子供の頃の話
「バイブ届きました」の主・高木亜紀の子供の頃の話を書いていきたいと思います。
※いじめ、犯罪行為、精神疾患、性的なシーン等ありますので苦手と思われる方にはスルー推奨させて頂きます。
※日記「バイブ届きました」の内容と重複するレスがありますのでご注意下さい。
18/04/04 01:58 追記
※人物名、地名、建物名等を除いてほぼノンフィクションです。
- 投稿制限
- 参加者締め切り
★
小学生の頃、私と加藤さんの家は割りと近かった為よく遊んでいた。
私が幼稚園児の時にひとりで入り込んで遊んでいた、あの公民館のすぐ目の前が加藤さんの家だった。
公民館の駐車場は広くて、私の通っていた小学校の児童達の格好の遊び場になっていた。
加藤さんとふたりで遊ぶ様になったのも、その公民館の駐車場で知り合って意気投合したからだ。
加藤さんは平凡な感じの家の一人っ子だ。
お父さんはサラリーマン、お母さんは専業主婦。
こじんまりとした一軒家に住んでおり、時おり加藤さんの家で遊ばせて貰った事もあった。
少し陽当たりの悪い加藤さんの家の中は、外が日が照っていてもいつも薄暗かった。
加藤さんのお母さんは余り騒がしいのが得意ではなかった様だ。
家にあがらせて貰った時は少し小さめの声で話すのが約束事になっていた。
加藤さんのお父さんが帰宅したら遊ぶのは終わり、というのも何となくの決まりだった。
お父さん子だった加藤さんは、お父さんが帰ってくるとそれまでとは別人の様に笑って大きな声で話していた。
普段小声で話す加藤さんが、お父さんの前とでは全然違うのに驚く程だった。
静かな少し暗い家で小声で話すのがいつも。
矢鱈と陽当たりが良く部員の話し声で騒がしい部室は、そういう家で育った加藤さんにとっては居心地が悪かったのだろう。
けれど、かと言って加藤さんは大人しい子だった訳ではなかったし、人と話すのも嫌いだったというのでもなかった。
私と仲良くなってくれて、外ではいたずらをしたり走り回っていた彼女だ。
人や楽しい事が好きでちょっとだけ寂しがり屋だった。
そんな加藤さんについて気付いたもうひとつの事。
部室の一番後ろの席で窓の外に顔を向けてはいたが、加藤さんは何も見ていなかった。
★
加藤さんは窓の外に顔を向けてはいたが何も見ていなかった。
私はそれに気付くまでは、加藤さんはグラウンドで動く人でも見ているのだろうと思っていた。
が、それは違った。
何故なら窓の外には手すり付きのベランダがあるのだが、丁度彼女の席横は鉄の格子手すり部分ではなく、コンクリートの手すり壁だったからだ。
ただただ、加藤さんは灰色のコンクリートの壁を見ているだけだった。
(これは……色々キョウリョクしてもらわないとダメかな……)
「かとーさん、ごめんねジャマしちゃって。むこー行くね」
イスから立ち上がってそう言ったが、加藤さんは返事はしてくれなかった。
1年生の固まって座っている場所は部室のベランダ側、真ん中だった。
普通の教室より広く作られている図書室は窓も大きく、私達1年生のいる所は陽当たりがとても良い。
日によってはまだ春だと言うのに暑く感じる程だ。
因みに「図書室」と言っても極端に本は少なく、教室の後ろの小さな書架に図鑑が何冊か置かれているだけだった。
一応「本の保護の為」なのか、「図書室」のカーテンは分厚い。
はじに寄せられているカーテンのおかげでか、「部室」の両端は陽当たりもなく涼しかった。
1年生が固まっている場所に戻って考える。
(まずは場所からだな)
春休みが終わるまで、残り3日。
★
その日の内に出来る事はしようと思い、部活の休み時間に2年生の先輩方の所へひとりで向かった。
いつも劇や発声練習等の為に、部活が始まる前に教室内の机をベランダ側に寄せる決まりだ。
なので先輩方が座っているのはやはりベランダ側で、部室の前方だった。
「……あの…センパイ、ちょっといいですか?」
お喋りをしている先輩方に声を掛ける。
その先輩方の中に荒川先輩がいるのは勿論確認済みだ。
そして加藤さんが部室にいない事も。
「?どしたの??」
副部長の西山(にしやま)先輩が答えてくれた。
「あの、ソウダンがあるんですけど……」
「??」
「えっと、春休み終わったら『新入生カンゲイ会』の練習はじまりますよね?」
「?」
「したら、えっと、たぶん私たち今の1年生がオンキョウとかショウメイとか中心になってやるようになりませんか??」
「あー、そうだね。新歓のは多分1年生ほとんど舞台出れないだろうし、そうなるかな」
(よし!)と心の中で小さく思う。
「高木さん、相談って新歓の舞台の事?」
西山先輩が首を傾げた。
「あ、えと…ソウダンというかお願いになっちゃうかもなんですけど……センパイ方のこの場所、私達に、あの…くれませんか?」
「へっ??」
私と西山先輩とのやり取りを他の先輩方も何人かが聞いていた。
荒川先輩もこちらを黙って見ている。
「え?私らにここから移れって??」
西山先輩が訝しげに言う。
「あの、うつれとかっていうか…あの……」
黙って見ていた荒川先輩が
「高木さん」
と私の名前を呼んだ。
★
「高木さん」
それまで黙って見ていた荒川先輩が私の名前を呼んだ。
訝しげな顔の西山先輩と違い、荒川先輩の顔つきはいつもと変わらず落ち着いた感じだ。
けれど整った顔の荒川先輩の表情は少し冷たく見えるのがいつもの事で、その時もその表情が私はやはり怖かった。
何となく返事が出来ずにいたが荒川先輩が続けて話す。
「なんかさっき照明や音響がどうとか言ってたけど、どういうこと?何かあるの?」
「あ!はい!……あ、えと、そうなんです、ちょっとカンケイあって」
私がそう答えると今度はまた西山先輩が
「関係??」
と、首を傾げる。
他にもその場にいた先輩方皆が私を見ていた。
やっと本題に入る事が出来そうになってホッとした。
新入生歓迎会での勧誘を兼ねた劇は、文化祭や演劇大会とは違い上演時間が短い。
その為に劇の出演者も少なくなり、先輩方から優先的に役に付くのが慣習だと顧問の花巻先生から既に聞かされていた。
新入生歓迎会の舞台の脚本は部室にある脚本集の中から候補が3本出されていて、春休み明けすぐに1本に絞る予定になっている。
候補になっている3本の脚本はやはりどれも短めで登場人物も少ないものだった。
今の1年生は殆どが裏方に回るのは確実だ。
先輩方が今いる場所、つまり部室前方には舞台稽古で使うラジカセとスタンドタイプの照明機具が置いてある。
しどろもどろになりながら、現状を掻い摘まむ感じで何とか話し
「……というワケでですね、あの、前の方だと音響とか…色々つかうのが1年生になるので…………場所を………その」
「あー!!なんだ、そういうことー?」
西山先輩が大きな声をあげた。
★
「確かにそーだわ。ここの方が照明とか使いやすいもんね」
と、西山先輩。
「そうだね、1年生やりやすくなるか」
それまで机に座り足をぶらつかせながら側で聞いていた伊東(いとう)先輩も同意してくれた。
「みんなー。1年生とこの場所代わったげよ」
西山先輩がまた大きな声で先輩方に言う。
「えー、でも真ん中暑くない?ここ涼しくていいのになー」
同じく2年生の野崎(のざき)先輩が不満げな声を出した。
ちらりと荒川先輩を見ると目が合った。
「……じゃあ後ろは?今、加藤さんいるとこ。加藤さんにはどいてもらって」
荒川先輩が助け船を出してくれた。
(荒川センパイ、やっぱ私の考えわかってくれてるっぽい!)
「あぁ、後ろなら涼しいか。カーテンあるもんね、日もあんまり当たんないし」
野崎先輩も荒川先輩の話を聞いて納得してくれた様だ。
「じゃあ今から民族大移動しよっか。高木さん、1年生らここ来ていいよー」
西山先輩がそう言うと2年生の先輩方が皆立ち上がる。
「あ、ありがとうございます!」
ぞろぞろと部室の後ろへ移動していく先輩方を見ていると、また荒川先輩と目が合った。
目を合わせたまま私は先輩に小さくお辞儀をした。
荒川先輩も私を見て頷く。
加藤さんはまだ部室に戻って来ていない。
先輩方が部室の後ろの席についたのを見て1年生が固まって喋っている所に戻る。
1年生皆に先輩方に話した音響や照明の事を同じく言って、部室前方にすぐに移動した。
(よし!ひとつめセイコウ!……で、たぶん次は……)
>> 205
★
ひとつめの作戦は荒川先輩のおかげで上手く行った。
部室後方の席は2年生の先輩方で埋まっている。
(……で、たぶん次は……)
部室の扉がカラッと音を立てて開き加藤さんが戻ってきた。
ベランダ側の窓にもたれて気付かれないように加藤さんを見る。
加藤さんは扉前でびっくりした顔で部室後方を見ている。
数秒加藤さんはそのままだったが、暫くすると頭を少し傾げて眉を寄せると2年生の先輩方の所へ向かっていった。
私は聞き耳を立てたが加藤さんの声は聞こえず、その代わり西山先輩の
「私らこっち座る事にしたからー。荷物そっち動かしちゃったよー」
と言う大きな声が聞こえた。
(よし。これでかとーさんこっちくればそれはそれでオーケー。……でもたぶんこないだろ)
思った通り、加藤さんは部室真ん中、ベランダ側の机に荷物を置くとそのまま席に着いた。
(やっぱりな。そうなると思った)
その日の部活は席替え以外いつも通りに終わった。
ひとりで帰っていく加藤さんを見て
(次シッパイしたらさいごかもだけどたぶんうまくいくはず)
と他の1年生の皆とおしゃべりをしながら考える。
春休み開けまで残り2日。
★
春休み明けまであと2日。
西山先輩の言う所の「民族大移動」は昨日の内に終わった。
正直、私は大分焦っていた。
(あと2日のうちにうまくやらないと)
この機会を逃したら次の解決のチャンスはいつになるか分からない。
そうなってしまうのは加藤さん、私達他の部員、両方の為にも避けた方がいい。
今以上に溝が出来てしまうと加藤さんは部活を辞めてしまうかも知れない。
朝、部活に行く前に新聞を確認する。
いつも新聞は読んでいたのでわざわざ見なくても1週間の天気予報は頭に入っていた。
が、やはり不安だったのでテレビの天気予報もチェックする事にした。
テレビでは
今日明日は晴れで気温も上がり5月中頃の陽気。
ただし、この陽気は明日まで。
明後日からは天気が崩れて冷々とした寒空になる。
と新聞と同じ予報を流していた。
学校へ向かう。
朝の8時30分だったが晴れで日差しは既に強かった。
部室の扉を開けるとまだ加藤さんはいなかった。
「おはよーございまーす」
入口で大きな声で挨拶をするのが部での決まりだ。
「アッキーおはよー」「おはよう」
と先に来ていた1年生数人と2年生の先輩達が挨拶を返してくれる。
昨日移動した部室前方の席に荷物を置いて窓の外を見る。
グラウンド横の校舎に続く舗道を加藤さんがひとりで歩いているのが見えた。
(部活やめる気なさそうでよかった)
ホッ、と息を吐く。
(当たれよー、てんきよほう)
★
演劇部の部活開始時間は9時。
その日も発声練習やエチュードなどで午前中が終わった。
12時から1時間のお昼休みだ。
窓は全開にしていたが11時を過ぎる頃には部室内は十分過ぎるほど暑くなっていた。
「じゃあお昼休み1時間ねー」
部長の藤田先輩が皆に伝える。
「ひゃー!今日あっついー!」
「飲み物飲み物!!」
と1年生も2年生の先輩方も騒ぎだした。
私も机に向かいリュックサックからタオルと水筒を取り出す。
額に滲んだ汗をゴシゴシと拭いて
「ふぃー!あっちぃー!」
とイスに勢い良く座った。
だらしない体勢で窓枠に頭を乗せる。
私は窓枠に頭を乗せたまま机に置いた水筒を軽く振ってみた。
音はしなかった。
(よし、だいじょぶみたいだな)
「やっと麦茶飲めるぅ~」
三間坂さんが体格に見合わない弱々しい声をあげながら私の左隣のイスに座った。
(よっしゃ、みまさんナイス!)
左隣に座ってくれたおかげで三間坂さんに話し掛けるのに加藤さんのいる方を私が見ても違和感は無くなった。
「あ゛ー!麦茶う゛まいっ!!」
コップに注いだ麦茶を飲み干した三間坂さんが今度は野太い声で言う。
「ははっ」
笑って三間坂さんの方を向くと加藤さんが見えた。
やはり加藤さんは昨日と同じく、ひとり真ん中の席に座って手をうちわ替わりにして顔を扇いでいる。
加藤さんを除く1年生が部室前方に全員集まった。
皆、お茶を飲みお弁当を取り出す。
朝の内にコンビニで買ってきたおにぎりを皆とおしゃべりをしながら私も食べた。
「もー、今日暑すぎないー?」
「なんだろね、まだ4月だよね?」
「麦茶なくなっちゃう~」
おにぎりを頬張りながら1年生のひとりの女子の顔を見る。
誰が良いかは最初から決めていたし、この子なら間違いは無いはずだ。
12時30分を回って皆お弁当を平らげ、後の時間はやっぱりおしゃべりタイムだ。
暑いので皆コップを手の中に握ったまま。
加藤さんがこちらに来る様子は無い。
★
(そろそろかな)
「ねぇ、みんなちょっといい?」
皆の話に一段落着いた所を見計らって声を掛けた。
「??なにー?」
1年生の中で一番小柄な橋下(はしもと)さんが答える。
「うん。ねっ、みまさんそのコップちょい出して」
「???」
水筒を強目に叩く。
三間坂さんが差し出したコップに水筒からガランと氷を数個落とした。
「えっ!?あ!わー、氷ぃ!?」
「へへへ♪みんなもいる?」
「いるっ!!」「欲しいっ!」「私も欲しい!!」
それまでおしゃべりで騒がしかったのが余計にうるさくなった。
差し出されたコップにどんどん氷を落としていく。
音が立たない位みっちりと氷を詰めて来たので、その場の1年生皆に配っても残りの氷はまだまだ沢山残っていた。
「ひゃー!おいっしい!」「アッキーありがとー!」「ごぞーろっぷにしみわたるー!!」
最後のセリフは三間坂さん。
「まだいっぱいあるよー♪ほしかったら言ってー♪」
水筒を振りながらそう言った時に部室後方から
「1年生どしたのー?」
という西山先輩の大きな声が聞こえた。
「あっ、すみません!ちょっといま氷みんなにあげててー」
と私も大声で答えた。
「えっ!?氷っ!?」
「あ、ハイ。たくさん入れてきたんで先輩方もいりますかー?」
「いるぅー!!そっち行くから待って!!」
2年生の先輩方が何人も集まって来た。
先輩方のコップにも次々と氷を落としていく。
「ん゛ー!おいひー!」「うわー、生き返るわー」「高木さんありがとー!」
「いえいえ♪どういたしまして」
人だかりのすき間からちらりと加藤さんの様子をうかがうと、口を半開きにしてこちらを見ている。
(よし!いけそうだな)
★
口を半開きにしている加藤さんを見て
(よし!いけそうだな)
と思った。
加藤さんは何故かいつもお弁当も水筒も持って来ない。
喉が乾くと加藤さんは部室前の手洗い場の水道水を飲んでいるのは前から知っていた。
お腹が弱いとか体が悪いなど聞いた事は無かったし、春休み前の給食は普通に食べていた様だから何か問題がある訳ではなさそうだった。
「高木さんありがとねー」
2年生の先輩方がそう言いながら部室後方の席にぞろぞろと戻っていく。
前の席はまた私達1年生のみになった。
1年生皆の顔は氷のおかげか明るい。
加藤さんをまた横目でちらりと見る。
やはり手で顔を扇ぎながら口をうっすらと開けて、どこを見ているのでも無いが何か思っている風な顔をしていた。
(……だいぶこっちイシキしてるな)
私の使っていた水筒は今の様なコンパクトな物ではなく、30㎝はある大きな水筒だった。
外蓋になっているコップともうひとつ、付属の白いプラスチックのコップが中に仕込まれているタイプだ。
みんながお喋りに夢中なのを見ながら、プラスチックのコップに少し溶けた氷を3個落とし入れてイスから立ち上がった。
★
水筒から少し溶けた氷をプラスチックのコップに入れ立ち上がった。
加藤さんの所へ…は行かず、談笑をしている皆の端に座っている女子の元へ向かう。
「まっちゃん、ちょっといい?」
町田(まちだ)さんに声を掛けた。
「ん?なあに?」
「うん、あのね、いっしょにかとーさんとこ来てくんないかな」
「??加藤さん?うん、いいよ~」
立ち上がった町田さんと加藤さんのいる部室中央ベランダ側の席に向かった。
「かとーさん」
加藤さんはチ一瞬チラリとこちらを見るとまた目を反らす。
「今日もあっついねー。これさ、よかったら氷あげる~」
私は手にしたコップを加藤さんの机に置いた。
「アッキー氷みんなにくれたんだよー。おいしいよー」
と町田さん。
机の上に置いたコップをじっ…と見た加藤さんは少しの間無言でいたが、喉の渇きには勝てなかったらしい。
「……ありがと」
「ううん♪コップ返すのいつでもいいからね~」
「……うん」
「ねえ、加藤さん」
町田さんが声を掛ける。
「よかったらさ、みんなのとここない?ここ暑いでしょ。向こう涼しいよ?」
「………うるさいの嫌いなの」
(ああ、やっぱりな)
そうだと思っていた私は
「まぁさ、とりあえず氷たべたら?で、気がむいたらこっちおいでよ。まっちゃんもいるしさ、ね?」
そう言って加藤さんの席から離れまた皆の元に戻った。
町田さんを連れていったのには理由があった。
町田さんと私と加藤さんは同じ小学校の卒業生だ。
加藤さんがひとりで行動する様になるまでは私と町田さんと加藤さんは部活帰りは一瞬に帰っていた。
加藤さんと町田さんの身長は同じ位の高さで二人とも目線の高さがだいたい同じ。
どことなく町田さんも加藤さんと似たような雰囲気だが、町田さんは物腰が柔らかく優しい。
部内でも背の高い加藤さんと町田さんの相性は私から見ても合っている気がしていた。
とりあえず加藤さんにコップを渡して
(今日はこれでよし)
と思った。
勝負は明日だ。
★
加藤さんにコップを渡して(今日はこれでよし)と思った。
少しして加藤さんが部室の扉から廊下へ出ていくのが私の視界の端に入ってきた。
部室として使っている図書室の扉は、他の一般教室と同じく前と後ろに扉がある。
夏場や今日の様な暑い日は風通しを良くする為、引き戸になっている扉を部室前後とも開けていた。
前側の扉から出て行った加藤さんは、しばらくするとまた部室へ戻って来た。
前扉の先には手洗い場がある。
「アッキー」
私達1年生の座っている部室前方に加藤さんが来て、談笑していた皆が一斉に彼女を見る。
一瞬、皆の視線にたじろいだ様子の加藤さんだったが、すぐにまた元の他を突き放す様な顔つきと声に戻り
「…これ、ありがと」
そう言ってプラスチックのコップを私に差し出してきた。
「あぁ、かとーさんわざわざ洗ってきてくれたん?ありがとー♪」
「…………うん」
「ん??」
返して貰ったコップを手にしたまま私は首を傾げて笑顔を作り、何か思っている風の加藤さんを見る。
数秒目を合わせていたが加藤さんの方から目線を反らして
「……じゃあ」
と元いた真ん中の席に戻って行った。
1年生皆黙っている。
「ねっ♪みんなさー、まだ氷ある?もちっと残ってるけど、いるー?」
私が皆にそう言うと
「あっ!欲しいー」「私もも少し欲しいな」「いるいるっ」
とまた賑やかになった。
お昼休みが終わり午後練習が始まった。
いつもと同じく短めのエチュードを部員全員がそれぞれ一通り終わらせ、その日の部活は終わり。
やはりひとりで加藤さんは帰って行く。
町田さんと二人で話をしながら私も家に帰った。
家に着いてすぐに冷凍庫の製氷皿から氷を取り出し、また水を張る。
母に
「あしたも氷いるからなるべく使わないで」
と言って自分の部屋に入った。
★
春休み最後の日の朝。
昨日と同じく水筒に麦茶を仕込む。
同じくとは言っても今日は氷は昨日の様にみっしりとは入れず、その分麦茶は多め。
それでも十分誰かに分けられるほどの氷の量だ。
一応家を出る前にまた天気予報をチェックしてから学校へ向かった。
午前中、いつもと変わらず発声練習から始まりエチュードを繰り返す。
その間も加藤さんは部活中央、ベランダ側に寄せたイスに座り発声練習とエチュード中以外はひとりのままだった。
12時になってお昼休み。
加藤さんを除く私達1年生はまた部室前方の席に集まり、それぞれ暑い暑いと言いながら水筒とお弁当を取り出す。
1年生の一人、黒山(くろやま)さんが
「あのね、昨日アッキーが氷くれたじゃん?私、マネして氷入れてきちゃったー」
そう言うと他の何人かも
「あー!私も入れてきたー」「えっ?みんなも?私も氷入りにしちゃったぁ」
と笑う。
集まっている内の7人中、私を含めて5人が氷入りのお茶を持ってきていた。
「あはは♪今日もあついしね~。氷サイコーだよね♪」
私もそう言って笑った。
お昼ごはんを食べながらおしゃべりをする。
その間、私はチラチラと廊下側の壁の柱にかかっている時計を見ていた。
(25分…じゃちょっとはやいかな。35分くらいか)
時計は12時20分を指している。
(あと15分したらいくか)
時計の長針が35分を指す前に昨日と同じ様にプラスチックのコップに氷を入れる。
昨日は3個入れたが今日は1個。
時間を確認して立ち上がり、コップを手にして加藤さんの所へ一人で向かった。
★
一個だけ氷を入れたコップを手にして加藤さんの所へ向かった。
「かとーさん」
加藤さんは返事はしてくれなかったがそのまま続けて話し掛ける。
「コレ、氷また持ってきたんだー。あげる♪」
そう言って加藤さんの座っている席の机にコップを置いた。
「…………ありがと」
やっと加藤さんが声を出してくれた。
「かとーさん、ちょっと前すわっていい?」
コップに口を付ける加藤さんの答えを待たずにイスに座った。
「昨日もあつかったけど今日もすんごくあついねー」
「…………うん」
「ここ、よけいあついっしょ」
「……………」
氷を口に含んだ加藤さんは少し下を向いて何かを言いたげにしている。
「ね、前こない?」
直球どストレートに加藤さんに言った。
「かとーさんさ、なにか思ってることたくさんあるんじゃない?私きくよー。それにまっちゃんもいるしさ、私らんとこおいでよ」
「……………」
「もし私にはなすのイヤならまっちゃんならきいてくれると思うよ。色々かとーさんたまってるでしょ」
口に含んだ氷を噛み砕いて飲み込んだ加藤さんは
「………まっちゃんか………」
と呟く。
「まっちゃんさ、優しいよねー」
「…………うん」
「ね、氷もっといらない?むこうにまだあるし、まっちゃんとこ行ってさ、一緒にちょっと話しよーよ。ね?」
「………………」
何か考えている加藤さんに
「ねっ?まっちゃんとこいこ?」
と言って立ち上がった。
「ね、かとーさん、いこ?」
無言のまま加藤さんもゆっくりと立ち上がる。
(よっしゃ!キタ!)
「…………今だけだから。行くの」
「うん、それでもいいよ♪きてきて♪」
チラリと柱に掛かっている時計を見る。
12時40分を少し過ぎていた。
(ちょうどいいかな)
お昼休み終わりまで後少しだ。
★
「…………今だけだから。行くの」
「うん、それでもいいよ♪きてきて♪」
あえて加藤さんの方は見ず、1年生の皆が固まって話をしている部室前方へ向かう。
皆の席の端にいつも町田さんは座っていて、にこにことしながらお喋りに夢中になっている1年生達を見ている感じだ。
「まっちゃ~ん、きたよー♪ハイ、かとーさんここ、ここ」
近くのイスをガタガタと二脚引っぱって町田さんの席の側に置いた。
「ほい、すわってすわって♪」
「……………」
無言でイスに座る加藤さんに町田さんが声をかけた。
「加藤さんいらっしゃーい」
「……………うん」
誰とも目を合わせないままだったが少し間を置いて加藤さんは町田さんに答えた。
元々座っていた席に置いてある水筒を取って加藤さんの側のイスに私も着く。
「はい、かとーさん氷まだあるよ~」
そう言って加藤さんの手の中のコップにまた氷を落とした。
今度は麦茶も一緒に注ぐ。
「………あり、がと」
「へへっ♪」
コップに口を付ける加藤さんに町田さんが話す。
「真ん中暑かったでしょ?ここすずしくていいよね」
「……そんなでも、なかったけど」
「そう?でも加藤さん来てくれてうれしいなー」
「……ん……」
「前は私らよく話してたね、なんか久しぶりだねー」
「………そう、だね」
麦茶をすする加藤さんを見ながら
(やっぱまっちゃんでセイカイだったな)
と考える。
昨日の帰り道、私は町田さんに
「かとーさんの話を聞いてあげてほしい」
と頼んでいた。
町田さんも快諾してくれたので加藤さんさえ来てくれたなら後はスムーズに事が進みそうだ。
★
イスに座った加藤さんに
「かとーさん、もっと氷どぞ~♪」
と彼女に渡した白いコップに氷と麦茶を入れる。
「……ありがと」
麦茶を飲む加藤さんに町田さんが聞いた。
「加藤さん部活つまんない?」
「…………部活がつまんない、って言うか……」
「ん?」
「…………この学校ってさ」
「うん?」
「……やたらと自由だ、とか教師が言ってるけど全然自由じゃないよね」
「あー、そういうとこあるかもね」
と答えた町田さんに加藤さんは話を続ける。
「みんなやってる事とか小学校の時とおんなじだし」
コップの氷は麦茶の水分で噛み砕き易くなっている。
口に含んだ氷をガリガリと噛みながら加藤さんの愚痴は止まらない。
「自由だなんだって言ってもあれするなコレするなってさ、ちょっと周りと違う事すると教師って怒るじゃん。それのどこがどう自由なんだってさ」
「うーん」
「あと上下関係うるさいし」
「うちの部はそうかもねー」
「そういうのも全然自由じゃないし。結局自由だ責任だって全部嘘じゃん、この学校って嘘ばっかりだよ」
氷がなくなるタイミングを見計らって
「かとーさん、氷どんどん食べて~」
と私は彼女の空のコップに氷を足す。
今は私はホステス代わりだがそれでいい。
「うん」
足された氷をまたガリガリと噛む加藤さん。
「私のクラスの奴らだってさ、同じことしかしないし。それの何が自由だっていうんだかわからないよ。みんな同じにしないとすぐハブったりさ」
「そっか、だからイライラしちゃう?」
町田さんの問いに
「もう本当にみんな馬鹿みたい」
そう答えた加藤さんのコップにまた氷を入れる。
愚痴に夢中な加藤さんは苛立たしそうな顔で、足された氷を噛み砕き続ける。
ちらりと柱に掛かった時計を見る。
お昼休み終わりまで後5分を切っていた。
「なんだろ、むじゅん?って言うの?そんなのばっかだよ、この学校の教師も生徒も」
「そっかあ、加藤さんそう思ってたんだねー」
町田さんがそう言うとほぼ同時に
「みんなー!そろそろ午後の部活始めるよー」
と藤田部長が休み時間の終わりを告げた。
★
「みんなー!そろそろ午後の部活始めるよー」
藤田部長が休み時間の終わりを告げた。
それを聞いて皆が水筒やお弁当箱を片付けだす。
加藤さんは部長の声やまわりに気付かない様子で
「でさ、この前なんかさ…」
と愚痴を吐き続けていたが
「そこ、1年生ー!おしゃべり止めー!」
そう藤田部長に指摘されると、苛立たしそうに加藤さんが黙った。
「かとーさん、コップしまうからそれいいかな?」
「ん?あ、うん」
白のコップを受け取って私も水筒の蓋を閉める。
まだ愚痴を言い足りなさそうな加藤さんは、噛み砕く氷も無くなって余計にイライラが募ったみたいだ。
(よしよし、いいかんじだ♪時間もぴったし)
「じゃあ発声するよー、ベランダ出てー」
午前午後、部活始まりはベランダに出て発声練習をするのがパターンになっている。
ぞろぞろとベランダに出ていく皆の後を面倒くさそうに加藤さんも着いてきた。
発声練習の間何度か加藤さんをちらりと見る。
加藤さんは眉間にシワを寄せて嫌々とした感じで小声で発声をしていた。
一通りベランダでの発声が終わりまた皆が部室に入る。
部室中央まで来た加藤さんは何か考えている感じで席には着かず立ったままだ。
「おーい、かとーさーん」
ちょいちょい、と『こっち』と手を振ると加藤さんは少し間を置いて私達のいる部室前方にやって来た。
また町田さんと私の隣の席に着く。
午後の部活のあいだ中、加藤さんは何度か町田さんにやはり小声で愚痴の続きを話していたがその度に先輩に注意を受けていた。
話したくて話したくて堪らなさそうな加藤さん。
そのまま春休み最後の部活が終わった。
★
春休み中は部活の時間が終わったら校舎から早く出て帰宅するように、と学校側から言われていた。
普段の部活終わりのように部室に残ってのお喋りは禁止されていたが、私達1年生は休み中の部活後も下駄箱から一階に続く階段に座って色んな事を話した。
春休みに入ってからは階段でのお喋り大会に加藤さんは参加せずに、部活が終わるとさっさとひとりで帰ってしまっていた。
春休み最後の部活が終わり、部室である図書室の鍵を閉めて
「私ら先帰るからねー。今日で休み最後だからみんな早く帰んなよー」
と2年生の西山先輩に言われて1年生皆が
『はい!』
と声を揃える。
下駄箱で上履きから外履きの靴に履き替えた私達1年生は
「今日はおしゃべりダメだね~」
と言いながら階段を降りた。
私達の中には加藤さんがまだいる。
町田さんを見ると目が合った。
私が小さく首を動かすと町田さんも同じく頷く。
早く帰らなきゃね、と言いながらも階段下で明日の始業式が、とか新入生歓迎会の舞台の話を始めた私達を横目に、加藤さんが何も言わずに歩き出した。
「まっちゃん」
私は町田さんに声を懸け、
「みんな、私らちょい先かえるわ」
と他の部員皆に言って町田さんと一緒に加藤さんを追いかける。
数十メートル先まで歩いていってしまった加藤さんに小走りで追い付き、
「かとーさーん、いっしょ帰ろ?」
と言うと、加藤さんは私と町田さんをちらりと見て
「……あぁ……うん、いいよ」
と答えてくれた。
★
真ん中に加藤さんを置いて右側に町田さんが。
左側に私が着いて並び、三人で歩き出した。
「今日で春休み終わりだね~」
「…………」
「もう明日っからシンニュウセイカンゲイカイのじゅんびだね」
「……まっちゃん、さっきの話の続きでさ」
私の声を無視して加藤さんは町田さんの方に顔を向ける。
(うはは(笑)、ムシされた)
それだけ加藤さんは町田さんに愚痴を聞いて欲しくて堪らなかったのだろう。
私を無視して自分にだけ話し始めた彼女に驚いた表情の町田さんが私をちらりと見る。
私側に顔を向けていない加藤さんに気付かれないよう、町田さんに左手でOKサインを作って小さく微笑みを返した。
それを見た町田さんは階段でと同じく小さく頷いた。
「でね、あの社会の沢井(さわい)ってヤツが春休み前にさ…………」
加藤さんは堰の切れたダムの様に口から愚痴を吐き続ける。
並んで歩きながら町田さんに話している内容は、どうやら社会科担当の沢井先生の事らしかった。
と言っても私は男の先生という以外に沢井先生がどんな人か分からなかった。
10組まであるクラスは1組から5組と、6組から10組までで教科担当の先生が違っていたからだ。
加藤さんは1組で町田さんは3組だった。
私は9組で、勿論加藤さんと町田さんの組を考えた上での作戦でもあったが、ここまで上手く行くとはさすがに思ってはいなかった。
けれどまだこれで完璧とは言えない。
あともう少し。
もうちょっとだ。
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