の発言か私には分からなかった。
怒り続ける先生の声も頭の中に入って来なかった。
もう疲れてきっていた。
★
「5分で弁当食ってこい!!」
先生に言われて慌てて駐車場の端の食事コーナーに向かう。
屋根に覆われた広場に木のテーブルとベンチがあり、そこで遅くなりすぎた(しかも5分の)お弁当タイムになった。
私以外の皆が、それぞれリュックサックからお弁当の包みを取り出す。
私はベンチの端に座って水筒だけを出し、残った麦茶を飲んでいた。
ちらりと皆のお弁当を見ると、全員キチンとしたお弁当箱に、これまたキチンと美味しそうなおかずやごはんが詰められている。
(多分)津田くんが
「あれ?高木さん、べんとー食べないの?」
と言ってきたが、私は
「しょくよくない」
とだけ答えて席を立った。
広場の更に端にある、ゴミ箱に向かう。
捨てる前に一応バンダナを開いて見てみたが
(………やっぱり『コレ』か………)
と慣れている筈なのにガッカリした。
バンダナの中には、アルミ箔でくるまれた大きなお握りがふたつだけ入っている。
母の作る『お弁当』は何時も『コレ』だった。
病む前の母は私が幼稚園の頃は、割りとしっかりとしたお弁当を作ってくれていた。
が、精神を病んでしまってからは買い物にも行けなかったし、考える事も出来なくなっていたのだろう。
母の『お弁当』は、味付けは塩だけの『コレ』のみになっていた。
(だからいらないって言ったのに)
皆から見えない様に注意しながら、アルミ箔にくるまれた『お弁当』をゴミ箱に捨てた。
右足首がズキズキと痛くて堪らなかった。
★
オリエンテーリングの次の日から私は学校を休んだ。
連絡をしなかったので担任の先生から電話が来たが「風邪を引いた」と嘘をついた。
オリエンテーリング中と言うより遭難中に痛めた右足首は湿布を貼っていたら3日程で良くなった。
もう学校に行く気が無くなっていた。
山の中で津田くんが悪いと皆が手を挙げたのを思い出すと気分が悪くて仕方なかった。
(やっぱり何かあればあんな風になっちゃうんだ)
(止める人がいなかったらだれかのこといじめたりするんだろ、あいつらも)
布団に寝転がってずっとそんな事を考える。
(やっぱり学校なんてろくなとこじゃない)
(もう行きたくない…………)
学校を休むなら自分で連絡をしろと昔から父や母に言われていたのだが、面倒だったしどうでも良かったので何もせずにいた。
休み始めて5日経ったが、その間毎日先生から電話が来る。
風邪は治ったのか、まだ長引いているのかとしつこく聞かれてうんざりした。
(もう学校行く気ないですって言っちゃおうかな)
先生からの電話の度にそう思ったが言わなかった。
10日程休んだ頃、さすがに父に怒られた。
「亜紀!いいかげん学校行け!いつまで休むつもりなんだ!」
そう言われて仕方なく学校へまた行く事にした。
★
教室に入る時に気まずさはあったが、扉を開けても注目される事は無かった。
私が席に着くとすぐにチャイムが鳴って担任の先生が入って来る。
先生は私を見て
「おー!高木さん!風邪治りましたか!」
とニコニコとしている。
軽く頭を下げて先生から目線を外した。
朝のホームルームが終わり授業まで10分間の自由時間の時に、私の前の席の男子が振り返って声を掛けてきた。
「ねぇ、キミ、なんで休んでたの?カゼ?」
「……………はぁ……」
「はぁ、って、カゼじゃないの?」
「……ん……べつに……」
(どーでもいいだろ……)
「もしかしてとうこうきょひ?」
「んなんじゃないよ………」
「……ふーん」
(なんなんだよ、コイツ)
頬杖をついて「話しかけるな」オーラを出していたつもりなのにその男子は喋り続ける。
「キミ、高木さんだっけ?」
「ん」
「おれの名前読めた?」
「…………はぁ?」
「漢字。読めた?」
読めたも何もない。
「いや、読めるとかってかあんたの名前しらないんだけど」
「はっ?だって前のせきじゃん、おれの名前しらなかったの??」
(なんなんだよ、めんどくせーな)
★
男子が前を向いたので話は終わりかと思ったら、また振り返って私の机に自分の教科書を置いてきた。
「これ。読める?」
教科書の裏表紙の「瀬納 一」とマジックで書かれた『瀬納』の所を指差す。
「……………せ、」
「せ?」
「………せ、………んん??」
男子が鼻から息を吐く。
「やっぱ読めないか」
「……これ、何、なんてよむの」
「読めない?」
イラッとしたのでまた頬杖をついて目を閉じた。
「せの」
「…………?…………」
顔を向けた私に
「名前。せ、の、って読むの」
と言う。
「せの?」
「うん」
「この字で『の』?」
「そう」
「………ふーん」
「で、こっちは?読める?」
「瀬納」と書いてある横の『一』を今度は指差した。
「いち?」
「読めない?」
イライラが更に増した。
(コイツ、なんかほんとめんどくせーヤツだな)
「あの、つーか……なんなん。なんてよむん」
ため息をついて聞く。
「おさむ」
「おさむ?」
「読めないでしょ」
「はぁ」
「だよなぁ。さいしょっから読めたヒトいないもんなぁ」
「あ、そう」
瀬納 一。
名前も性格もおかしな奴だと思った。
★
瀬納くんの話と言うか質問はまだ終わらない。
「キミさ、高木なんていうの?下の名前」
「………………マキ」
「高木マキっていうんだ。部活何入るか決めた?りくじょう部とか入んないの?」
「りくじょう部?」
「うん。走ったり、きらい?」
「………んー、つーかもう決めてる」
「何部?」
ボールをついてシュートのパントマイムをする私。
「バスケ部?」
「ふふっ♪」
「そっか、バスケ部か……。りくじょう部じゃないんだ」
何故だかちょっと残念そうな瀬納くん。
チャイムが鳴って瀬納くんは前を向いた。
(変なヤツ………)
授業が始まって私は顔面蒼白になっていたと思う。
とにかく先生の言っている事も、黒板に書かれている事も、何もかもが理解出来ない。
回りの生徒が何をしているかも分からなかった。
教科書のどこを見ればいいのかもさっぱりでずっと私は下を向いていた。
(なんで10日休んだくらいでこんなにじゅぎょうすすんでんの!?)
やっぱり学校を休めば良かったと後悔した。
授業が終わり瀬納くんがまた振り返ってきて
「じゅぎょう分かる?休んでたあいだのノート見る?」
と言ってくれたが断ってしまった。
プライドだけは一人前。
色々な意味で本当に私は馬鹿だった。
★
特に苦手だったのが英語だ。
読むだけならなんとか読めたが、単語の下に書かれるSだのVだのがなんなのか分からないしbe動詞すらも覚えられない。
国語の文法が出来ていないので「主語が~」とか「動詞が~」など言われても、何が主語で動詞はどれなのかの区別もつかなかった。
英語の授業は高校を卒業するまで恐怖の時間だった。
未だに私は英語が不得意で英文を見るだけでウンザリするし、コンプレックスも強い。
当時の自分に出来る事なら「まだ取り返しがつく!」と頬を叩いてでも基礎から勉強をさせたいくらいだ。
それほどまでに英語は私の人生において高い高いハードルになってしまった。
授業が進み同じ小学校だった子達以外は私があまりに勉強が出来ないのに驚く程だった。
どの教科でも授業中に指されても答えられず何度も皆に笑われた。
それが辛くて余計に勉強が嫌いになった。
あっという間に私はクラスのおちこぼれ代表になってしまった。
そんな中、部活動の仮入部期間が終わり本格的に部活が始まった。
★
仮入部期間が終わってすぐのある日。
4時間目の授業が終わり給食の時間だった。
給食は班ごとに机を合わせて食べる事になっていて、オリエンテーリングで遭難した例の7人でお喋りをしながら食べていた。
苦労を共にしたせいか、遭難してからの私達の班はなんとなく他の班より仲が良かった様に思う。
班の皆はよく喋った。
他愛ない話をしていると急に津田くんが
「そーいえばさ、高木さんってなんで『アッキー』ってよばれてるの?」
と言ってきた。
それを聞いて私の隣に机をくっつけている瀬納くんも不思議そうな顔をする。
面白い展開になったと思った。
津田くんが白田さんに聞く。
「白田さんは『アッキー』ってよぶよね?なんで?」
「高木亜紀だから『アッキー』って小学校からよんでるよ」
白田さんが答えた。
「高木さん下の名前、『アキ』っていうんだ。だから『アッキー』かぁ」
瀬納くんが
「えっ?えっ?」
と私と白田さんを交互に見る。
吹き出しそうなのを我慢した。
「えっ??ねぇ!この人『マキ』じゃないの??」
聞く瀬納くんに白田さんが言う。
「え?『アキ』だよ??ね、アッキー」
「ふふっ」
瀬納くんが変な顔で私を見た。
「……『アキ』なの?『マキ』ってうそ?」
堪えきれずにとうとう笑ってしまったら瀬納くんを除く班の子達は
「???」
といった感じだった。
私は可笑しすぎて瀬納くんを見れない程だ。
「だっ、だまされてやんの。もういっしゅうかんくらいたってんのに」
「!!な、なんでうそついたの???」
「ん?んー、ん?」
「!?!?」
口を半開きにしている瀬納くんを見たら更に笑えた。
その日の放課後。
★
放課後になってクラスの井上(いのうえ)さんが私の席に来た。
井上さんは小学校でもそこそこ仲が良かった子だ。
中学で同じクラス、同じ部活になった。
「アッキー、部活いこー」
井上さんとは仮入部の時から一緒に部室に行く様になっていた。
「ん、ちょいまってー」
カバンに教科書を詰め込む。
瀬納くんがこちらを振り返って聞いてきた。
「部活どう?たのしい?」
「ん?めちゃくちゃ楽しーよ♪」
「バスケ部だよね?」
「……ふふっ♪」
「?」
井上さんに急かされたので席を立つ。
「おまたせ。いのっち、いこうか」
そう言って扉に向かった。
「…………ねぇ!ちょっと!」
歩き出そうとした井上さんを呼び止める瀬納くん。
「ねぇ、あの人何部!?」
井上さんが答える。
「??演劇部だけど?」
「ッ……まただまされた!!!」
瀬納くんの声にお腹を抱えて笑った。
部活はとても楽しかった。
演劇部は上下関係には厳しかったが、先輩達は優しくて格好良くてすぐに大好きになった。
演劇部は女子のみだった。
別に男子が入部してはいけない訳では無かったのだが、何故か男子の入部希望者はいなかったらしい。
総勢で40人を超える大所帯だった。
発声練習やエチュードが楽しくて楽しくて夢中になった。
部活の後は先輩達と先生に怒られるまでお喋りをした。
授業中は散々で家に帰りたくて仕方がなかったが、部活に行きたくて休まず学校へ通った。
★
5月も終わりに近づいた。
その頃から私は瀬納くんとよく話す様になっていた。
瀬納くんは結構本を読む子で、それを知った私が本を借りたのが切っ掛けだった。
そこからお互い本を貸し借りしたり感想を言い合ったりした。
瀬納くんの本のチョイスは私とは大分違っていて面白かった。
私は瀬納くんの事を「イチ」と呼んだ。
「せの」がなかなか覚えられなかったのと発音的に言いづらかったからだ(最初にせのっちと呼んだら「それやめて」と言われた)。
イチの方では私を何故か「オバサン」と呼んできた。
たまに「キミ」とか「あんた」とか言う時もあったが、大体は「ちょっと、オバサン」などと呼ばれた。
始めは正直ムカついたが慣れてしまった。
イチは陸上部に入ったらしく、毎日放課後はジャージに着替えてグラウンドで走っていた。
演劇部の部室の窓からはグラウンドが一望出来る。
イチが基礎練習をしたり走っているのが良く見えた。
特に意識して見ていた訳では無かったのだが、走るイチを見て(あいつ、けっこー足速いんだなぁ)と思った。
イチと私は中一だったしまだ身長も体重もほとんど同じくらいで、どちらかと言えば私の方が背が高かった。
まだ新しい、だぼっとした学ランを着たイチ。
まさかこのイチとその後10年近く関わりを持つ事になるとは私はこの時は思っていなかったが、それはまた別のお話。
★
6月。
演劇部では9月の文化祭と11月の大会に向けて発表する演目が決まった。
主役などの主要な役は三年生の先輩達から順にオーディションで決められるのが部での長年の決まりらしい。
40人を超える部員がいたので一年生がつける役は少なかったが、私はなんとかセリフのある村人Aの役に受かる事が出来た。
村人Aのセリフは二言だけだったし舞台に登場するのも数回だったが、それでもひたすら台本を読み込む。
私を含む新入部員は一年生8人で全員村人役についていたが、皆セリフの有り無しに関係無く毎日同じシーンを何度も繰り返し練習した。
部室前の廊下で大声を出してみんなで練習をしていたので、知らない先輩に「うるさいからよそでやって」と怒られたりもした。
クラスでは中間テストの結果が酷すぎて笑われた私だったが、そんな事はすぐに忘れて練習に没頭した。
初めての舞台は絶対に失敗したくなかった。
変わらずイチとは本の貸し借りをしていた。
部活が始まる前に時間があれば、私の小学校時代からの趣味のひとつのクロスワードパズルをイチと二人で解いたりもした。
それを見た他のクラスの子が
「あのふたり、付きあってるの?」
と話しているのを睨み付けるイチに
「ほっとけほっとけ、いちいちはんのーすんな」
と言う時もあった。
それほどイチとは仲が良かった。
★
発表に向けての演劇部での練習は順調に進んだ。
イチにはもう何冊も本を借りたり貸したりしていた。
変わらずイチとはよく話していたが、どうも見ているとイチは男子にそこそこ人気があったみたいだ。
彼の席回りには休み時間になると何人かの男子が集まっていた。
イチの席に来るのは大体同じ顔ぶれだったが、その中の一人が私は何となく気になり始めた。
同じクラスの中村(なかむら)くんだ。
中村くんは元気で明るく面白い子だった。
イチの席に来た時にはつい見てしまう。
「好き」という気持ちなのかは分からなかったが、気付くと中村くんを目で追う様になっていた。
一番後ろの席だったので私が中村くんを見ているのに気付いた子はいなかったと思う。
それに私はイチと噂になっていた。
中村くんにや他の男子にも
「高木とイチ、ラブラブだよな~」
とからかわれていたし、自分でも端から見れば(そう見えるだろな)と思っていた。
『高木とイチ』はいつも1セットで扱われ、「そんなんじゃない」といくら言っても誰も信じない。
けれどそれが逆に私の中村くんへの気持ちのカムフラージュになった。
(バレなくていいか)
こっそりそう思っていた。
★
期末テストが終わり夏休みに入った。
テストの点や成績表?察して下さい……(泣)。
とにもかくにも夏休み。
宿題は出されたが授業から解放されて本当にホッとした。
授業は無くても部活動はあったのでほぼ毎日学校には通っていた。
部活が終わると3年生の先輩達とグラウンドでバレーボールをしたり、ホースを引っ張り出してきて水をかけあって遊んだ。
3年生の先輩達と私達1年生が仲が良すぎる、と2年の先輩達から注意を受けたりもした。
校舎に続くグラウンド横の道を通る時に、陸上部の子達がやはり夏休み練習でストレッチをしたり走ったりしているのを見かける。
勿論その子達の中にはイチもいた。
たまにイチと挨拶程度に話をする事もあったが本の貸し借りまではしなかった。
夏休みに入って暫くは、部活以外は読む本も無く暇になってしまった(勉強はしなかった)。
その頃から私は家でとっていた新聞を読み始めた。
最初のうちは4コマ漫画のみだったが次第にコラムや書評、社会面にも目を通す様になった。
テレビの番組表しか用の無かった新聞が面白く感じ始めて、毎日欠かさず
「読みたい!読ませて!」
と父の読んだ後に奪う様にして新聞を受け取り、すぐに広げた。
更に夏休み中に兄から赤川次郎のミステリー小説を30冊程貰い受け、それも休みの間に全て読んだ。
小学校の頃に読んだ児童向けの明智小五郎モノや他の小説とは違う、時に色恋も含まれた大人が読む本は面白かった。
部活と新聞と本。
夏休みはこれらで過ぎて行った。
★
そろばんはたまに弾いていた。
塾には時々顔を出す程度だった。
前に3級に受かってから一年以上経っていたが、塾の先生からの強い勧めで6月だかに(よく覚えていない)2級を受けたら合格した。
2級に受かってからは塾に顔を出す事も無くなり部活動にばかり励んだ。
新学期になって久しぶりにイチの後ろの席についた時(???)と思った。
イチの頭の位置がおかしい。
「ちょっとイチ、立ってみて」
横に並ぶと私よりも低かった筈のイチの背が高くなっている。
私は小学生の頃から女子の中でも背が高い方だったのだが、イチに背丈で抜かされたのはショックだった。
「なんなん、イチ……。なに背ぇのびてんの」
言った所でどうしようもない文句をイチに言ったがイチは黙っていた。
それからイチの隣に立ちたくなくなり、席について話す以外は近づくのも嫌になった。
(クッソ、イチのくせに……)
とんでもなく理不尽な事を思いながら目の前のイチの背中を睨んだりしていた。
新学期になってからすぐに席替えがあったのに、何故か私はまた一学期と同じ席になった。
更にはイチまでまた私の前の席だ。
(なんだコレ。せきがえのイミまったくねーな)
そう思いはしたがまたイチの後ろで少し嬉かったのは確かだ。
中村くんや他の子達に
「おまえら、うんめいでつながってんじゃねーの?」
とまたからかわれた。
(こーいうのがなけりゃラクなのになぁ……)
からかってくる子達を適当にあしらいながら、またイチの後ろの席でぼーっとしていた。
★
文化祭での演劇部の舞台はミスも無く大成功だったと思う。
その後は11月の市の演劇大会に向けて演技などを詰めていく為に部活はまだまだ忙しかった。
文化祭が終わって一息つく間も無く今度は体育祭の準備で慌ただしくなった。
体育祭での競技でムカデ競争というのがあった。
クラスの男子、女子に分かれてそれぞれ全員の足をハチマキで縛って走る競技だ。
私は背が高いという理由だけで先頭になって女子達をまとめる役になってしまった。
ムカデ競争の練習は毎日あったが何日経っても足並みが揃わない。
「アッキー!もっとちゃんと声出して!」
「ちゃんとリードしてよ!」
と何度も皆に言われた。
人をまとめたりは苦手な私にとって、ムカデ競争の先頭は荷が重くて堪らなかった。
3週間程練習してもちっとも上手く全員で走る事が出来ない。
クラスのリーダー格で体育委員の小田原さんに
「おださん、私じゃムリだと思う」
と相談した所
「うーん、じゃあ堀口(ほりぐち)さんにかわってもらう?」
と案外あっさりとリード役を降りる事になった。
堀口さんはバレーボール部の小柄な子だったが声は大きくてリード役にはぴったりだった。
堀口さんが先頭に立って
「みんな!いくよー!!」
と声を掛けると一回でスタートからゴールまで初めて走れた。
結局そのまま先頭は堀口さんで決まった。
私はなんだか情けなくて仕方無かったのだけれど、回りの子達がそれに気付いていたかは分からない。
学校では平気な顔をしながら家では大分落ち込んだ。
★
モヤモヤの残った体育祭と10月中旬の中間テストが終わり、11月になって市の演劇大会を迎えた。
文化センターのホールを貸し切りにして行われる大会は3日間で、参加は約20校程。
結果から言えば私の中学は例年通り最優秀賞を取った。
初めての大きいホールでの舞台はもの凄く緊張したが楽しくもあった。
他校の舞台を幾つも見る事も出来、刺激も受けたし勉強にもなった3日間。
表彰式が終わりホールを出る時に思う。
(また来年もさ来年もここに帰ってくるんだな)
(ぜったいにまたさいゆうしゅう賞とってやる)
大会が終わってその足ですぐに打ち上げがあり、それで3年生の先輩達はそのまま引退になる。
先生の馴染みらしい喫茶店で行われた打ち上げでは、先輩達がいなくなる寂しさで1、2年生の殆どの部員が泣いていた。
引退する内田(うちだ)部長に
「みんな、これからも最優秀賞取り続けられるように頑張ってね」
そう言われて身が引き締まる。
次の部長は2年の藤田(ふじた)先輩に決まった。
3年生の先輩達が話し合って決めたらしい。
「来年も伝統を引き継いで最優秀賞取ります!」
藤田新部長はそう言ってやはり涙を流していた。
私も3年生の先輩達に握手をして貰って泣いた。
「部室にたまに遊びに行くからさ、泣かないで」
先輩達は皆そう言ってくれて更に泣けた。
★
市の演劇大会が終わってから気が抜けたのか、相変わらず一番後ろの席でぼけっとする日が続いた。
私はやっぱりクラスでは落ちこぼれで、もうすぐ期末テストだというのに勉強の「べ」の字もしなかった。
一学期の頃からテスト用紙が返されるたびにイチがわざわざ振り返っては
「テストどうだった?」
と聞いてきていた。
私だけ言いたくない、とイチのテスト用紙も無理矢理奪って見た所、英語以外は私とどっこいどっこいと言った感じだった。
「あんたあんがい勉強できないんだね」
「キミ、人のこといえんの」
「私はべつにテストとかどーでもいーし」
そんな会話をテスト後毎回していた。
もうすぐ12月になるという頃、同じ演劇部で仲良くなった子がいた。
劇で村人B役についていた三間坂(みまさか)さんだ。
少しリーダー気質の三間坂さんを最初のうちは警戒していた。
だが一年生の中でセリフのある役についた二人という事で、何かと一緒に行動するのが増えていた。
三間坂さんは見た目ちょっとだけ、いかつい感じの子だった。
骨太でガッシリとした体つきと同様に声もそこそこ大きく、演技も大振りだ。
だが話をしてみるととても女の子らしい子だった。
お菓子作りや料理が好き。
たまにポエムを秘密のノートに書いているのも私にだけこっそりと教えてくれた。
そんな彼女が面白くてどんどん仲が良くなっていった。
★
12月はイチの誕生日があった(前に聞いていた)。
私はイチに手紙を書く事にした。
校舎の端にはベランダに続いて裏に非常階段があり、ちょっとしたスペースがあって皆そこを裏ベラと呼んでいた。
誕生日を迎えて放課後、イチに「ちょっときて」と裏ベラに呼んだ。
誕生日プレゼントと手紙を渡す。
手紙の内容はこうだ。
「イチとは好きじゃなんだとかでなく、ずっといい友だちでいたい。
まわりは色々言うけど、気にせず仲良くしてほしい。
これからもよろしく」
実際はもっと長文だったと思うがよく覚えていない。
手紙とプレゼントを受け取ったイチはなんだか変な顔をしていた。
裏ベラから戻った私達にまだ教室に残っていた子達が
「コクハクしたの!?どうだった!?」
と聞いてきたが
「そんなんじゃないって」
とだけ言った。
イチは黙ったままやはり変な顔をしていた。
期末テストが終わり社会科のテストが返された時だった。
どういう話の流れだったか分からないが、クラスの男子のだれかが言う。
「せんせー!教師ってだれでもなれんのー?」
「誰でもなれる訳じゃないぞー。万引きとかしてると教師にはなれないんだ」
そう言った先生と私は目が合った。
暫くの間私をじっと先生は私を見ていたが、それはほんの数秒だったと思う。
(そっか……私、教師なれないんだ……)
なんとなくショックを受けた。
(そっか……そうなんだ……)
別に教師になりたかった訳ではなかったが、気持ちのどこかにしこりの様なものが出来たのはそれからだった。
★
冬休みに入る前に今度は「3年生を送る会」での演劇部の劇の脚本が決まった。
文化祭や大会の時と同じ様に先輩方からオーディションで主な役についていく。
今度の劇は登場人物が少なく、ほぼ2年生の先輩方で役が埋まった。
私はまた出番は少ないがセリフのある役を貰う事が出来た。
自分で言うのも何だが私は1年生の中でも声が大きく、部内では目立っていた。
オーディションの時も
(みんなと同じ演技はしない。人とはちがうことをする)
といつも思っていた。
体育祭でのムカデ競争や教室では目立ったりまとめたりは嫌いだったのに、こと部活となると全く別人の様だった。
冬休みになっても部活でやはり学校には通っていた。
イチもまた陸上部の練習で朝から学校に来ていた。
学校の校門を入るとすぐに陸上部の倉庫兼部室があり、棒高跳び用の大きく分厚いマットレスが置いてある。
グラウンドと校舎へ続く道の間には高さが10メートル程あるネットが張られていた。
イチや他の陸上部員の男子達がマットレスによく座っては話をしていて、ネット越しにイチに軽く手を挙げて挨拶をしたりしていた。
そんな風にしていたのだがどうやら私は陸上部の女子部員の子達にあまり良く思われていなかったらしい。
イチに声を掛けると女子達は固まってこちらを見ながらヒソヒソと話をしている。
それがなんだか気分が悪くて段々とイチに声を掛けるのが面倒になってしまった。
冬休みが終わる頃にはマットレスに座っているイチをちらりと見るだけになった。
★
年が明け3学期になってすぐに席替えがあった。
今度の私の席はベランダ側、後ろから二番目だ。
イチは廊下側の一番前の席になった。
端と端とで分かれてしまい、何だか目の前が寂しくなってしまった。
本の貸し借りも気軽に出来なくなり、話相手はいないし、読む本もないしでとにかくつまらなかった。
新しい席では頬杖をついて窓の外を見るのがほとんどだった。
授業中もぼーっとしていて怒られてばかりだ。
部活だけは一生懸命だったが、それ以外では何処も私には良いところが無かった。
仲良くなった三間坂さんがたまに教室に遊びに来てくれていた(三間坂さんは別のクラスだった)。
それでも休み時間毎にという訳でも無かったので、やはり退屈なのは変わりがない。
(イチの後ろがよかったなぁ……)
よくそんな事を考えていた。
中村くんをたまに目で追っていたが、見ている内にクラスの八木(やぎ)さんと仲がいいのに気付いた。
八木さんは私と同じ小学校出身で、髪がキレイで長くて顔つきも可愛らしい子だった。
中村くんと八木さんは給食係同士で、給食の時間だけでなく休み時間にもちょっかいを出したり出されたり、といった感じだ。
(……なんか、いいなぁ)
八木さんを羨ましく思った。
(かわいいもんな、八木ちゃん)
私とは見た目も中身も正反対な八木さん。
(やっぱり八木ちゃんみたいな子、男子って好きになるんかな)
色々とモヤモヤしながら2月になった。
★
クラスの女子達が何だかそわそわしはじめた。
2月といえばバレンタインだ。
私も小学校の頃は仲の良い女子とチョコレートを交換し合ったりしていたが、今年はどうしようかと考える。
演劇部の先輩方や同じ一年の部員の子達には勿論、中村くんや他の少し仲の良い男子達にも『義理』として渡そうかと思った。
一応、イチにも友だちとして。
それまでは既製品のチョコレートを買って友だちと交換していたが、何となく手作りをしてみたくなった。
学校では恥ずかしいので家でノートに作りたいチョコレートの絵を幾つか描いてみる。
難しい事は出来ないので
(カンタンで、見た目おいしそうなやつ)
と色々描き出す。
(クッキーとかイチゴとか使えないかな)
段々楽しくなってきた。
バレンタインまであと3日になり、手作りチョコの準備が大体整った。
授業が終わり放課後になると、クラスのあちこちから小声で『チョコが……』と女子達が囁き合っているのが聞こえた。
(やっぱみんなバレンタインチョコだれかにわたすんだなぁ)
そんな風に思っていたら私の席の後ろの方から、八木さんと、八木さんと仲の良い麻生(あそう)さんの声が偶然耳に入ってきた。
「ねぇ、あげるんでしょ?だいじょうぶだって」
「………うん………でも………」
「八木ちゃんからならぜったい受け取るってば!ね?」
「…………だけど…………」
ちらりと後ろを見たら八木さんと目が合った。
「あっ!」
麻生さんが声を上げる。
★
「ちょっ!アッキー、今の聞いてた!?」
「………あー、えっと……もしかしてバレンタインの……」
「アッキー!!しー!!」
麻生さんが慌てて私が喋るのを止めた。
「八木ちゃん、ごめんっ!アッキーに……」
謝る麻生さんに八木さんが言う。
「アッキーなら聞かれてもだいじょうぶかな……」
「えっ?いいの?なんだぁ、良かった~」
麻生さんはホッとした様子だった。
「??どしたん?」
私が聞くと麻生さんが話しはじめた。
「うん。あのね、八木ちゃんが中村にチョコあげるかどうしようかってまよってるんだって」
「……………そ、うなん………?」
こくりと八木さんが頷いた。
更に麻生さんが言う。
「まようことないのにさぁ。どうしよう、どうしようって。だって八木ちゃん、中村にコクハクしたんだもん。ねっ」
心臓がバクバクと鳴り出した。
「……………あ……う、ん…、そうなんだ………」
(……いま私変な顔してるかも……)
★
麻生さんが八木さんに聞く。
「八木ちゃん、ほんとにアッキーに言っちゃっていいの?」
「うん、アッキーは小学校いっしょだったし。アッキーなら」
「そっか。あのね、アッキー、ほかの人にはぜったい言っちゃだめだからね?八木ちゃんね、二学期の時に中村にコクハクしたのね」
私は八木さんの顔も麻生さんの顔も見れずにいた。
「……あ、…………あー………」
「中村もね、ねっ、八木ちゃん」
「アッキー、聞いてくれる?………中村にね、前にコクハクしたんだ……。で、中村もね……すきだって………」
「そうなんだよ、りょう思いなんだよ八木ちゃんたち。なのにさー、中村がなんかハッキリしないらしくて」
「うん……。ハッキリとかっていうか……ふたりでどこか行ったこととかもないし……」
「でもさぁ、ちゃんと八木ちゃんのことすきっていってたんだからさ、チョコぜったい受けとるよね?」
「………でもコクハクしてからけっこう時間たってるし……」
「だいじょうぶだってば!てゆーか中村、あいつ男なんだからさ、すきならさぁ……」
それ以上は八木さんや麻生さんが何を言っているか頭に入って来なかった。
家に帰ってチョコ作りを始めた。
黙々と作業する。
出来上がったチョコレートをひとつ食べてみた。
(…………おいしい…………)
でもそれ以上食べたいとは何故か思えなかった。
★
バレンタイン当日は部活の先輩方や同じ一年生の部員の皆にチョコレートを渡した。
イチゴのチョコソースがけという簡単なものだったが、部の人達には概ね好評だった。
なんとなく勘違いをされても困ると思い、クラスの仲の良い男子達には翌日の15日に渡そうと決めた。
仲が良いと言ってもイチを含めて3人だけだ。
中村くんの分は用意しなかった。
15日になって給食後のお昼休み、二人の男子に
「ギリだけどこれあげるよ」
とこれまた簡単にラッピングしたチョコを渡す。
イチ繋がりで仲良くなったその男子二人にはあっさりとチョコをあげる事が出来たが、問題はイチ本人だった。
バレンタイン数日前までは
(イチにはせわになってるし)
と他の人に渡すものよりも二つチョコを増やし、少し豪華めのラッピングで渡そうと決めていた。
が、15日になっていざイチに……とお昼休みに渡そうとしたが急に恥ずかしくなってしまった。
(イチにだけごうかにとかしなきゃよかった……)
数日前の自分の考えを後悔した。
目立つのだ、凄く。
たった二つ多いだけのチョコレートは思っていたよりも嵩が増し、箱も大きくなってしまった。
離れたイチの席に持って行くにはあまりにも目立つ。
何より他の男子二人に渡したものと違うのがバレたら、また回りから何を言われるか大体想像がついた。
結局その日はイチにチョコレートを渡す事が出来なかった。
(もー!何やってんだ私!!)
★
16日にもイチの分のチョコレートを学校に持っていった。
今日こそ放課後に渡そうと思っていた。
何だかドキドキして、そうでなくてもいつも聞いていない授業が余計に聞こえない。
(イチにわたすだけなのに!!)
頭の中でイチに
『ほらよ、あげる』
と何度も渡す時のシミュレーションを繰り返す。
そんな風に考え続けていたら授業も終わり、あっという間に放課後になった。
イチは休み時間や放課後はよく廊下側の教室の壁に背を付けて、机に向かわず横向きに座っていた。
イチの席は教室の廊下側、一番前だったので横を向いて座ると教室全体を見渡せる形になる。
何故だか昨日から休み時間になるとイチがこちらを見ている気がしていた。
その日も放課後になってやはり私の方を見ている。
チョコレートの入ったカバンを机の上に置いて横目でイチの方を窺うと、やはりこちらをチラチラと気にしているようだ。
(なんだよ、早く部活のじゅんびしろよ…!)
イチが立ち上がったら後を追いかけて、さっと渡してしまおうと思っていたのでなかなか席を立たないのにイラついた。
教室にはまだ沢山の生徒がいる。
(ムリムリ!教室でとかじゃムリ!!)
そう思ってもイチは立ち上がる様子もなくただこちらを見ている(気がする)。
「アッキー、部活いこー?」
「うああっ!?」
急に声を掛けられて変な声が出た。
★
「アッキー、部活いこー?」
「うああっ!?」
急に声を掛けられておかしな声を出してしまった。
同じ演劇部で一緒のクラスの井上さんがいつの間にか私の席の横に立っていた。
「??アッキーどしたの?」
「あ、わ、あ、いや、なんも……」
「早くいこーよ、おくれちゃうよ?」
「………あ、あー………い、いのっち!!」
「???」
「あ、あのさ!こないだのチョコ、どうだった?あじ……」
「チョコ?あー、くれたやつ?おいしかったよ」
「ほんと?……じゃ、じゃあさ、まだあるんだけどたべないっ!?」
カバンからチョコレートの入った箱を取り出す。
「おおく作っちゃってさ、たっ、たべない?」
「えっ?いいのー?食べる食べる!」
ガサガサとリボンと包装紙を外して井上さんに箱を差し出した。
「わー、ちゃんとハコに入ってるんだぁ。いただきまーす♪」
「どーぞどーぞ!わ、私もたべよかな……」
結局チョコレートはイチには渡せず、井上さんと私の腹の中に収まってしまった。
(ダメだな……私……)
それから数日ずっと落ち込んだ。
(イチにあげらんなかった……)
箱やリボンも揃えたのに、と自分にガッカリした。
★
私はクラスのストーブ係だった。
朝は早く登校して用務員さんのいる倉庫にポリタンクを取りに行く。
ストーブに灯油を入れてスイッチを押し、火を着けるまでが私の仕事だった。
面倒だなとは思いつつも毎朝仕事をこなした。
用務員さんは二人いて、その内の一人の用務員さんに私は何故だか覚えが良かったようだ。
ポリタンクを受け取る時には用務員さんと他愛もないお喋りをしたり、私が寒くて鼻をすすっていると風邪薬をくれた事もあった。
もう一人の用務員さんはなんだかいつも怒った様な顔をしていて、挨拶をしても素っ気ない感じだった。
日替りで勤務していたらしく、怒り顔の用務員さんの日には倉庫に行くのが少し嫌だった。
ストーブを着けてもすぐには暖まらない。
倉庫から帰ってきて冷えた体を震わせながら、まだかまだかとストーブの前で火が大きくなるのを待った。
ストーブの位置は廊下側の扉前、イチの席の目の前だ。
イチが朝練を終えて教室に入ってくる。
「お、イチおはよ」
「はよ」
席に着くイチと挨拶を交わす。
「今日もさむいねー」
「そお?走ってたからわかんね」
「そりゃあんたはそうだろけどさ」
「あ、それよりオバサン、こないだの本だけど」
そんな風にイチと話す時間は短かったが、私には大事に思えた。
段々と暖かくなるストーブの前で、気心の知れた誰かと一緒にいると気持ちまで温まっていく気がした。
★
2月も下旬になりあと数日で「3年生を送る会」での演劇部の舞台本番だ。
練習も大詰めを向かえ部員の皆が下校時間ギリギリまで部室に残り、帰り間際に衣装や道具、音響などのチェックをする。
本番も近いのでチェックをするだけでも気は抜けない。
その日も一通りチェックが済み、2年生の先輩方がいつもの様に私達に
「じゃあカギ閉めお願いねー」
と言って先に帰っていった。
3年生の先輩方が部を引退してからは、部室のカギを閉めるのは私達1年生の役割になっていた。
先輩方が帰ってから残った私達は部室で少しお喋りをしてから帰るのがいつもで、よく見回りに来る用務員さんに
「お前ら早く帰れ!」
と言われていた。
そんな風に『お前ら』呼ばわりするのは決まって二人いる内の一人の用務員さんで、いつも素っ気なく怒り顔のあの用務員さんだった。
「そろそろ帰んないとね」
暗くなりかけの窓の外を見て1年生の誰かが言った時だった。
急に部室の扉が開き
「お前ら!まだ残ってるのか!早く帰れ!!」
と怒鳴られた。
怒り顔の用務員さんだ。
(……またかよ、いっつもうるせージジイだな)
ついイラっとしてしまった。
「わかってますよー。帰ります帰りますー」
そう私が答えると
「なんだ!!その言い方は!!」
と、いつもなら入って来ない用務員さんがズカズカと部室に入り込んで来た。
「お前か!今生意気な口利いたのは!!」
私の目の前に立ち、唾を飛ばしながら用務員さんが怒鳴る。
「はい?なんですか?ナマイキ?」
「お前!!何年生だ!何組の奴だ!!」
「はぁ?それ聞いてどーすんです?てかナマイキってなんですか?」
「黙れガキが!!いいから何年の何組だ!」
「ガキ!?そういうよび方ないでしょ!?」
口論になってしまった。
★
「ガキにガキって言って何がおかしい!!」
「おかしいのわかんないんですか!?だいたいいっつもなんなんですか、どなりゃいいってもんじゃ」
「黙れ!!口答えするな!」
「口ごたえもしたくなるでしょ!?いつもどなるしメイレイするし、もうちょっと言いかたってあるでしょーが!」
唾を飛ばしながら怒鳴る用務員さんを睨みながら答えた。
「怒鳴って何が悪い!!お前らガキがだらだら残ってるのが悪いんだろうが!部活だかなんだか知らんがガキが一丁前にこんな時間までいやがって!」
「ガキガキ言うの止めてもらえません!?それに学校がこの時間までいていいって決めてんですよ!?なのにいつも」
「うるさい!!ガキはガキだ!大体な!女子供は学校なんて来る必要無いんだ!家で大人しくしてろ!!」
「はぁ!?女子供!?来るヒツヨウない!?何言ってんですか、いつのジダイですか!?おじさんおかしいですよ!?」
「うるさい!!」
また唾を飛ばす。
「おじさん、とりあえずツバとばすのやめてくださいよ、センベイくさい…」
そう私が言うと用務員さんは近くにあったイスを蹴り飛ばした。
「きゃあっ!」
回りで見ていた部員の誰かが悲鳴を上げる。
「ちょっとっ!あぶないでしょ!?ものに当たんないで下さいよっ!!」
そう言ったが用務員さんは聞く耳も持たず
「お前の顔覚えたからな!?ガキが!!」
と言って部室から出て言った。
「なんだありゃ?頭おかしいんじゃねーか??」
「………ア、アッキー………」
「ん?あ、ごめんねみんな。ケガとかしてない?イスとんだっしょ」
私が振り返るとすぐ近くにいた三間坂さんが言う。
「…………アッキー、なんかアッキーこわかった………」
「え?こわいってなんで??」
「なんか……キカンジュウ?みたいだった、バババって話して……」
「へっ?そう??ま、いーや。ジジイまた来たらメンドウだからさ、みんな帰ろ」
固まっている皆にそう言って部室を出た。
★
翌朝、倉庫に灯油を取りに行くと、仲の良い用務員さんがいたのでまたいつもの様に少し話をした。
翌々日は怒り顔の用務員さんだったが、用務員さんが背を向けている時にサッとポリタンクを持って倉庫を出た。
朝のホームルームで担任の遠藤(えんどう)先生が出欠席をとった後、私をじっ…と見つめてきた。
何となくだが
(ジジイのことだな)
と思ったが、遠藤先生は何も言わなかった。
お昼休みになって部活の顧問の花巻(はなまき)先生に用事があったので、三間坂さんと一緒に職員室に向かった。
私達1年生の教室は校舎の4階、職員室は2階にある。
昇降口(げた箱)前を通って職員室に向かう途中で、昇降口の入口にあの怒り顔の用務員さんがいるのがちらりと見えた。
職員室で用事を済まし昇降口前を通るとまだ用務員さんがいた。
三間坂さんに小声で
「……ジジイいるわ」
と言うと三間坂さんも用務員さんに気付いて、やはり小声で
「……はやくいこ。きらい、アイツ」
と答える。
一昨日の事も、担任の先生に告げ口をした(だろう)事もムカついていた私は大きな声で
「せんべージジー!!」
と叫んだ。
びっくりした顔の三間坂さんに
「はしれっ!!」
と言って二人とも走り出した。
階段を駆け上がって踊り場で息をつく。
用務員さんが追いかけて来ないのを確かめてから三間坂さんと顔を合わせて笑った。
(あんなジジイになに言われたってしるかっつの!)
朝からずっとそう思っていたのでスッキリした。
★
翌日のお昼休みに遠藤先生に廊下へ呼び出された。
どうせ用務員さんの事だろうと思ったらやはりそうだった。
けれどてっきり怒られるのかと思いきやなんだか先生の話は違っていた。
「高木さん、用務員のおじさんと喧嘩したでしょ?」
「ケンカっていうか…なんか色々言われてムカっときて」
「ジジイとか言った?」
「あー……ハイ……きのう……」
「………うーん、あの用務員さんね。昔、警察官だったんだよ。だから少し頭がね。固い所があるみたいでね」
「??……ハア」
「なんか用務員さんも良くない事言ったでしょ?」
「………オンナ子どもは、とかなんか……」
遠藤先生が腕組みをして天井を見上げた。
「うーん……良くないねー」
「……あの、ジジイはちょっとまずかったと思いますけど、イラっとして」
ふぅ、とため息を吐いてから先生は言う。
「もう一人の用務員さんにね、高木さんの事聞いたんだよ。そうしたら高木さんすごくいい子だって言ってたんだよね」
「??」
「いつも挨拶もちゃんとしてるらしいし、倉庫整理たまに手伝ってるんでしょ?先生は知らなかったけど」
「あー……いや、手伝うってか……灯油重いし、大変そうだったし……」
「うん。だからね、栗原(くりはら)さ…、あ、高木さんと喧嘩した用務員さんがね、すごく怒って結構酷い事言ってたからね」
「……ハア……」
「用務員さんの方が問題になっちゃったんだよね」
「……??」
★
遠藤先生が話す。
「前からもね、あの用務員さん色々揉め事あってね。うーん……、女の人をね、下に見たりする所とかがあってね」
「………」
「で、高木さんさ。今回用務員さんに言われた事も言った事も忘れていいから」
「え?」
「あの用務員さん、今年度いっぱいで辞めるの前から決まってたからね。忘れていいよ。で、明日から僕も一緒に灯油取りに行くから」
「え、あ…」
「高木さんは普通にしてたらいいから。何かあったら僕が話すから」
遠藤先生は私をまっすぐ見ていて、話に嘘が無いのが何となく分かった。
「……ハイ……、あの、でもなんか……すいません」
「だけど口の悪いのは程々にしなきゃ駄目だよ?」
「……ハイ」
私が答えると先生はニコッと笑った。
「じゃあもういいからね。あ、あさって3年生を送る会だね。演劇部頑張ってね」
翌朝から本当に遠藤先生は倉庫まで着いて来てくれる様になった。
栗原さんという用務員さんの日に倉庫に行くと物凄い顔つきで睨まれたが何も言われなかった。
一度だけ栗原さんと廊下ですれ違った時に
「………ガキが」
と目も合わせずに言われたが、それは先生には話さなかった。
★
無事に3年生を送る会も終わり、あっという間に卒業式を迎えた。
式の日の朝から三間坂さんはずっとしょんぼりとしていて、式が終わり解散の時間になると私の元へ来て顔をぐしゃぐしゃにして泣いていた。
どうやら三間坂さんは3年生のサッカー部だった男の先輩に片想いをしていたらしい。
「…もうセンパイ見れないよ~、うあ~ん」
とボロボロと涙を溢して鼻をすすりながら、その先輩への贈り物らしい手作りクッキーの包みを胸元に押し当てていた。
「うぅ…センパイこれうけとってくれるかな……ううっ……」
ずびっ、ずびっと何度も鼻水をすすりながら
「……わだしてくる~。うぅう……」
と言って三間坂さんは片想いの先輩の所へ駆けていった。
その年は桜の開花が早く式の日には花はすでに満開だった。
グラウンド横の歩道脇に何本も植えられている桜の木からは、強い風に煽られてたくさんの花びらが散っていた。
花びらの中を駆けていく三間坂さんの姿を見ながら、私は昇降口の階段下で一人でボーッとしていた。
なんだか複雑な気持ちだった。
幼稚園の頃は卒園の意味もまだ分からなかったし、小学校の時は顔ぶれも特に変わらないのだから、と卒業には何の感慨も沸かなかった。
なのに今、ピンク色に染まった景色の中で笑ったり泣いたりしている人達を見ていると、不思議と私の目にも涙が浮かんだ。
(……卒業って)
こんなにも寂しくて、こんなにも綺麗なんだな、と初めて思った。
(センパイ達がしあわせになれますように)
心からそう願った。
そして三間坂さんは見事に先輩にフラレた。
★
卒業式に咲いていた桜も散って春休み。
部活では特にする事もなく、私達1年生にも気持ちに少し余裕が出てきた頃だった。
1年生の部員は私を含めて8人だったが、その中のひとりである加藤(かとう)さんが部内で問題になってしまった。
加藤さんは私と同じ小学校出身で、小学生の頃は私と加藤さんの家が近かったのもあり、たまに二人で遊んだ事もあった子だ。
3年生を送る会までは加藤さんも他の1年生も皆仲が良く、部活の時間はほとんど8人で揃って一緒に行動していた。
が、春休みに入ってから加藤さんが私達と距離を置く様になった。
理由は分からなかった。
加藤さんは部室の後ろの席にひとりで座り、私達の方を見る事も余り無かった。
私も他の1年生も加藤さんを気にはしていたが、離れていく理由も分からないし、どう話し掛けていいか考えあぐねている所もあった。
2年生の先輩方が加藤さんを心配している様子なのも何となく伝わって来ていた。
時おり先輩方の私達や加藤さんへ向ける視線に気付いたが、誰も何も言わないまま時間だけが過ぎて行った。
もうすぐ春休みも終わり新年度になるという頃、私は2年生の荒川(あらかわ)先輩に廊下に呼び出された。
私ひとりが呼び出されたので
(なにか目ぇつけられるよーなことしたのかも)
とびくびくしていた。
荒川先輩は美人で声の綺麗な人だった。
けれど学校内では不良だと噂されていて、部活でも少し浮いた感じの存在の先輩だった。
まだ中学生だというのに荒川先輩はお化粧をし、長いスカートにはよく見るとタバコの火で開いたらしい穴が幾つもあった。
そんな荒川先輩に二人きりで話があると言われ怖くて堪らなかった。
★
部活が始まってすぐに荒川先輩に
「高木さん、ちょっと廊下来て」
と言われビクビクしながら先輩の後について廊下へ出た。
(なんだろ…私なんかしたかな…)
春休み終わり間近の校舎は人気も殆ど無く矢鱈と静かで、その静けさが余計に私を不安にさせる。
何を言われるのか怖くて下を向いている私を荒川先輩はじっ…と見つめていたが、暫くして口を開いた。
「あのさぁ、高木さんさ」
「…………はい…………」
「高木さんてさ、1年生の中でリーダーみたいな感じだよね?」
「………?………あ、いえ、そんなでも……」
(……あー……ヤバい、私目立っちゃってたんだ……。それで先輩怒って……)
「……高木さん、加藤さんの事どう思ってる?」
「……………??」
「最近加藤さんひとりでいるよね?気付いてる?」
「あ………はい……なんでか加藤さん私達からなんか……離れていっちゃってて……」
「そういうのさ、良くないよね?」
「……はい……」
「うん。でさ、高木さんなら加藤さんの事何とか出来ないかな」
「??」
「高木さん、ムードメーカー?みたいな所あるしリーダーっぽいとこもあるよね」
「…………」
「私ね、高木さんなら加藤さんの事何とか出来ると思ってるのね。これ2年生みんな同じ考えなの。このままだと加藤さんにも1年生みんなにとっても良くないよね?」
何か怒られるのだとばかり思っていた私は荒川先輩の話にびっくりした。
何より先輩方が私達1年生の事をよく見てくれていたのにも驚いたし嬉しかった。
「どうかな、加藤さんとみんなが前みたいに仲良くなれる様に出来ない?」
★
「どうかな。加藤さんとみんなが前みたいに仲良くなれるように出来ない?」
「……………あの」
「うん?」
「………あの…や、ってみます。ただ……、うまく出来なかったらすみません………」
「……うん。お願いね」
荒川先輩からの話を請け、部活が終わり家に帰ってから色々と考えてみた。
…が、考えてみた所で加藤さんの気持ちが解る訳でもない。
今までだって加藤さんの気持ちが解らなかったから何も出来ずにこうなっているのだ。
(考えてわかんないなら……)
翌日。
部活始まりの15分前、私は部室になっている図書室の後ろの方の席にひとりで座って窓の外を見ている加藤さんの元へ向かった。
「かとーさん」
声を掛けた私を気だるそうにチラリと見て加藤さんは
「何?」
とだけ答えたが、またすぐに窓の外に目を向けた。
「うん、ここ、すわってもいーい?」
加藤さんが着いている前の席を指差す。
「…………別に用ないでしょ。あっち行ってなよ」
「んー、用とかじゃないんだけど、だめ?」
「………………」
加藤さんは答えない。
「たまにはしずかなのもいーかなーって思って。ちょっとだけ。ね?」
「好きにすれば」
「うん」
加藤さんの前の席に座る。
「…………………」
「…………………」
加藤さんも私もお互い何も話さない。
加藤さんは黙って窓の外を見たまま。
私はイスの背もたれにだらしない感じで体を預けて辺りをゆっくり見回す。
(…………ふーん…………この場所って……)
私の座っている席からは部室内がよく見えるのに気付いた。
それまでは割りと広いと思っていた部室だったが、今いる位置からだと案外と部屋は狭く感じる。
いつも気にせず普通に話をしているつもりだったが、他の部員の皆の声は結構大きくて話の内容まで解るほどだった。
(………あー………これはちょっとなー………)
加藤さんが好きな雰囲気ではないな、と思った。
後、もうひとつ気付いた事があった。
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